《ゲロンティアスの夢(The Dream of Gerontius, op. 38)》

デル トラウム デス グロンテォウス

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エルガーの「ゲロンティアスの夢」ドイツ語版。
カーディナル・ニューマンによる原作もエルガーのオリジナルは英語なのになぜドイツ語版なのか?
それは同作品の初演時のエピソードに由来する。

 

 

1900年、エルガーにとっては自信作であった「ゲロンティアスの夢」の初演は惨憺たる失敗に終わってしまった。それは作品自体に責任があるわけではなかった。
ただただ不運な出来事が重なってしまった結果のものである。
しかし、初演を聴いたドイツ人指揮者のユリウス・ブーツは、この作品の魅力にいち早く気づき、彼の本国での演奏を実現させるべくドイツ語への翻訳を急いだ。

 

結果ブーツの指揮により、ロウアーライン音楽祭で演奏された「ゲロンティアスの夢」は爆発的歓声の中大成功を収めた。隣席した作曲家エルガーは「何度も何度も拍手に応えるために立ち上がらなくてはならなかった」と、娘キャリスへの手紙に記している。

テキストの画像のようです

娘キャリスにデュッセルドルフからエルガーが投函した手紙。そこにはデュッセルドルフの聴衆の熱狂の様子が綴られている。

 

 

 

本国よりも先にドイツで大評判になったのであった。そのドイツでの評判を受けて本国でも受け入れられたのは初演から3年後の1903年のことであった。
さて、そのブーツによるドイツ語版の録音がハンス・スワロスキー指揮により1960年にウィーンで実現している。
確かに、まるでメンデルスゾーンのオラトリオやバッハの受難曲を聴いているような不思議な感覚である。
ドラマティックな第二部での盛り上がりなどドイツ語ならでの高揚感もあり、中々興味深く聴くことができるものとなっている。
1902年にデュッセルドルフの聴衆が熱狂したであろう様子を想像しながらこの録音を聴くのも悪くない。

デル トラウム デス グロンテォウス

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