南国にて→カントポポラーレ→月の光の中で
エルガーの序曲《南国にて(In the South, Alassio)》は、1903年から1904年にかけてイタリア滞在中に着想され、1904年に完成された管弦楽作品である。
この作品の中間部分にあたる抒情的な旋律は、のちに作曲者自身によって独立させられ、《カント・ポポラーレ(CantoPopolare)》と題される楽曲として再構成された。これは直訳すれば「民衆の歌」あるいは「民謡風の歌」という意味を持ち、エルガーはあたかもイタリアの民謡を引用したかのように扱っているが、実際には彼の創作による旋律である。
おそらく、「イタリア」と「ヴィオラ」という2つのキーワードからベルリオーズの「イタリアのハロルド」からの影響を指摘する声もある。実際、どちらもとてもよく似た抒情性を醸し出している。
この《カント・ポポラーレ》は、まずヴィオラとピアノのための編曲がなされ、のちにヴァイオリンやチェロなど、他の楽器編成によるヴァージョンも発表された。
エルガーはこの旋律の魅力を強く認識しており、単なる交響詩の一部としてではなく、独立した抒情小品として世に問うことを意図した。
さらに、この旋律には英詩人パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley)の詩をテキストとして用いた歌曲版も存在する。
この詩は「In Moonlight(月の光の中で)」と題されており、シェリーの幻想的で耽美的な語法とエルガーの柔和な旋律線とが高い次元で融合している。
歌曲としての《In Moonlight》は、旋律の持つ内面的な抒情性を一層引き立てる形で編まれており、エルガー作品における歌曲ジャンルの中でも特異な位置を占めている。
このように、《南国にて》の中間部から派生した《カント・ポポラーレ》、さらにその歌曲化という一連の過程は、エルガーにおける旋律主義の深化と、楽曲素材の転用・再構築における柔軟な創作姿勢を象徴している。そこには、素材の詩的本質を抽出し、ジャンルを越えて再生させるエルガーの芸術観が如実に表れている。
カントポポラーレとイタリアのハロルド
エルガーの序曲《南国にて(In the South)》における「カント・ポポラーレ」(Canto Popolare)は、ベルリオーズの《イタリアのハロルド》との類似性を感じさせる構造と性格を備えている。両者は単に「イタリア」という題材を扱っているという共通点だけではなく、「ヴィオラ」という鍵となる楽器がその抒情的旋律の提示に用いられている点で、音楽的にも精神的にも深い相関性を示している。
まず、ベルリオーズの《イタリアのハロルド》(1834年)は、バイロンの詩的世界観に触発されて作曲された標題交響曲であり、独奏ヴィオラを通して主人公ハロルドの内面とイタリアの風景が描写される。その第2楽章では、「山人の行列」として知られる民謡風の旋律が現れ、抒情的な主題が全体の情感を決定づけている。これがハロルドの孤独や郷愁といった心理を象徴する。
一方、エルガーの《南国にて》(1904年)は、イタリア滞在中に得たインスピレーションをもとに書かれたコンサート序曲であり、その中間部に登場する「カント・ポポラーレ」は、あたかも現地で聞き取った伝承旋律のような趣を持ち、しばしば「イタリアの民謡風」と評される。この旋律が、ヴィオラによって挿入されるという事実は、明らかにベルリオーズの作品を念頭に置いての選択と考えられる。エルガー自身による「ハロルド」と「カントポポラーレ」との関連性に関する直接的な言及はないが、両者の類似性を指摘する声は実際ある。エルガー自身、ベルリオーズを深く尊敬していたことが書簡や記録からも確認されており、この「ヴィオラ=詩的語り手」という役割の継承は意識的なものであろう。
さらに、《南国にて》における「カント・ポポラーレ」は、楽曲全体の喧騒とコントラストを成す抒情的な挿話であり、全体構成の中でひときわ瞑想的な性格を帯びる。これは、ベルリオーズの《イタリアのハロルド》におけるヴィオラ主題の性格と類似しており、外界の風景と内面の情緒を架橋する役割を担っている。
したがって、エルガーの「カント・ポポラーレ」は、《イタリアのハロルド》の詩的ヴィオラ旋律への明確なオマージュとして位置づけることが可能である。両者における「イタリア」「ヴィオラ」「民謡風旋律」という三位一体の要素は、単なる偶然ではなく、19世紀ロマン主義の伝統を20世紀初頭に引き継ぐエルガーの意識的な創作態度の表れであると結論づけられる。
「イタリアのハロルド」
「カントポポラーレ」