因縁の地に甦る霊的劇 ― ブラビンズ&“ザ・コーラル”による2025年《ゲロンティアスの夢》
マーティン・ブラビンズ指揮、オペラ・ノース管、そして伝統のハダースフィールド・コーラル・ソサエティによる2025年録音の《ゲロンティアスの夢》は、単なる新譜ではなく、“作品・土地・歴史”が三位一体となった特異なプロジェクトである。録音場所はハダースフィールド・タウンホール。ここはエルガーが1917年に第一次世界大戦下で《ゲロンティアス》を自ら指揮した、まさに“血の記憶”が刻まれた場所であり、今回の録音はその霊的文脈に直接触れる希有な位置にある。
ブラビンズは近年、英国指揮者の中でもとりわけ“現代的エルガー解釈”の旗手として頭角を現してきた。過去のBBCスコティッシュ響、ENGLISH NATIONAL OPERAでのエルガー演奏でも一貫して、過度な感傷を排し、構築性と語りの明晰さを重視する姿勢を示してきた。
レイフ・ファインズ主演の新作映画「The Choral」の公開に合わせ、その物語が実在の合唱団の歴史と驚くほど重なり合っていることが注目されている。映画の舞台は1916年、ヨークシャーの架空の街である。物語は、西部戦線で戦う仲間たちの犠牲と苦難に直面しつつも、エルガー《ゲロンティアスの夢》の演奏に向けて準備を進める北イングランドの合唱団の姿を描くものである。
実在のハダースフィールド・コーラル・ソサエティも、映画と同様に第一次世界大戦による深刻な影響を受け、23名の団員が従軍したという事実を持つ。その混乱のさなかで、1917年にはエルガー自身の指揮により《ゲロンティアスの夢》が演奏されている点は、映画の物語と歴史的現実が響き合う象徴的な出来事である。「The Choral」という題名は映画のタイトルであると同時に、同合唱団の愛称でもある。
映画はニコラス・ハイトナー監督、アラン・ベネット脚本による作品であり、合唱団の指揮者を演じるレイフ・ファインズに加え、サイモン・ラッセル・ビール、ロジャー・アラムといった英国演劇界でおなじみの俳優たちが出演している。本作は歴史と芸術が交錯する重厚なドラマとして位置づけられる。
まず、冒頭の祈りの場面から明らかなように、ブラビンズのテンポは落ち着いていながらも停滞せず、呼吸が絶妙である。老ゲロンティアスの霊魂の覚醒と不安を、音楽のたわみと脈動によって自然に描き出す。デイヴィッド・バット・フィリップのテノールは、伝統的な英国的“朴訥な祈り”を基調にしつつも、声の芯が強く、劇的場面での張りも十分である。弱声域のニュアンスが非常に丁寧で、ブラビンズの意図する“内面の語り”と高い親和性を示している。
メッゾ・ソプラノのカレン・カーギルは、本録音の核心的存在である。エンジェルの慈愛、諭し、時に厳しさをも孕んだ複層的表現が圧巻で、フレージングの自然さは現代の歌手の中でも群を抜く。特に「Softly and gently」での時間の止まり方は、ブラビンズの静謐なテンポ運びと完璧に一致し、録音全体の霊性を決定づけている。
そして、ハダースフィールド・コーラル・ソサエティ――言うまでもなく、この作品と最も深い歴史的縁を持つ合唱団である。ここに収録されているのは単なる合唱の響きではなく、“伝統が語りかける声”である。音色は近年のロンドンのプロ合唱団ほど洗練されてはいないが、むしろそのわずかな粗さが作品の魂の震えとして働いている。特に“Demons’ Chorus”では驚くべき鋭さと野性味があり、逆に“Praise to the Holiest”では荘厳かつ遺伝子的ともいえる重厚な響きが復活している。
オペラ・ノース管は、ブラビンズのクリアなタクトに導かれ、細部の明瞭さが常に保たれている。エルガー特有の長い和声線の呼吸を崩さず、過度なロマン主義へ傾倒しない。特に第2部のオーケストラの透明度は、ハイペリオン録音の美質を最大限に引き出し、霊界と現世の境界が淡くにじむような響きを形成している。
総じて、本録音は“現代的解釈”と“歴史的伝承”が緊密に融合した、きわめて稀有な《ゲロンティアスの夢》である。ブラビンズの知的構築性、歌手陣の質の高さ、そしてハダースフィールド・コーラル・ソサエティの“宿命的存在感”が交錯し、作品に宿る霊性を21世紀的に再生した意義深い記録である。これは単なる新録音ではなく、エルガー演奏史の文脈に新たな層を刻む「出来事」であると言ってよい。
THE CHORAL | Official Trailer (2025)



