ケン・ラッセルの「Portrait of a composer/Elgar(ある作曲家の肖像/エルガー)」

変奏されるエルガー――マーティン・エレビーの〈黙されたオマージュ〉

2007年、エルガー生誕150周年を記念して作曲されたマーティン・エレビーによる吹奏楽作品《エルガー・ヴァリエーション》は、そのタイトルから容易に想像される内容を、意図的に裏切る作品である。本作は、エルガー自身の具体的な主題や旋律を直接用いた変奏曲ではない。むしろそこにあるのは、エルガー音楽の「語彙」や「身振り」、さらにはその精神的輪郭そのものを抽出し、連続的なセクションとして再構成するという試みである。

 

エレビー自身が語るように、この作品にはいくつかの「謎」が仕込まれている。それらは偶然の産物ではなく、すべて意図されたものである。最大の謎は、変奏曲でありながら「変奏される主題」が存在しないという逆説にある。ここで変奏されているのは旋律ではなく、エルガーという作曲家のスタイル、気質、そして感情の振幅そのものなのだ。

 

音楽語法は明確に調性に根ざしており、現代音楽的な尖鋭さや技術的誇示とは無縁である。しかしその分、演奏者には高度な音楽的理解と表現力が要求される。本作における困難さは、指の速さやリズムの複雑さではなく、「エルガー的であるとはどういうことか」を身体化できるかどうかにある。

 

速いセクションは比較的明快な構造を持ち、推進力と性格描写が前面に出る。一方で、遅いセクションでは意図的なルバートと豊かな感情表現が求められ、そこでは楽譜に書かれていない“間”や“呼吸”を、指揮者が主体的に発見していく必要がある。この点において、本作は演奏するバンド、ソリスト、指揮者、さらには聴衆までもを巻き込む「解釈の場」として設計されているといえるだろう。

 

エルガーが生涯を通じて問い続けた「書かれたもの」と「鳴り響くもの」の乖離、そしてその緊張関係は、皮肉にもこの吹奏楽作品において新たな形で再提示されている。エレビーの《エルガー・ヴァリエーション》は、エルガーの音楽を再現するのではなく、「エルガー的であることとは何か」を問い返す作品なのである。

 

 

 

演奏レビュー
Regional Brass Band Bern
(指揮:マヌエル・レングリ/2007年作品)

 

ベルン地域ブラスバンドによるこの演奏は、《エルガー・ヴァリエーション》が内包する「主題なき変奏」という逆説を、極めて誠実に音楽化した好例である。

 

まず特筆すべきは、全体の構成感の明晰さである。各セクションは性格的に強い対照を持ちながらも、決して断片的にはならず、一本の大きな流れとして統合されている。これは、指揮者マヌエル・レングリが、表面的なエルガー風の抑揚に溺れることなく、形式全体を冷静に見通していることの証左だろう。

 

速い部分では、ブラスバンド特有の輝かしい音色と推進力が存分に発揮されているが、決して粗野にはならない。音の重心は低く保たれ、エルガー的な「威厳」と「節度」が感じられる。一方、遅いセクションでは、テンポの揺らぎが恣意的にならず、あくまでフレーズの呼吸として自然に機能している点が印象的である。

 

特に注目すべきは、中間部における内省的な表情づけである。ここでは、過剰な感傷を避けつつ、音楽が内側から滲み出るような感情の深まりが丁寧に描かれている。これはエルガーの緩徐楽章――とりわけ交響曲第2番に通じる感性を、エレビーがどれほど深く理解していたかを示す部分でもある。

 

総じて、この演奏は「エルガーへのオマージュ」を、記念碑的な祝祭音楽としてではなく、思索的かつ誠実な問いとして提示している。エルガーの精神を吹奏楽というメディアに翻訳する試みとして、そして本作の本質を理解するための参照演奏として、高く評価されるべき一演奏である。

 

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