オルガンソナタ1番の管弦楽版

エルガーの交響曲第0番

エドワード・エルガーの交響曲第0番。
えッ?エルガーって生前2番までしか作曲していなくて3番が補完されて3曲しかないのでは?
という声が聞こえてきそうである。
1895年というエルガーがキャリア初期のころに作曲したオルガンソナタ第1番。これを1946年にゴードン・ジェイコブがオーケストラ編曲したものがある。
なんだ!インチキだ!
まあ、待って欲しい。
このオルガンソナタがまた初期のエルガーの傑作で、後のエルガー作品のエッセンスがこれでもかというくらいに込められているのだ。
後にエルガーの代名詞ともなるノビルメンテな曲想や、愛のあいさつなどの小品に見られるエルガーらしい優しさとメロディアスな表情。全体的にもロマンチックでシンフォニックな構成感。
だからこそジェイコブは管弦楽曲化を施したのだろう。実際にはブライトコプフ社が発案しエイドリアン・ボールトとキャリス・エルガーがジェイコブを紹介したという経緯がある。
出来上がった様は正に交響曲第0番である。
交響曲第0番という呼び方が決して一般的に定着しているわけではないが英国のエルガリアンの間ではそう呼ばれることがある。
元のオルガンソナタを知らずに、この管弦楽版を聞いても正に交響曲と信じたとしても何ら不思議ではない。

 

エルガー「交響曲第0番」――《オルガン・ソナタ第1番》における交響的可能性と後世の再構築

エルガーは、通例、2つの交響曲と、死後に補筆完成された《交響曲第3番(アンソニー・ペイン補完版)》を残した作曲家として認識されている。しかしながら、作品目録上は交響曲として分類されないにもかかわらず、しばしば「交響曲第0番(Symphony No. 0)」として言及される作品が存在する。それが、1895年に作曲された《オルガン・ソナタ第1番 変ト長調 作品28》(Organ Sonata No. 1 in G major, Op. 28)の、1946年にゴードン・ジェイコブ(Gordon Jacob)によって施された管弦楽編曲版である。

 

1. 原作:エルガーのオルガン・ソナタ

原曲《オルガン・ソナタ第1番》は、エルガーのキャリアの中期に位置づけられる作品であり、委嘱元であるロンドンの聖ジョージ礼拝堂の献堂記念式典のために急ぎ仕上げられたとされている。四楽章構成(I. Allegro maestoso, II. Allegretto, III. Andante espressivo, IV. Presto)から成り、全体として典型的な交響曲的な構成感を備えている点が注目される。とりわけ、冒頭楽章に現れるノビルメンテ(Nobilmente)風のモチーフや、旋律線におけるロマン主義的起伏、管弦楽法的観点からの発展可能性は、後年の交響曲第1番(1908年)にすら通ずるエルガー的語法の萌芽とみなされ得る。

 

2. 編曲の経緯と意図

この作品の編曲を発案したのは、出版社ブライトコプフ・ウント・ヘルテルであった。1940年代半ばにエルガー作品の再評価と復興の機運が高まる中、同社は英国の著名指揮者エイドリアン・ボールト(Adrian Boult)およびエルガーの娘キャリス・エルガー(Carice Elgar)を介して、管弦楽編曲の依頼先としてロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージック教授ゴードン・ジェイコブを推薦した。ジェイコブは、エルガー特有の管弦楽的色彩感と構築美を損なうことなく、あたかもエルガー自身が編曲したかのような慎重な筆致で管弦楽化を行っている。

 

3. 「交響曲第0番」という呼称

この編曲版に「交響曲第0番」という非公式な呼称が与えられたのは、作品の規模、形式、構造が、典型的な後期ロマン派交響曲の枠組みに合致していることによる。もちろんエルガー本人がそのように意図した形跡は皆無であり、作品番号も「Op.28」のまま据え置かれている。しかしながら、エルガリアン(Elgarians)と称される研究者・愛好家たちの間では、当作品の管弦楽版を交響曲第0番として扱う傾向がしばしば見られ、録音や演奏会プログラムでもこの呼称が用いられる事例が散見される。

 

4. 音楽的特徴とエルガー様式の先駆性

本作品に顕著なエルガー様式としては以下の点が挙げられる:

 

主題動機の明確な対比と回帰構造(特にI, IV楽章)

 

三連符を基調とした推進的リズム(特にフィナーレ)

 

和声における豊かな転調と、調性感の広がり

 

「愛のあいさつ」等にも見られる柔和な抒情性(特にIII楽章)

 

これらは、後年の交響曲やオラトリオにおいて展開される音楽的儀式性の萌芽ともいえ、単なる習作や場当たり的作品とは一線を画する完成度を誇る。

 

 

《オルガン・ソナタ第1番》の管弦楽編曲版に対して「交響曲第0番」と呼ぶことは、厳密な作品分類としては誤解を招く恐れもある。しかし、その音楽的内容・形式・構成感が交響曲的思考に深く根差しているという事実は否定し難い。したがって、これは単なるアレンジではなく、エルガー初期の交響的思考がいかにして熟成していったかを示す貴重な証言であり、ジェイコブの編曲はその可能性を照らし出した点で高く評価されるべきであろう。

