希望と栄光の国

「神」の声キャスリーン・フェリアー

「神」の声キャスリーン・フェリアー

 

 

「神」の声を持つ歌手。フェリアーのことを本当にそう思う。
圧倒的な表現力、声量豊かにして繊細さをも同時に合わせ持つ奇跡の歌声。
もともと英国には良質なアルト歌手が多く育っているのであるが、その中でも圧倒的な存在感を放っているのがフェリアーだと思う。

 

フェリアーもまた若くして病に倒れて演奏家として活動は極めて短いものであった。まるで彗星のように現れ、あっという間に人々の前から去ってしまった。

 

誰かに似ているではないか。
そう、ジャクリーヌ・デュ・プレである。
この二人はけっこう共通点があるのだ。
演奏家としての短い活躍期間。それにあまり幸せでなかった結婚生活の末の離婚。

 

彼女の活動の中で最も有名なのがブルーノ・ワルター指揮、ウィーンフィルと組んだマーラーの大地の歌の録音であろう。
確かにこれを超える名演はなかなか出ないだろうと思われるほどの世紀の遺産である。

 

しかし、バルビローリと組んだキャリア最晩年に録音したエルガーの希望と栄光の国、これも超ド級の名演となっている。
以下に紹介するクリストファー・フィールドが記しているように、彼女はこのエルガーの作品を自らのレパートリーにすることを嫌っていた。
それは、クララ・バットのようなパワー系のコントラルトと同じように見られるのを嫌がっていたからという理由らしい。
しかし、この演奏はバルビローリのために特別に引き受けたものらしい。
そんな片手間な感じなのに、これほどの凄い演奏になる。
やはり、フェリアーは「神」の声を持っていたのだろう。
もう一つ紹介するのが「ゲロンティアスの夢」での守護天使役。これもコンサートではなくピアノ伴奏によるものだが、これがまたとてつもなく素晴らしいのである。
本当にフェリアーの歌う「ゲロンティアスの夢」の全曲があったなら、それこそ歴史がひっくり返るほどの事態になっていたことだろう。
これを聴いただけでも本当にそう思う。

 

 

以下、Letter extracts from the book:- 'Letters and Diaries of Kathleen Ferrier' edited by Christopher Fifield.より

 

キャスリーン・フェリアーが『希望と栄光の国』を歌ったのはこの時だけで、1951年11月16日、戦時中の爆撃で大きな被害を受けたイギリスのマンチェスター・フリー・トレード・ホールのリニューアル・オープニングで、友人である指揮者サー・ジョン・バルビローリのために特別に歌った。

 

マンチェスター・フリー・トレード・ホールは、ハレ管弦楽団と合唱団の本拠地であった。 彼女は、数ヶ月にわたる放射線治療と根治手術の後、衰弱しきっていた。
それでも彼女は快諾し、ここでフェリアーはエルガーが書いたとおりにこの曲を歌っている。 過度に国粋的ではない---純粋なエルガーだ。 フェリアーは、第1次世界大戦中や戦後に力強く歌った20世紀初頭の大きな声のコントラルトと比較されるのを嫌ったため、『希望と栄光の国』を意図的にレパートリーに入れなかった。
当時、彼女はガンの治療により非常に疲弊していたのだが、友人に手紙を書いた。 戦争で爆撃された新しいホールのオープニングで女王(ジョージ6世国王夫人)も会場に来ていて、とても楽しそうだった。

 

その日、彼女はジョン・バルビローリ卿に未完成の手紙を書き送った。 キャスリーン・フェリアーは、病気と放射線治療の合間を縫って、1953年1月、ジョン・バルビローリ指揮、ロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場での『オルフェオとエウリディーチェ』のオルフェオ役での最後の公演まで歌い続けたのである。

 

キャスリーン・フェリアーは、2日目の夜の公演中に二次的な沈着物によって腰の片方を骨折し、それ以来人前でもレコーディング・スタジオでも歌うことはなかった-----1953年10月8日、41歳の若さでロンドンの病院で亡くなった。

 

この希少な演奏は、バルビローリ協会により復刻された歴史的記録となった。

 

 

 

フェリアーから見たクララ・バット

キャスリーン・フェリアーがエルガーの「希望と栄光の国(Land of Hope and Glory)」をレパートリーに加えることに消極的であった理由について、彼女自身の証言や当時の批評を総合すると、彼女が意識していたのはクララ・バットである可能性が高い。

 

クララ・バットは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した英国の著名なアルト歌手であり、力強い声量と堂々たる舞台姿勢で知られていた。彼女のレパートリーには「希望と栄光の国」などの愛国的なバラードが含まれており、これらの楽曲は当時の英国社会で広く親しまれていた。一方、フェリアーは自身の芸術的スタイルを、感情の繊細な表現や内省的な解釈に重きを置いており、バットのような「声の大きなアルト歌手」と比較されることを嫌っていた。

 

