遂につかんだ名声

「スラットキンのエルガー伝道」 ― 台北での《エニグマ変奏曲》

◆ 背景

 

レナード・スラットキンはアメリカ出身ながら、本国でエルガーを積極的に演奏する指揮者が稀な中で、早くから英国音楽に情熱を注いできた人物。特にBBC響やフィルハーモニアとの共演を通じてエルガー解釈を深め、大作《神の国》《交響曲第1番》にまで踏み込むほど、彼にとってエルガーは「伝道」すべき作曲家である。

 

今回、台湾の若い世代の国際的音楽家で構成された TMAF Orchestra と演奏した《エニグマ変奏曲》は、その「伝道」の一環として強い意味を持つ。

 

 

◆ 音楽的アプローチ

 

序奏と主題(第1変奏前まで)
スラットキンはテンポを抑え、柔らかい響きを引き出すことで「霧の中に浮かぶ旋律」のように主題を提示。若い奏者の緊張を包み込むように音楽を進める。

 

変奏の性格描写
各変奏のキャラクターを明晰に描き分け、特に「W.M.B.(第4変奏)」や「Troyte(第7変奏)」では軽快なリズムを明確に刻み、オーケストラの若さと勢いを最大限に引き出して見せた。
対照的に「Nimrod(第9変奏)」では、スラットキン特有の「呼吸の長さ」が生き、安易な感傷に流れず、大きなアーチを描いて高揚させる。ここに英国的精神性の核心を見せたのは流石である。

 

終盤(第14変奏「E.D.U.」)
スラットキンはオーケストラを一気に解き放ち、若い奏者たちが全身でエルガーを鳴らす姿を導き出す。終結部の壮麗な響きには「エルガーを未来へ渡す」という強いメッセージ性がある。

 

 

◆ 解釈の特徴

 

「アメリカ的明快さ」と「英国的ノーブルさ」の調和
音楽は濃厚なロマンティシズムに溺れず、むしろ透明で整理された響きを保ち、若い世代にも理解しやすい「エルガー入門」として理想的。

 

教育的な温かさ

各変奏を「人物肖像」として描きながら、学生オーケストラの個々のパートを引き立てるような指揮ぶり。まさにレッスンの延長にある実演といえる。

 

スラットキンのこの《エニグマ変奏曲》は、単なる演奏会を超えた「音楽伝道」の場であり、若い奏者にエルガーの魅力を伝える教育的ミッションを果たしたものであった。

 

 

 

場面構造図とスラットキン解釈ポイント

(Leonard Slatkin & TMAF Orchestra, 2024年 台北)

 

 

主題:Andante (♩=63) [1–18小節]

 

構造:弦楽器による静謐な主題提示。

 

スラットキン解釈:テンポを抑え、弦の厚みを曖昧にせず透明感を重視。霧に包まれたような出発点を構築。

 

特徴:冒頭から「音量の抑制」で学生オケの緊張を和らげ、呼吸を揃える役割。

 

 

Variation I (C.A.E.) [19–62小節]

 

構造:妻キャロラインを描く。愛情深い旋律。

 

ポイント:30小節のクレッシェンドでしなやかな拡張。

 

解釈:甘美に流さず、穏やかな「日常の温かさ」を淡々と描写。

 

 

Variation II (H.D.S.-P.) [63–103小節]

 

構造:アマチュアピアニストのぎこちなさを表現。

 

解釈:弦と管の対話を軽妙に描き、若さ溢れる勢いを生かしたリズム感。

 

 

Variation III (R.B.T.) [104–153小節]

 

構造:陽気な声質の友人を模写。

 

小節129付近:クラリネットの旋律を軽く浮き立たせる。

 

解釈:ユーモラスで明快、フレーズの切れ味がアメリカ的。

 

 

Variation IV (W.M.B.) [154–207小節]

 

構造:穏やかな声質の友人。

 

小節180–190:木管の柔らかい受け渡しが核心。

 

解釈:やわらかい弦のレガートを生かし、親密なサロン風対話に。

 

 

Variation V (R.P.A.) [208–247小節]

 

構造:陽気でやや粗野なユーモア。

 

小節230:金管のリズムを鮮明に強調。

 

解釈:学生オケの明るさをストレートに引き出し、重苦しさを避ける。

 

 

Variation VI (Ysobel) [248–291小節]

 

構造:ヴィオラ奏者(イザベル・フィットン)の肖像。ヴィオラの特徴的な跳躍。

 

解釈:ヴィオラの音色を包み込むように伴奏を軽く。音の透明感を重視。

 

 

Variation VII (Troyte) [292–347小節]

 

構造:建築家トロイトの不器用なピアノ演奏を表現。打楽器的。

 

解釈:スラットキンは明快なビートを与え、若手オケの勢いをそのまま解放。

 

 

Variation VIII (W.N.) [348–402小節]

 

構造:友人の声を描写。クラリネットが中心。

 

小節370付近:クラリネットの軽妙な線を強調。

 

解釈:アンサンブルを柔らかくまとめ、軽快な会話感を重視。

 

 

Variation IX (Nimrod) [403–474小節]

 

構造:最も有名な変奏。アウグスト・イェーガー(音楽出版社ノヴェロの友人)を描く。

 

小節420–450:クレッシェンドの弧を大きく設計。

 

解釈:スラットキンは感情を煽らず、呼吸を長く取る。安易な泣かせ方を避け、広大な景色を描くように音を積み上げる。

 

 

Variation X (Dorabella) [475–523小節]

 

構造:やや内気な友人(ドーラ・ペニー)。クラリネットが「吃音」を暗示。

 

解釈:木管を柔らかく浮かせ、軽やかなユーモアを引き立てる。

 

 

Variation XI (G.R.S.) [524–563小節]

 

構造:陽気なユーモア、バスーンの動きが特徴。

 

解釈:学生オケのリズム感を鮮明にし、躍動を素直に表出。

 

 

Variation XII (B.G.N.) [564–603小節]

 

構造:オルガニスト(バジル・ネヴィンソン)の穏やかな肖像。

 

小節580:チェロのソロが中心。

 

解釈:スラットキンはチェロの音色をよく聴かせ、柔らかな祈りの場に。

 

 

Variation XIII (Romanza *** ) [604–671小節]

 

構造:暗示的。海上のホルンの遠鳴り。

 

小節640:クラリネットとホルンの「沖合のトランペット」効果。

 

解釈:スラットキンは神秘的に響きを保ち、若いオケにも音色の抑制を指示。

 

 

Variation XIV (E.D.U.) [672–804小節]

 

構造:エルガー自身の肖像。壮大なフィナーレ。

 

小節740–760:主題再現。

 

解釈:スラットキンは学生オケの力を解き放ち、壮麗な響きを構築。終結の輝きは「エルガー伝道」のクライマックス。

 

 

まとめ

 

この「場面構造図」に即したスラットキンの解釈は、各変奏のキャラクターを明晰に描き分けること

 

安易な感傷を避け、広い呼吸を重んじること

 

若い奏者にふさわしい透明で整理された響きを追求することに集約される。
まさに 「未来へ向けたエルガーの伝道」 と呼ぶにふさわしい舞台である。

 

Enigma Variations by Slatkin

「スラットキンのエルガー伝道」 ― 台北での《エニグマ変奏曲》

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