 

 

上図は、エルガーのオルガン・ソナタ第1番(ジェイコブ編曲版、通称「交響曲第0番」)の4楽章それぞれにおける以下の要素を視覚的に比較したものである(仮の指標に基づく)。:

 

Melodic Complexity(旋律の複雑さ)

 

Harmonic Richness(和声の豊かさ)

 

Orchestration Density(オーケストレーションの密度)

 

以下各楽章の分析:

 

第1楽章 Allegro maestoso

構成:堂々たるソナタ形式で展開される。

 

旋律:高らかに歌われるテーマは後年の交響曲第1番を予感させるようなノビルメンテの精神を宿す。

 

和声と管弦楽:密度の高いオーケストレーション、豊かなハーモニー。ジェイコブの編曲は原曲の厳かなオルガン効果を、ブラスやストリングスを駆使して巧みに移植。

 

第2楽章 Allegretto

構成:スケルツォ風ながら、むしろ間奏曲的な軽やかさ。

 

旋律:明快で親しみやすい。舞曲風の要素とエルガー特有の翳りが交錯。

 

和声と管弦楽:木管や弦のやり取りに細やかな陰影が見られ、全体的に軽やかだが色彩感に富む。

 

第3楽章 Andante espressivo

構成:オルガンの持続音効果を反映した、しっとりとした楽章。

 

旋律:感傷的で穏やか。『エニグマ変奏曲』の“Nimrod”に通じる精神性が先取りされている。

 

和声と管弦楽:穏やかで豊か、特に中音域での弦楽器の重ね方が印象的。ジェイコブの管弦楽法が光る。

 

第4楽章 Presto

構成:終楽章にふさわしい力強さと推進力。

 

旋律:ロマン的な昂揚を伴いながら疾走する主題が特徴的。

 

和声と管弦楽:金管や打楽器も大きく活躍、終結に向けて熱量を増していく構成。

 

この編曲版を「交響曲第0番」とする呼称は、形式的にも音楽的にも一定の妥当性があり、実際にジェイコブの手による再構成は単なるオルガン曲の編曲という枠を超え、初期エルガーの交響的想像力を見事に具現化している。とりわけ、第1楽章と第4楽章には後年の交響曲群との連続性が強く感じられる。

 

 

上のグラフは、ゴードン・ジェイコブによるエルガーの《オルガン・ソナタ》のオーケストレーション技術を各楽章ごとに分析・可視化したもの。以下はそれに基づく音楽的分析。

 

第1楽章:Allegro maestoso

金管の使用が最も高く、荘厳でノビルメンテな響きを強調。

 

弦楽器も重厚なテクスチャを形成し、交響曲の開幕にふさわしい威厳を創出。

 

ジェイコブは金管と弦を対比させ、エルガーらしいブリティッシュ・ノーブルな感触を見事に再現。

 

第2楽章:Allegretto

木管の色彩的な使い方が際立つ。フルートやクラリネットによる軽快なフレージングが印象的。

 

弦と金管は抑制されており、軽やかな舞曲的性格を活かした編曲。

 

ジェイコブの室内楽的感覚が最も発揮される楽章といえる。

 

第3楽章:Andante espressivo

弦楽器の表情豊かなテクスチャが最も深く、内省的かつ感傷的な雰囲気を支配。

 

木管の対旋律やハーモニー付けが非常に繊細で、ジェイコブの書法の緻密さが光る。

 

打楽器は最小限だが、その沈黙がかえって効果的に機能している。

 

第4楽章:Presto

金管と打楽器の使用が再び活性化。特にトランペットとティンパニが推進力を与える。

 

弦楽器も旋律とリズムの双方で活躍、推進力と広がりを支える。

 

クライマックスに向けての加速と構築力において、ジェイコブのオーケストレーターとしての手腕が際立つ。

 

 

ジェイコブは単にオルガンの音を管弦楽に置き換えたのではなく、各楽章の性格に応じて構造的・色彩的なバランスを再構成している。エルガーの語法を深く理解したうえで、必要な場面では管弦楽法の知識を巧みに用い、結果として「交響曲第0番」ともいうべき統一感ある作品へと昇華させた。

 

 

以下に、ゴードン・ジェイコブによるエルガー《オルガン・ソナタ》のオーケストレーションにおける具体的な書法技術を、各セクションごとに詳しく解説。オルガンという単一の音源から、シンフォニックな豊かさを引き出すために、ジェイコブが用いたテクニックは非常に高度で、エルガー語法への深い理解に基づいている。

 

1. 弦楽器の扱い

分割(divisi)とレジスター配置
第1楽章 Allegro maestoso 冒頭の荘厳な主題:

 

*第1ヴァイオリンを3分割(divisi in 3)*し、オルガンの密集和音(クローズド・ポジション)を再現。

 

第2ヴァイオリンとヴィオラに対してもクロス・ヴォイシング(声部が交錯する配置)を用い、縦方向の充実した音響を実現。

 