実際、フェリアーは自らの歌唱スタイルがバットとは異なることを強調しており、「私は声や歌唱スタイルのいずれにおいても、デイム・クララとは全く似ていない」と述べている。また、彼女がバットのような歌手と比較されることに苛立ちを感じていたことも記録されている。

 

しかし、指揮者ジョン・バルビローリの依頼により、フェリアーは1951年に「希望と栄光の国」を演奏することとなった。この演奏は、彼女の繊細で内面的な表現力が際立ち、聴衆に深い感動を与えたとされている。特に、彼女が力強く歌い上げた「Make me mightier yet(我をさらに強くせしめたまえ)」のフレーズは、彼女の芸術的成熟を示す象徴的な瞬間として評価されている。
musicweb-international.com

 

このように、フェリアーは自身の芸術的信念を貫きつつも、バットの影響を受けたレパートリーに対して独自の解釈を加えることで、新たな表現の可能性を切り開いたのである。

フェリアーのエルガー

キャスリーン・フェリアー(Kathleen Ferrier)は、エドワード・エルガーの作品に深い敬意と愛着を抱いていた。彼女のレパートリーには、エルガーの『ゲロンティアスの夢』や『海の絵』が含まれており、特に『ゲロンティアスの夢』における天使の役は、彼女の代表的な演奏の一つとされている。1944年には、ピアニストのジェラルド・ムーアの伴奏で『ゲロンティアスの夢』の終盤部分を録音しており、これは彼女のエルガー作品への取り組みを示す貴重な記録である。

 

 

また、1951年11月16日には、マンチェスターのフリー・トレード・ホールで開催されたコンサートにおいて、『希望と栄光の国』を演奏した。この演奏は、彼女の病状が進行していた時期にもかかわらず、声の力強さと表現力を保っていたことが記録されている。

 

 

フェリアーは、エルガーの作品に対して特別な感情を抱いていたことが、彼女の演奏活動や録音から伺える。彼女のエルガー作品への取り組みは、彼女の音楽的な誠実さと深い感受性を示すものであり、今日でも多くの聴衆に感動を与えている。

 

残念なことに、彼女の録音遺産は、BBCの方針であるテープの消去と再利用、棚のスペース確保、あるいは不手際による紛失のせいで、貴重な録音が失われてしまっているという。その中には「ゲロンティアスの夢」も含まれているという。いつの日かされらが発見される日が来るかもしれないと願わずにいられない。

ジャネット・ベイカーから見たキャサリーン・フェリアー

ジャネット・ベイカーは、キャスリーン・フェリアーの後継者として広く認識されているが、彼女自身はそのような評価に対して謙虚な姿勢を示していた。1956年、ベイカーはウィグモア・ホールで開催された第1回キャスリーン・フェリアー記念声楽コンクールで第2位を獲得し、これが彼女のキャリアの転機となった。この成功により、彼女は著名な音楽エージェント、エミー・ティレットの注目を集め、以後30年以上にわたり彼女のマネジメントを受けることとなった 。
ABC

 

ベイカーはフェリアーと直接会ったことはなかったが、彼女の存在は常に意識していた。フェリアーの死後、指揮者ジョン・バルビローリは、録音を予定していた作品群を完成させるためにベイカーを起用した。ベイカーはこの状況について、「彼女の死後、バルビローリはまだ録音したい作品が多くあり、私がその役割を担うことになった。過去の重みを感じたが、彼のユーモアのセンスには感謝している」と述べている 。
Telegraph

 

また、ベイカーはフェリアーの芸術性について、「彼女の声の重厚さと暗さは、その役柄に非常に適していた」と評価している。彼女はフェリアーのような声質を持っていなかったため、同じレパートリーを選択することはなかったが、フェリアーの音楽的遺産に対する敬意を常に抱いていた 。

 

さらに、ベイカーはフェリアーのドキュメンタリー『Kathleen Ferrier: An Ordinary Diva』に出演し、彼女の影響力と芸術的遺産について語っている。このドキュメンタリーでは、ファリアーの親族や関係者のインタビューも収録されており、彼女の人間性と音楽への情熱が描かれている 。

 

総じて、ジャネット・ベイカーはキャスリーン・フェリアーの芸術的遺産を尊重しつつ、自身の道を切り開いた。彼女の謙虚な姿勢と深い敬意は、フェリアーの影響力を次世代へと伝える重要な役割を果たしている。

キャサリン・ウィン=ロジャーズから見たキャサリーン・フェリアー

キャサリーン・ウィン=ロジャースは、キャスリーン・フェリアーの演奏に深い感銘を受けたと述べている。
彼女の両親は、ビートルズやヴェルディの『椿姫』、そしてフェリアーの録音を特別なものとして扱っていたとも語っていた。
また、フェリアーの演奏には深い感情と精神性があり、多くの指揮者たちが彼女の音楽に対する献身を称賛していたことを紹介している。

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