《ゲロンティアスの夢(The Dream of Gerontius, op. 38)》

尾高/大フィルのゲロンティアス

開催日時:2025.4.11 (金) 19:00

 

会  場:フェスティバルホール

 

 

指揮:尾高忠明

 

メゾ・ソプラノ:マリー=ヘンリエッテ・ラインホルト

 

テノール:マクシミリアン・シュミット

 

バリトン:大山大輔

 

合唱:大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:福島章恭)

 

 

 

エルガー/オラトリオ「ゲロンティアスの夢」作品38

 

 

 

 

日本人指揮者によるエルガー演奏の最高権威であり、日本人としてただ一人のエルガーメダル受賞者である尾高忠明。
これまでの活動でエルガーの交響曲を始めとする管弦楽作品の演奏には定評があるのは衆目の知るところ。
しかし、なぜかエルガーの大規模な宗教的声楽作品には手をつけてこなかった。
ウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」を得意にする尾高氏。「ベルシャザール」も彼の得意のレパートリーである。
あの「ベルシャザール」の完成度を見るにつけて、ぜひエルガーの宗教曲を手掛けて欲しいと待望論は久しかった。
それがいよいよ実現したのである。

 

全体的な完成度は結果的には想像以上の大名演となったといえるだろう。
生意気な言い方かもしれないが、空前絶後の名演とするために陰ながら私なりの「仕掛け」を施するという企みがあった。少しでもこの名演に関与していたかったという思いもあった。
以下ポイントごとに解説してみたい。

 

 

①速めのテンポ感
まず、今の尾高氏なら速めのテンポ設定を取るだろうなと予想していたが、正にその通り。ブリテン盤より少し遅い程度。
終演後尾高氏にテンポの件を聞いたところ「合唱団が言葉のノリが良くなるテンポ設定を意識した」とのこと。これは功を奏したといえるだろう。
このテンポの話の中で、こちらもつい口を滑らせてしまったのであるが、「大友さんは最後に向けてテンポを落としていました」。
「あ、しまった」と思ったが仕方ない。
他の演奏者の感想やレビューは、なるべく口にしないようにこれまで努めていたのであるが、話の流れで「大友直人」の名前を出してしまった。いわば、ジャイアント馬場にインタビューしている時に「アントニオ猪木」の名前を出すようなものだ。プロレス雑誌の記者さんは結構神経を使っていたらしい。
しかし、そこは日本の御大尾高氏は動ぜず「そうですか」とニヤっと笑みを見せていた。それ以上聞くのは野暮だろう。

 

②テノールのシュミットさん
尾高氏が大フィルでゲロンティアスを演奏する条件として「この曲をやれる良いソリストがいるのなら」ということを上げてきたそう。そこで白羽の矢が立ったのがジョナサン・ノットの時もタイトルロールを歌ったマクシミリアン・シュミット。
このシュミットさんがぺーター・シュライヤー系の泣き声テノール。正にこれが死を間際にした重病人ゲロンティアスのキャラクターにピッタリの悲壮感を醸し出していたのだ。前回は声量バランスで少々懸念があったが今回は申し分のない余裕が感じられた。7年前にジョナサン・ノットの指揮でゲロンティアスを歌ったという経験は生きているのだろう。

 

③天使のアレルヤ
今回、私が関与した仕掛けがこの件。
私は「ゲロンティアスの夢」には12という秘密の番号が隠されているということを解説した。
その中にトリプルAというものがある。トリプルAを成立させるために、かなり入念な仕込みを行ったのである。

 

