《威風堂々》第6番

交響曲という執念──エルガーにおける形式への夢と変奏

エドワード・エルガーにとって「交響曲」という形式は、単なる器楽ジャンルを超えた作曲家としての存在証明であり、生涯にわたり執着と憧憬の対象であり続けたものである。そのこだわりは、完成された正規の交響曲のみならず、交響曲を志向しながら別形態で結実した作品群、さらには没後の補筆、他者による再構築にまで及んでいる。エルガーと「交響曲」という形式の関係を七つのカテゴリーに分けて検証し、彼の創作美学の深層に迫る。

 

① 完成された純粋な交響曲:第1番・第2番

エルガーが公式に「交響曲」として完成させた作品は、第1番(1908年)と第2番(1911年)の2曲のみである。これらはいずれも4楽章構成を持ち、ベートーヴェン的な内的葛藤の弁証法を背景に、エルガー独自の叙情性と構築性が融合された傑作である。特に第1番は、初演後一年で100回以上演奏されるという驚異的な成功を収め、エルガーの器楽作曲家としての頂点を示すものであった。

 

② 本人は交響曲として構想していたが、外的事情でそう呼べなかった作品:「黒騎士」

カンタータ《黒騎士》(The Black Knight, 1893)は、エルガー自身が「交響的」と形容した作品であるが、ボールトらによればエルガーは当初これを「交響曲」として構想していたという。出版上の都合によりカンタータとして発表されたが、その主題構成、動機展開、全体構造において明確に交響曲的な構想が読み取れる。すなわちこれは、エルガーの「最初の交響曲」として位置づけることも可能である。

 

③ 他者によって補完された交響曲:第3番(ペイン補筆)

1932年に絶筆となった交響曲第3番のスケッチ群は、1998年にアンソニー・ペインの手によって完成され、演奏・録音されるに至った。エルガー自身は死の床で「私のスケッチなど燃やしてしまえ」と語っており、補完を望んでいたわけではない。しかし、そのスケッチは極めて詳細で、ペインの手による補筆はエルガーの語法を熟知した慎重かつ創造的な仕事である。この作品の存在によって、エルガーの交響曲観の最終的展開をうかがい知ることができる。

 

④ 交響曲への試行錯誤の痕跡:「ハーモニーミュージック」「オルガンソナタ」

エルガーが若年期に書いた《ハーモニーミュージック》と呼ばれる試作群、また1880年代に書かれた《オルガン・ソナタ》は、いずれも後年の交響曲的展開を予告するような素材を備えている。特にオルガン・ソナタは、後述するように他者によってオーケストレーションされ、交響曲第0番と呼ばれるようになるなど、エルガー自身もこれらを「交響的素地」として意識していた可能性がある。

 

⑤ 明確に「交響的習作」と名付けられた作品:《ファルスタッフ》

1913年に完成された交響的習作《ファルスタッフ》は、標題音楽でありながら、その形式的完成度と主題展開の緻密さにおいて、交響曲と同等の扱いを受けるべき作品である。実際、エルガー自身が「交響的習作(SymphonicStudy)」と明言している点において、交響曲の拡張的実験として捉えることができる。ここにおける変奏形式と主題変容の手法は、直前の交響曲第2番と連続性をもって響いている。

 

⑥ 他者によって「交響曲」と名付けられた作品:交響曲第0番・第4番、シェッド交響曲

エルガーの《オルガン・ソナタ第1番》は、ゴードン・ジェイコブの編曲により交響曲第0番と呼ばれ、また《ピアノ五重奏曲》はドナルド・フレイザーによる編曲で交響曲第4番と、《ハーモニーミュージック》はフィリップ・ブロックのDTM化により《シェッド交響曲》と称されることもある。これらは原曲に存在する交響的な構成要素を抽出し、オーケストラによって再構成した試みであるが、エルガー自身の意志による命名ではない点を留意すべきである。それでも、作品に潜在する「交響性」が他者の手によって顕在化された例として注目に値する。

 

⑦ 他作曲家の交響曲への関与:編曲と変奏

エルガーは若年期から他作曲家の交響曲、特にモーツァルト《交響曲第40番》(1878)、ベートーヴェン《交響曲第5番・第7番・第9番》(いずれも1880年頃)の編曲に取り組んでいた。これらは単なる技術習得のためではなく、エルガーにとって交響曲形式を内面化するための重要な「変奏の場」であったと考えられる。とりわけ《第9》の編曲を通じて得られた合唱と器楽の交錯は、《ゲロンティアスの夢》や後の交響曲群に反映されている。

 

総括

このように、エルガーと「交響曲」という形式の関係は、単純なジャンル区分を超えて、さまざまな層で交差し、変奏され、拡張され続けてきた。完成された交響曲のみならず、未完成、草稿、習作、他者による再構築や変奏、そして編曲に至るまで、エルガーにとって「交響曲」は常に作曲家としての根幹を成す理念的中心であり続けた。その姿勢は、「交響曲」そのものが一つの精神的形式であることを、現代に向けて静かに語りかけている。

愛の音楽家エドワード・エルガー電子書籍はこちらからどうぞ

トップへ戻る