チェロとコントラバスは強拍にユニゾンで配置され、管楽器と同様のリズム構造を補強。

 

カンティレーナ様式
第3楽章 Andante espressivo では、第1ヴァイオリンに旋律、第2ヴァイオリンに対旋律を配し、ヴィオラ以下で細かい分割和声を構築。

 

エルガー的な「歌う弦楽器」の処理を模倣し、弦楽四重奏のような内声の流れを大切にしている。

 

2. 木管楽器の処理

色彩と重ね
第2楽章 Allegretto での重要ポイント:

 

クラリネットとフルートのユニゾン、またはオクターブ重ねによる軽やかな音彩。

 

オルガンでのセッティングでは1+2フィートなどの「明るく細いストップ」に相当。

 

オーボエとファゴットはリズム付けや、和声埋めに特化して使い分けており、不要に厚くしない。

 

二重奏的対話
複数の木管が「呼びかけと応答」(call and response)を交わすように使われており、交響曲的会話性が生まれている。

 

3. 金管楽器の構造

典型的な「エルガー・ブラス」
第1楽章と第4楽章のクライマックスでは、

 

トランペット3本に加えてホルン4本+トロンボーン3本+チューバの完全な布陣。

 

これにより、オルガンペダルの**低域持続音(32’ストップ)**のような効果を出している。

 

特にクライマックスでのホルンの強奏(f)をトロンボーンとユニゾンさせる手法は、エルガー自身の交響曲第1・第2番に倣った処理。

 

内声処理の巧みさ
**金管の中声部(ホルンとトロンボーン)**で和声を支え、トランペットは旋律の強調に使われている。

 

ジェイコブは決して厚塗りせず、声部の透明感を重視。

 

4. 打楽器の使用

芸術的節制とアクセント効果
ティンパニは基本的に拍の補強に留まり、ffの時も他の楽器とのバランスを崩さないように慎重。

 

シンバルやトライアングルはクライマックスのみに限定して使用。過剰にロマンティックにせず、儀式的な荘厳さを保持。

 

5. テクスチュアと音響バランス

オルガン的テクスチュアの再現
ジェイコブはオルガンの複数マニュアル(鍵盤)を用いたレイヤー的音響を、管弦楽の複層的編成で翻案。

 

高音域のフルート/弦と、低音域のファゴット/ホルンが同時に独立したリズムやラインを展開し、「ストップの切り替え」に近い効果を生んでいる。

 

 

ジェイコブの編曲は単なる管弦楽化ではなく、「エルガー語法の翻訳」ともいうべき繊細な構造的対応に満ちている。特に、声部の独立性、縦の和声の充実、音色の階層化は、彼が優れた作曲家・理論家・教育者として知られたゆえの業績である。結果的にこの作品は単なる編曲ではなく、エルガーのもうひとつの交響曲的世界の創出として、交響曲第0番と呼ばれるに相応しい内容を持つ。

 

 

 

ジェイコブによるオーケストレーションの特徴的手法
第1楽章 冒頭(オルガン冒頭の和音進行)

オルガン版では、Cメジャーの三和音(C–E–G)に始まり、Dマイナー、Eマイナーと続く典型的なロマン派風の和声進行が、フル・オルガンのレジストレーションで表現されている。

 

ジェイコブのオーケストラ版では:

 

弦楽器が基本和音を分散和音で展開し、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの内声で C–E–G をアルペジオ的に処理。

 

木管(主にフルートとクラリネット)がその上に旋律的なラインを重ね、音響に透明感を与える。

 

ホルンとトロンボーンが内声の持続音を補強し、荘厳な響きを構築。

 

ティンパニはC音をロールし、荘厳さを下支えする。

 

特筆すべき分割技法

弦楽器のdivisiが多用されており、ヴィオラやチェロが和声の厚みを内声で担いつつ、コントラバスはルート音の持続で重厚感を演出。

 

第2楽章では、ヴィオラが16分音符で分割され、オルガンの分散和音の運動感を模倣している。

 

金管の使用法
フル・コーラスでは、ホルンがメインの和声構造を担い、トランペットとトロンボーンがポイントでファンファーレ的に強調。

 

特に終楽章では、金管群がffで鳴る場面があり、原曲のクライマックスの圧倒的ボリュームを倍加している。

 

ティンパニと打楽器の導入
原曲にない打楽器(バスドラム、シンバル、ティンパニなど)が導入され、楽章終盤の頂点をダイナミックに強調。

 

第1楽章の終止ではティンパニがC音とG音を交互に叩き、トニック・ドミナントの確立をオーケストラ全体で支える。

 

 

ゴードン・ジェイコブの編曲は、単なる管弦楽化にとどまらず、エルガーのオルガン書法の背後にある交響的構想を見事に顕在化させたものである。各パートの機能的分担、金管の強調、弦の分割使用、さらには打楽器の導入といった多角的なアプローチにより、作品は堂々たる交響曲第0番と呼ぶにふさわしいスケールを獲得している。

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