「亡霊」を越えて――トゥルルス・モルクによるエルガー《チェロ協奏曲》
エルガーのチェロ協奏曲ほど、演奏史において「ある特定の解釈」が長らく金科玉条とされてきた作品は少ないかもしれない。とりわけ20世紀のアイコンであるジャクリーヌ・デュ・プレの演奏は、この協奏曲を「個人的な悲劇の吐露」として、聴衆に強く印象づけた。以後、この作品を取り巻く空気は、どこか“重さ”と“深刻さ”を標準装備としたものになっていく。
だが――その「呪縛」はようやく解かれつつあるのではないか。
トゥルルス・モルクによるこの録音は、その象徴となる演奏のひとつだ。指揮はヴァシリー・ペテレンコ、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団をバックに、モルクはこの作品を決して過剰に背負わず、だが決して軽んじることなく、極めて均整のとれた視点から見つめている。
その音は温かく、洗練されており、叙情的ながらも独りよがりにならず、過去のレジェンドたちの「声」をうまく距離を取って捉えている。イッサーリス以降のチェリストに見られる軽妙さとも一線を画し、どこか作品そのものに寄り添った自然体の佇まいがあるのだ。
ペテレンコの指揮もまた、まったく同じ方向性を持っている。オーケストラが過剰に情念を煽ることなく、しかし旋律線の起伏を十分に捉えた響きでモルクを包み込む。全体としては、**「深堀しすぎないことの誠実さ」**が際立つ。
この録音が目指すものは、デュ・プレの亡霊との決別でも、かといって彼女の表現を否定することでもない。むしろこの協奏曲をようやく**“フラットに”、あるがままのエルガーとして聴くことが可能になった時代の到来**を静かに示唆するものだ。
奇をてらわず、誇張もせず、ただ作品の佇まいをそのまま差し出すことの勇気――それがモルクの演奏の最大の美点だろう。**この曲が初めて“歴史の語り口”ではなく、“音楽そのものの言葉”で語られている。**そんな印象を受ける、貴重な録音である。
トゥルルス・モルク(チェロ)とワシリー・ペトレンコ指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団によるエルガーのチェロ協奏曲(ホ短調 作品85)の演奏は、伝統的な解釈から一歩踏み出し、洗練されたバランス感覚と現代的な美意識を融合させた注目すべきアプローチである。以下に、各楽章の特徴、フレージング、テンポ観について詳述する。
第1楽章:Adagio – Moderato
冒頭のチェロによるレチタティーヴォは、モルクの硬質で引き締まった音色により、従来の哀愁や嘆きではなく、内に秘めた怒りや抗議のようなニュアンスが感じられる。このアプローチは、エルガー自身が意図したテンポに近づけることで、作品本来の構造的な緊張感を再現している。ペトレンコの指揮は、オーケストラを抑制的に導き、チェロの語りを際立たせることで、楽章全体に明瞭な構成を与えていると言えるだろう。
第2楽章:Lento – Allegro molto
短いLentoの導入部に続くAllegro moltoでは、チェロのピッツィカートと急速な16分音符の動機が躍動感を生み出す。モルクの演奏は、技術的な精緻さと遊び心を兼ね備え、スケルツォ的な軽快さを表現している。ペトレンコのテンポ設定は、速すぎず遅すぎず、音楽の推進力を保ちながらも、細部のニュアンスを丁寧に描き出している。
第3楽章:Adagio
この楽章は、エルガーの内省的な側面が色濃く表れる部分であり、モルクの演奏は、繊細なフレージングと豊かな音色により、深い感情を引き出している。特に高音域でのハーモニクスや微細なダイナミクスの変化が、楽章全体に静謐な美しさをもたらしている。ペトレンコの指揮は、オーケストラを控えめに保ち、チェロの独白を際立たせることで、楽章の瞑想的な性格を強調しているかのようだ。
第4楽章:Allegro – Moderato – Allegro, ma non troppo – Poco più lento – Adagio
終楽章では、冒頭の力強い主題提示から始まり、途中で第3楽章の主題が回帰するなど、全体の構造が巧みに組み立てられている。モルクの演奏は、技術的な難所を難なくこなしつつ、音楽的な流れを自然に導いている。ペトレンコのテンポ設定は、各セクションの性格を明確にしながらも、楽章全体の統一感を保つことに成功している。
この演奏は、エルガーのチェロ協奏曲における新たな解釈の可能性を示すものであり、伝統的な重厚さや感傷性にとらわれず、作品本来の構造美や感情の多層性を浮き彫りにしている。モルクとペトレンコの協働により、エルガーの音楽が現代的な感性で再構築され、聴衆に新鮮な印象を与える演奏となっている。
Elgar - Cello Concerto, Truls Mørk, Vasily Petrenko, Oslo Philharmonic