エルガーの「連合の歌」
――1924年エルガー晩年様式の一断面
1924年、ロンドン・ウェンブリースタジアムで開催された大英帝国博覧会は、エルガーにとって創作史上きわめて象徴的な場であった。実行委員会の委嘱により作曲された《帝国のページェント》および《帝国行進曲》は、いずれもこの博覧会を契機に初演され、エルガー最後期の「公的音楽」として位置づけられる。
しかしながら、開幕式において《帝国のページェント》ではなく、《希望と栄光の国》合唱版が国王ジョージ5世の意向により選択された事実は、エルガーと国家権力との緊張関係を如実に示している。この出来事は、エルガー自身にとって精神的打撃であったと同時に、彼の後期様式を理解する上で重要な契機と見ることができる。
《帝国のページェント》第8曲〈連合の歌〉の旋律は、そうした状況下で生まれたにもかかわらず、エルガー自身が強い愛着を示した素材であった。注目すべきは、この旋律が単一の作品に留まらず、複数の作品において反復的に用いられている点である。
まず、《帝国行進曲》において〈連合の歌〉の旋律は、行進曲のトリオとして再配置される。主部ではなくトリオに置かれたことは偶然ではなく、旋律が儀礼的中心から一歩距離を取った位置で機能していることを示している。この配置は、エルガー後期に顕著な「中心を回避する構造」の一例と解釈できよう。
さらにこの旋律は、エルガーの死後、アンソニー・ペインによる補完によって完成した《威風堂々》第6番にも引用されている。この場合、素材の選択がペイン自身による可能性も否定できないが、エルガーのスケッチに基づく引用であることを考えれば、旋律そのものの帰属はエルガーに求めるべきであろう。
同様に、ポール・エイドリアン・ルークによって補完された三楽章のピアノ・トリオ第3楽章《グラフトン・マーチ》にも、同一旋律が確認される。この作品はエルガーの姉ルーシー(ポリー)とその家族、グラフトン家との私的な関係に結びつけられており、旋律はここで公的・帝国的文脈から完全に切り離され、親密な私的領域へと移行する。
以上を総合すれば、〈連合の歌〉の旋律は1924年に成立し、
《帝国のページェント》
《帝国行進曲》トリオ
《グラフトン・マーチ》
という複数の作品にまたがりながら、異なる機能と意味を与えられていったと考えられる。この旋律は、帝国的共同体を象徴する主旋律として提示されることなく、むしろ周縁的・回想的・私的な空間へと段階的に移動していく。
その過程は、エルガー晩年における創作姿勢――すなわち、壮大な公共的声明を避け、縮減された形式の中に記憶と関係性を封じ込める態度――を端的に示すものである。〈連合の歌〉は、エルガーが最後に保持し続けた「共同体の旋律」であると同時に、その共同体がもはや単一の国家像ではありえなかったことを静かに物語っている。
連合の歌(1924)
帝国行進曲(1924)
3楽章のピアノトリオの第3楽章グラフトンマーチ(1924)
行進曲「威風堂々」第6番(1933-2006)







