メンゲルベルクの遺産に宿るエルガー──ボールトが呼び覚ます“本国の声”
忘却の淵に灯された炎:1940年ボールト×コンセルトヘボウの“奇跡的エニグマ”
1940年2月29日、アムステルダム。
その日コンセルトヘボウのステージに立ったエイドリアン・ボールトは、単に客演指揮者として英国音楽を紹介しに来たわけではなかった。彼がその腕中に抱えていたのは、当時イギリス国外で急速に忘れ去られつつあったエドワード・エルガーの音楽そのもの、そして“英国音楽文化の記憶”そのものである。
エルガーが亡くなってわずか六年。第二次大戦前夜のヨーロッパでは、芸術界は民族主義的傾向や政治的圧力の波に揺さぶられ、エルガーのロマン的語法、英国田園精神に根ざした感性は“時代遅れのもの”“大陸の前衛潮流とは無縁のもの”として扱われがちだった。エルガー自身、生前から国際的評価は不安定だったが、亡き後はさらにその存在感を薄めていた。
このような時代の空気を背負って、ボールトはヨーロッパにおけるエルガー再評価の火を消してはならないという使命感のもと、この《エニグマ変奏曲》を携えてアムステルダムにやってきたのである。
■ ボールトの棒に宿る“責務感”と“静かな情念”
演奏が始まるとすぐ、それはただの1910年代英国の再現演奏ではなく、極めて個人的で、しかし普遍性を帯びた語りであることが伝わってくる。テンポは若いころのボールトらしく速すぎず遅すぎず、ほとんど揺れない。それは語り手の自我を排し、作品に語らせるという確信の現れであり、技巧的誇張とは無縁のアプローチだ。
しかし、その中には沈潜した激情がある。
「これはただの音楽ではない。大陸にいるあなたたちに伝えねばならない“英国の声”なのだ」という静かな炎のような表情だ。
後年のスタジオ録音に見られる“老練の静けさ”とは異なり、ここでは若々しい誠実さと使命感が混じり合っている。
■ メンゲルベルク時代のコンセルトヘボウ、その驚異的機能美が生む異種結合
この演奏が唯一無二の価値をもつ最大の理由は、当時のコンセルトヘボウの卓越した機能性と、ボールトの英国内的感性が奇跡的に合致した点にある。
メンゲルベルクのもとで鍛え上げられたアンサンブルは、
・完璧なアタックと統一されたボウイング
・柔軟だが節度あるアゴーギク
・縦の線の揺るぎなさ
・木管セクションのヨーロッパ随一の練達
を備えており、イギリスのオーケストラ(当時のBBCやLPO)では得られない“硬質で透明な強度”を作品にもたらす。
《Nimrod》では、英国的な“湿り”よりもむしろ、北方の澄んだ空気のような透明感を帯びた音の膨らみがあり、“感傷”より“精神性”が前面に出る。ボールトの抑制された呼吸のなかで、オケはあくまで端正に、しかし確かな重量感を持って応える。
この「英国的抒情 × 大陸的機能美」という異種交配は、たとえロンドンフィルやBBC響であれ再現不能な響きであり、この録音をほとんど奇跡的な存在にしている。
■ 諸変奏と最終変奏の“緊張の交点”
諸変奏に入ると、ボールトの誠実な構成感がさらに明確になる。
オーボエの独奏、木管の透明な重なり、弦の精密なイントネーション――どれもメンゲルベルク時代のRCOならではの成果で、英国のオーケストラとはまるで別世界の緻密さだ。
特筆すべきは終曲〈E.D.U.〉。
ボールトは興奮に任せたスケール拡大ではなく、楽曲が自然に向かうべき頂点を正確に見据え、構造的にクレッシェンドさせていく。一方でオケは譜面の細部を完璧に再現し、過剰に走らず、重すぎず、極めて精密なリズム維持で応える。その“誠実さの共鳴”こそボールトの理想そのものであり、また同時にメンゲルベルク時代のRCOの最高の美質でもある。
最終和音が打ち鳴らされた瞬間、聴き手はただの《エニグマ変奏曲》の演奏を聴いたのではなく、「大陸が英国音楽を全身で受け止めた瞬間」に立ち会ったかのような感覚を覚える。
■ 歴史の流れの中で聴くべき録音
1940年2月という時点は、欧州がいよいよ大戦の只中に呑まれていく直前である。
その中で、ボールトは英国の文化的自画像ともいえるエルガーを掲げ、アムステルダムに持ち込み、国境を越えて響かせた。この録音には、音楽を通じて文化が生き残り、受け継がれるべきだという強い意思が刻まれている。
■ エルガーを救わねばならないという使命感
■ 大陸の名門が全力で応えた音楽的誠実さ
■ 文化的断絶の前夜に記録された“架け橋”の響き
これらがひとつに交わった結果、この1940年の演奏は、単なる“珍しいライブ録音”ではなく、
"エルガー演奏史の中でも最重要級に位置づけられる歴史的瞬間"
となっている。
ボールトはその4年前の1936年にBBC響を指揮して同曲を録音している。これと比べてもわずか4年の開きしかないにも関わらずかなりどっしりと落ち着いた面持ちを見せる。比較して聴いてみていただきたい。
今日これを聴くことは、エルガーの音楽が忘却の淵から救われていった過程、そしてその背後で黙々と尽力したボールトの精神を追体験することにほかならない。
1940年アムステルダムライブ
1936年BBC響


