モールヴァン・ウェルズの家「クレイグ・リー」

モールヴァン・ウェルズの家「クレイグ・リー」

愛の音楽家エドワード・エルガー

愛の音楽家エドワード・エルガー

 

エルガーが住んだ年代=1899~1904

 

 ここで作曲された主な作品
  オラトリオ《ゲロンティアスの夢》の一部(1900)
  管弦楽曲 行進曲《威風堂々第1番》(1901)
  管弦楽曲 行進曲《威風堂々第2番》(1901)
  管弦楽曲 序曲《コケイン》(1901)
  オード《戴冠式頌歌》(1902)
  歌曲《希望と栄光の国》(1902)
  オラトリオ《使徒たち》(1903)
  管弦楽曲 序曲《南国にて》(1904)

 

モールヴァン・ウェルズに建つ家「クレイグ・リー」は、エルガーの生涯において名声が現実の生活空間へと流れ込んだ最初の場所である。1899年から1904年までのわずか5年間に、この家で生み出された作品群の質量は、エルガーの全創作史を俯瞰しても際立っている。ここは単なる「代表作の多産期」ではない。エルガーという作曲家が、地方性を保持したまま国家的作曲家へと変貌していく、その最も微妙で不安定な均衡点なのである。

 

「クレイグ・リー」という家名が、エルガー一家三人――エドワード、アリス、娘キャリス――の名を組み替えたアナグラムであることは、偶然ではない。ここでは、作曲家としての公的エルガーと、夫・父としての私的エルガーが、意識的に同一の空間へと封じ込められている。これはフォーリ時代のような「逃避の住処」ではなく、成功を引き受けるために設えられた家であった。

 

モールヴァン・ヒルを背に、セヴァーン地方を見下ろすその眺望は、象徴的ですらある。地方に身を置きながら、視線だけは遠く、コッツウォルズの彼方まで届く。この視界の広がりは、そのまま作品のスケールへと反映されていく。《威風堂々第1番》《第2番》、序曲《コケイン》、そして《戴冠式頌歌》《希望と栄光の国》――これらは明らかに、エルガーが「地方作曲家」であることをやめ、帝国的祝祭の音楽家として呼び出された証拠である。

 

しかし重要なのは、その一方で《ゲロンティアスの夢》の作曲がこの家で続けられ、《使徒たち》という宗教的・内省的作品が生まれている点である。祝典と信仰、公共性と孤独、喝采と疑念。その両極が、同じ屋根の下で同時進行している。エルガーはここで、外向的な栄光と内向的な不安を、いずれかに収斂させることなく、並存させる作曲技法と精神構造を獲得した。

 

序曲《南国にて》が示すように、この時期のエルガーの音楽は、視線が遠くへ向かうほどに、逆説的にノスタルジアと翳りを帯びていく。成功は彼を解放したのではなく、むしろ新たな緊張を課した。その緊張を日常生活の中で引き受けるための器として、「クレイグ・リー」という家は存在していたのである。

 

数あるエルガーの家の中で、この場所が特別な磁力を放つのは、そのためだろう。フォーリが「挫折が様式へと転化する場所」であったなら、クレイグ・リーは成功がなお未完であり続けることを示す場所である。ここでは、名声はまだ安定していない。だからこそ音楽は最も張り詰め、最も生々しく、そして最もエルガー的なのだ。

 

《エニグマ変奏曲》によって扉を開いた作曲家は、この家で初めて、その扉の向こう側の世界に足を踏み入れた。しかし彼は決して完全には移住しなかった。モールヴァンに留まり続けたその姿勢こそが、エルガーという作曲家の本質を、何よりも雄弁に物語っている。
筆者が見て回ったエルガーの家では、この「クレイグ・リー」が最も気に入っている。1999年には23万ポンド(約4千6百万円)で売りに出ていたが、状況が許すなら自分で本当に買い取ろうかと思ってしまった位である。

 

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日本エルガー協会新刊「エルガーの最後の審判-語られなかった真の作曲家像」はこちらから

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