2007年製作再現型コンサート「エルガーとアリス」
―― 愛と創作の核心にまで踏み込んだ、日本発エルガー表現の到達点 ――
この《再現型コンサート「エルガー&アリス」》は、単なる作曲家紹介劇でもなければ、名曲を並べただけの音楽劇でもない。
エドワード・エルガーという人物と、彼の創作の根幹にあったアリスという存在を、真正面から、しかも極めて真摯に描こうとした作品である。
日本エルガー協会が後援・協力したことは、この作品が「イベント的企画」ではなく、思想と研究、そして愛情を伴った創作行為であったことの証左だろう。
Ⅰ. 「再現型」という形式が持つ、本質的な意味
本作が優れている最大の理由は、「再現型コンサート」という形式を、単なる“歴史再現”に終わらせていない点にある。
エルガーの人生を年代順に追い、
代表作を配置し、
分かりやすく説明する――
そうした「通り一遍の構成」は、意識的に避けられている。
代わりにこの作品が選んだのは、
エルガーの内面
アリスとの関係性
創作の背後にある感情のうねり
社会的孤立、宗教的少数派としての意識
成功と不安の交錯
といった、**音楽史の教科書には書かれにくい“人間エルガー”**への深い切り込みである。
そのため、この舞台を観ていると、
「エルガーの音楽がなぜこのような音をしているのか」
という問いに、理屈ではなく感覚として答えが返ってくる。
Ⅱ. エルガー作品の使い方 ――“BGM”ではない配置
作中で使用されるエルガーの楽曲は、決して雰囲気づくりのための背景音楽ではない。
登場人物の心理を補足し
台詞では語られない感情を代弁し
時に沈黙より雄弁に状況を語る
その使い方は、音楽が「登場人物の一人」として舞台に存在していると言ってよい。
特に印象的なのは、
楽曲が「名曲だから使われている」のではなく、
「この場面で必要だから、この曲が鳴る」
という必然性をもって配置されている点だ。
これは、エルガーの音楽を“愛好している”だけでは不可能で、
エルガーの精神構造そのものを理解しようとした人間にしか出来ない仕事である。
Ⅲ. オリジナル曲「ホーリーブライド」――最大の驚きと敬意
本作の中で、最も象徴的で、かつ勇気ある試みが、
オリジナル曲 《ホーリーブライド》 の存在である。
エルガーの生涯と音楽を描く舞台で、
あえて “エルガーではない音楽” を挿入する。
これは非常にリスクの高い選択だ。
しかし、この曲は失敗していない。
むしろ、この舞台の精神的核心を担っている。
◆ なぜ成功したのか
メロディが甘く、美しく、印象に残る
和声語法がエルガー的ロマン主義の延長線上にある
過度な模倣ではなく、「影響を受けた者の言葉」になっている
“アリスへの想い”を象徴するテーマとして機能している
特に、エルガーとアリスの婚礼シーンでこの曲が流れる瞬間、
観る者は一瞬、
「これはエルガーの未発見作品なのではないか」
と錯覚するほど自然に舞台世界に溶け込む。
だが同時に、
それが“現代の日本人がエルガーに捧げた音楽”であることも、はっきりと伝わってくる。
ここに、この作品の最も深い敬意がある。
Ⅳ. 表面的でない「愛」が貫かれているということ
この作品には「何気に完成度が高い」 という言葉では足りないほどの密度がある。
それは、
エルガーを偶像化しない
偉人として持ち上げすぎない
苦悩や弱さも正面から描く
それでも音楽が生まれた理由を信じている
という、非常に成熟した愛情があるからだ。
ファンによる作品は、時に「賛美」に傾きがちだが、
この舞台は賛美ではなく、対話をしている。
エルガーと。
アリスと。
そして観る側自身と。
Ⅴ. 日本エルガー協会の役割が、ここに可視化されている
このようにエルガー愛を抱いている人はまだまだいる
日本エルガー協会は、そういう人たちを繋いでいく役目を担えれば
この言葉は、この《エルガー&アリス》という作品そのものが、
すでに一つの答えになっている。
演劇という形で
音楽と物語を融合させ
専門家でも一般聴衆でも心に届く表現を行い
それを協会が支え、世に出した
この実践こそが、
「エルガー愛をつなぐ」という使命の、最も説得力ある実例である。
再現型コンサート《エルガー&アリス》は、
日本におけるエルガー受容史の中でも、特筆すべき到達点である。
それは、
演奏史でも、研究書でもなく、
“表現”というかたちでエルガーの核心に触れようとした稀有な試みだ。
そして何より重要なのは、
この作品が「過去を保存する」だけでなく、
未来へ手渡すためのエルガーを描いているという点である。
この舞台が存在したこと、
それを支えた人がいたこと、
それを評価し、つなげようとする人々がいること――
そのすべてが、
エルガーの音楽が今も生きている証拠なのだと、
この映像は静かに、しかし確かに語っている。





