ケン・ラッセルの「Portrait of a composer/Elgar(ある作曲家の肖像/エルガー)」

A Portrait of Elgar – “Hope and Glory”

この1984年制作のドキュメンタリー『A Portrait of Elgar – “Hope and Glory”』は、イギリスITVが手がけた全75分の傑作である。エルガー研究の第一人者マイケル・ケネディとジェロルド・ノースロップ・ムーアへのインタビューを軸に、サイモン・ラトルによる音楽例が随所に挿入され、エルガーの人間性と音楽性を立体的に描く構成となっている。

 

ストーリーと内容の構成
音楽家エルガーの姿と背景

 ケネディとムーアは、エルガーが地方出身の“アウトサイダー”だったことを指摘。実家の楽器店や精神的な不安感が、彼を独自の作曲家に育てたとの観察が印象的である 。

 

メロディへの深い洞察と創作背景

 マイケル・ケネディが《エニグマ変奏曲》の草稿的な断片を解説し、音楽に宿る“親密な私的メッセージ”を浮き彫りにする。そのシーンはまるで「エルガーの魂を解剖」するかのようだ。

 

ロマン主義と交響性の深化

 ラトルが作品の分析を通じ、エルガーがロマン派からの脱却と新たな音楽観への移行期にあったことを解説。いわば「進化する作曲家」としての姿が明確に見える 。

 

妻アリスの影響と個人的側面

 ムーアは、エルガーの創作において支えとなった妻アリスの存在を極めて高く評価。彼女の理解があったからこそ『ニムロド』や《カラクタクス》等の深層的な情感を宿す作品群が生まれた。

 

録音技術への情熱と実験姿勢

 エルガー自身が蓄音機を用い演奏録音に熱意を見せた事実も取り上げられ、新技術を恐れず追求した姿勢が伺える。

 

評価と意義
ドキュメントとしての完成度

 専門家と演奏家の双方からの多層的分析が織り交ぜられ、鑑賞者はひとりの人物を音楽と歴史の両面から感じ取ることができる構造。

 

視覚・聴覚のバランス

 ケネディ&ムーアの語りに続いて、ラトルの演奏例が即座に響くため、「読む」「聴く」「見る」が自然に融合する。

 

日本における存在感

 商業的リリースが一切ないうえ、YouTubeで最近になって目にすることができるようになたが、日本語圏ではほとんどは全く紹介されることのなかった存在。視聴機会の希少性ゆえ、エルガー研究者やファンにとって重要なリファレンスとなるであろう。

 

本作は、エルガー研究の古典として今も輝きを失わず、音楽性・人間性・時代背景を網羅した優れた一級のドキュメンタリーである。

ケン・ラッセル製作の「エルガー」(1962)との比較

1962年のケン・ラッセル(Ken Russell)によるBBCの名作ドキュメンタリー《Elgar》と、1984年のITV制作《A Portrait of Elgar – "Hope and Glory"》は、いずれも20世紀英国が誇る作曲家エドワード・エルガーの人生と音楽に迫った映像作品であるが、そのアプローチや思想、表現スタイルにおいてはまったく異なる方向性を取っている。以下、両作品を比較解説。

 

ケン・ラッセル『Elgar』1962年/BBC「モニター」シリーズ
映像詩的にエルガーの人生を再構築し、英国音楽の象徴として詩的に捉える。映像による芸術表現そのもの。映像詩的にエルガーの人生を再構築し、英国音楽の象徴として詩的に捉える。映像による芸術表現そのものである。音楽の扱いとしては全編にエルガーの音楽を敷き詰め、映像と音楽の詩的融合を図る。人物像の描き方は少年期から晩年まで、英国的風景を背景に、孤独や苦悩、創造の喜びを視覚的に描く。芸術性も極めて高い。映像詩として英国ドキュメンタリー史の金字塔。後の映像作家に絶大な影響を与えた。教育的価値音楽に親しみのある視聴者には詩的感受性を与えるが、情報量は少ない。作品の扱いは、《エニグマ変奏曲》《チェロ協奏曲》《威風堂々》など主要作品を感覚的に使用。《ゲロンティアスの夢》などは扱い控えめ(詩的比喩に重点)。影響力後の映像作家に「音楽を語る映像」の在り方を示した。映画『リストマニア』『マーラー』などの原点。受容英国内で伝説的評価。BBC最重要ドキュメンタリーとして保存。

 

Hope and Glory『A Portrait of Elgar』1984年/ITVドキュメンタリー
専門家の証言と実演を通して、エルガーの作品と人物像を客観的・解説的に紹介する。映像手法としては、実在の人物(ケネディ、ムーア)によるインタビュー中心。演奏例やナレーション付きのオーソドックスなドキュメンタリー形式。音楽の扱いは解説に即した抜粋演奏。サイモン・ラトルが抜粋を演奏し、作品構造の理解を助ける。人物像の描き方は、証言や評論を通じて、作曲家としての歩みと人間的側面をバランス良く描写。芸術性はクラシックファンや研究者向けの堅実な作り。感情より知性への訴求が強い。教育的側面としては解説が豊富で、作品理解に資する。教育資料として優秀。作品の扱いは、各作品の解説と抜粋演奏を通して、作曲技法・背景を掘り下げる。《ゲロンティアス》の音楽的分析あり。神秘性より構造性を重視。影響力は音楽学的・記録的価値が高く、エルガー理解に大きく貢献。受容としては、一部の愛好家や研究者から高い評価。広く知られているとは言いがたい。

 

 

どちらが「よりエルガー的」か?

 

ケン・ラッセル版は、エルガーの「精神」や「孤独」を映像で体感する詩的作品。

 

『Hope and Glory』は、エルガーを理解するための「知」のドキュメント。

 

つまり、前者は「感じるエルガー」、後者は「知るエルガー」。両者は対立的というより補完的であり、どちらも21世紀の視聴者にとって大切な窓口となりうる傑作である。

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