エルガーカントリーへの誘い

キャリス誕生の家

このウェスト・ケンジントン、エイヴェンモア・ロード51番地の家は、
1895年に一人娘キャリスが誕生した場所でもある。

 

ロンドンでの生活は決して安定したものではなかったが、この家に落ち着いていた時期、エルガー夫妻の生活には一時的ながら穏やかな空気が流れていたという。エルガーは相変わらず無名の作曲家であり、将来の見通しが立っていたわけではなかったが、アリスは日々の雑事を引き受け、家の中に「作曲に集中できる空間」を保とうと努めていた。

 

後年、キャリスはこのロンドン時代について、華やかさとは無縁だったものの、家庭の中には温かさがあったと回想している。頻繁な転居を繰り返したエルガー一家にとって、この家はロンドンで初めて「家族としての時間」を比較的長く過ごした場所でもあった。

 

エルガーを作曲家として成功させることを決心したアリスの努力は涙ぐましいほどであった。世事の雑用にエルガーが惑わされることなく作曲に専念できるように何から何までこなしていった。また、写譜を引き受けたり、出版社に手紙を書いたりもした。後に娘のキャリスが母アリスについてこう書いている。「母は物書きになりたいという夢を諦めて、父の成功を助けることに誇りを感じていた」

 

アリスは単なる「伴侶」ではなかった。事実上、エルガーという作曲家を世に送り出すためのプロデューサーであったと言うほうが実態に近い。作曲以外の雑事を引き受け、写譜や出版社との交渉を担い、さらには作品や作曲家像をどう社会に提示するかという戦略的視点までをも担っていた点で、彼女の役割は内助の功という語では到底収まりきらない。エルガーが「作曲家であること」に専念できた背景には、創作環境を設計し、持続可能な形に整え続けたアリスの存在があった。彼女は家庭の内部にとどまる支援者ではなく、エルガーというブランドを形成する不可視の中枢だったのである。

 

キャリス誕生の家、ウェスト・ケンジントンのエイヴェンモア・ロード51番地

キャリス誕生の家

 

 

グーグルマップ

日本エルガー協会新刊「エルガーの最後の審判-語られなかった真の作曲家像」はこちらから

トップへ戻る