愛の音楽家エドワード・エルガー

CDでは聴こえなかった真価――アナログ盤が蘇らせた《エルガー交響曲第2番》

バーノン・ハンドリーほど、日本で過小評価されているエルガー指揮者はいないかもしれない。

 

ボールトの直系として、その正統な解釈を受け継ぎながら、決して自己を誇示することなく、作品そのものを語らせる――そんな英国紳士らしい芸風ゆえに、華やかなスター指揮者の陰に隠れてしまった感は否めない。しかし、その録音を改めて聴き直すと、彼の残した業績がいかに大きなものであったかを思い知らされる。

 

その代表が、1981年にワトフォード・タウンホールで録音されたロンドン・フィルとの《交響曲第2番》である。

 

この録音は、終楽章でエルガーが用意していたオルガン入りのオリジナル版を採用した最初の録音として知られ、資料的価値だけでも十分に高い。しかし、長年CDで聴いてきた私には、どこか音が引っ込み、響きに物足りなさを感じる録音という印象が拭えなかった。

 

ところが、その印象はYouTubeで公開されていたアナログLPから起こした音源によって一変した。

 

最初の数分で耳を疑った。

 

「本当に同じ録音なのか?」

 

そう思わずにはいられないほど、音の印象が違うのである。

 

弦楽器の艶は鮮烈で、木管は立体的に浮かび上がり、金管には芯がある。音場には十分な奥行きがあり、それぞれの声部が明確な輪郭を持って響く。CDでは平板に感じられたオーケストラが、ここではまるで目の前に実在しているかのようだ。細部のディテールは驚くほど鮮明で、ハンドリーが積み重ねた緻密な構築が、初めて本来の姿で聴こえてくる。

 

これほどの名演だったのか。

 

正直なところ、愕然とした。

 

第1楽章では、ボールト譲りの自然なテンポ感と堅牢な構築美が光る。決して感情を煽らず、それでいて音楽の熱は少しも失われない。"Nobilmente" は威圧的ではなく、人生を知り尽くした者だけが持つ静かな高貴さとして響く。

 

第2楽章《Larghetto》では、旋律が深い呼吸の中でゆっくりと歌われる。涙を誘うような感傷に流されることなく、内面からにじみ出る祈りのような静けさが支配する。その抑制の美しさは、まさに英国音楽の真髄と言えるだろう。

 

第3楽章ではリズムの切れ味が際立ち、推進力と構築感が絶妙な均衡を保つ。そして終楽章では、オルガンが加わる終結部が決して効果音としてではなく、作品全体を静かに支える土台として機能している。控えめながら確かな存在感を持つこの響きは、エルガーが最終的に削除した理由も理解できる一方で、「もし残されていたなら」というもう一つの交響曲第2番を体験させてくれる。

 

ハンドリーによるエルガー作品の多くは、ロンドン北西部のワトフォード・タウンホールで録音された。

 

このホールについて思い出すエピソードがある。私がエルガー協会へ入会した際、お世話になったジョン・ノリス氏は、ほど近いリックマンズワースに住んでいた。彼は誇らしげにこう話してくれた。

 

「私の家は、あのハンドリーが素晴らしい録音を残したワトフォード・タウンホールの近くなんですよ。」

 

当時は何気なく聞いていたその言葉も、今となってはよく分かる。あの町には、英国音楽史に残る数々の名演が生まれた場所がある。そのことを地域の人々が誇りに思っているのである。

 

そして、このアナログ盤の音を聴いた今、その言葉の重みは以前にも増して大きく感じられる。

 

長い間、私はCDを聴きながら「良い演奏ではあるが、どこか物足りない」と思っていた。しかし、その印象は録音媒体によって作られた錯覚だったのかもしれない。

 

もしこのアナログ盤の音で最初から聴いていたなら、私は迷うことなく、この演奏をエルガー《交響曲第2番》のベスト盤の一つに数えていただろう。

 

それほどまでに、この録音は素晴らしい。

 

そして同時に思う。

 

――私たちは、今まで一体何を聴かされていたのだろうか。

 

 

日本エルガー協会新刊「エルガーの最後の審判-語られなかった真の作曲家像」はこちらから

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