魂となったゲロンティアスは一瞬だけ神の姿を見ることになる=神の一瞥。それが練習番号120の付点2分音符のAだ。
これを中心に、その前に天使役が「アレルヤ」と高らかに歌う。この頂点がA。その後、審判の動機が12小節続いて「神の一瞥」がやってくる。その直後にゲロンティアスは「Take me Away」と叫ぶ。この最高点がA。つまりこの3つのAはセットになっている=トリプルA。
しかし、天使役の声部メゾソプラノもしくはアルト。かなりキツイのでエルガーはAではなくEでもよいと楽譜に記した。
これは初演を勤めた、エルガーお気に入りのクララ・バットがAを出すのがキツイから、彼女だけは特別にEでもよいとお墨付きを与えたと考えている。つまり、ここはEで歌ってよいのはクララだけなのだ。
中にはEを歌う歌手がたまにいるのだ。例えば、ボールト盤で天使役を歌ったヘレン・ワッツなど。
しかし、これをやられるとトリプルAが成立しなくなる。
だから、今回の天使役マリー=ヘンリエッテ・ラインホルトがもし下歌いをやってきたら、本棒から上記のことを説明してもらってできれば上を歌って欲しいと説得して欲しいという意味を込めて尾高氏には事前に文書にまとめたレポートをお渡しした。
結果的にこの作戦が功を奏したかわからないが、ラインホルトは無事に見事にAで歌いきってくれた。
少なくとも尾高氏に渡したレポートの内容は、尾高氏から演奏者や事務局には伝えて説明してくれたそうである。
そして、今回の実演で気が付いた点もある。
ゲロンティアスが度々、天使に「私は神様に会うことはできるのでしょうか?」と尋ねる。
その度に120番で演奏されるテーマが奏される。今回日本語字幕が表示されていたので、その言葉の意味と音声がシンクロで感じることができたので、そのことが極めて分かりやすく提示されたのである。
正に120番の「神の一瞥」が本当に神の描写であるとあらためて確信するに至ったのである。

 

④合唱団
合唱団は素晴らしかった。ステージでの立ち振る舞いとかマナー。口の開け方、声質の揃え方、衣装などなど。実はその合唱団の実力というかリテラシーが、こういう点で程度露呈してしまうもの。そういう意味で大フィル合唱団はかなりのレベルであることがわかる。表現力も素晴らしい。ステージマナーにおいても、最後の捌け方にしても美しく一礼してから捌けるとか、とてもよく訓練されているということを物語っており好感が持てるものであった。

 

⑤一部と二部を続ける意味
今回の演奏の大きな特徴。通常は休憩をはさむはずの1部と2部の間。ここは続けて演奏された。
聴衆にとってはトイレ休憩なしなのでそれなりに負担を強いられる。
しかし、実際聴いてみて、その意図が何となくわかった気がする。
これはちょっと尾高氏に聞き忘れたので次の機会に聞いてみるが。1部の終わりの「Throu the Same」のバックのオケ伴奏と第2部冒頭のピアニッシモで始まる管弦楽の親和性の強調だと思われる。あれは続けて聴かせるから意味がるということなのだろう。
実際に続けて聴いてみるとそういうニュアンスが強く感じられるのだ。

 

⑥オルガン
唯一のハンディキャップがこれ。大阪フェスティバルホールにはパイプオルガンが設置されていない。この曲にオルガンの効果は不可欠だ。特に練習番号100と101を繋ぐC音。小型のオルガンで代用していたが、やはり限界がある。これは仕方がないか。

 

⑦ステージの反響版
大阪フェスティバルホールは非常に個性的な造り。建築デザイナーのこだわりが至るところにある。特筆すべきなのがステージ後方と側面の反響版だ。あの形状は上方向に飛びがちな音を下方向に跳ね返す構造である。通常、音というものは上方向に向かってしまう。
それをぶつかった音があえて下方向に向かうように考えられた形の反響版となっているのだ。
一階の前の方に座ると意外にオケの音が聴こえにくくなる。それを考慮した造りだろう。

 

⑧ソリストの歌い出しの前に注目
今回注目していたのがこれ。ソロが歌い出す前の表情。顔がよく見える前から3列目だったので大変よく見えた。しかし演奏者にとってはイヤな客である。しかし、これ重要だったりする。司祭を歌ったバス、楽譜を持つ手が震えていたのも見えた。それくらいの気合の入り方を直に感じることができた。

 

⑨観客のリアクション
お客さんの反応も素晴らしい。フライングなんちゃらもなかった。ただ、あまりにも馴染みのない曲ゆえ、妙に淡泊だった。このクオリティで東京で演奏していたら、もうそれはそれは延々とカーテンコールが鳴りやまなかったくらいだろう。尾高氏は何度もステージに呼び出されて、トレードマークとなった「おねんねポーズ」を何度もする羽目になったことは想像に難くない。ま、考えてみれば過去7回日本で実現した「ゲロンティアスの夢」。全て東京、川崎といった関東。初めて首都圏以外での演奏だから仕方ないといえば仕方ないのだろう。

 

 

Conductor: Excellent 5
Orchestra:Excellent 5
Solist:Very Good 4.5
Chorus:Exellent 5
Audience:Good 4
publicity:Good 4

 

27.5/30
92%

 

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