沈黙から立ち上がる声 ― コーエンとパッパーノのエルガー《チェロ協奏曲》」
1.演奏の全体像
エルガー晩年のチェロ協奏曲は「喪失」「内省」「回想」といった言葉で語られることが多い。ここでデイヴィッド・コーエンは、師系譜の厚みと自らの表現意欲を融合させ、単なる“哀歌”に留まらない強靭な音楽的姿を示した。
パッパーノとロンドン響は、ソリストを包み込むだけでなく積極的に「対話者」として振る舞い、作品全体をドラマとして構築している。
2.楽章ごとの物語構造と解釈
第1楽章(Adagio – Moderato)
冒頭のソロは沈黙を切り裂く独白である。コーエンは緊張を抑制したビブラートと深いレガートで「語り」の質を強調。
オーケストラが応答する場面では、パッパーノが柔らかく響きを広げ、独奏の声を拡張する「共鳴体」として機能。
物語的には「孤独な呼びかけ」と「外界の応答」が交錯する場面と解釈できる。
[1–8] 独奏の序奏
チェロ独白。沈黙からの呼びかけ。
[9–27] オーケストラ応答
弦楽器と木管が孤独の声を受け止める。
[28–72] 主部導入(Moderato)
オーケストラが明確なリズムを提示し、独奏が対話的に参加。
[73–142] 対話の展開
ソロとオーケストラの掛け合い。回想と抵抗の交錯。
[143–188] 再現的部分
独奏が冒頭の素材を回帰的に奏で、哀感を強める。
[189–210] コーダ
弦楽群の和声の上でソロが独白を収束。沈黙への回帰。
第2楽章(Allegro molto)
急峻なリズムは内的エネルギーの噴出。コーエンは極端に速めず、弓圧を強めることで切迫を出す。
弦楽器群との掛け合いは緊張と解放を繰り返す「対話の応酬」。
物語構造では「内面の苦闘の表出」にあたり、舞曲的リズムに潜む焦燥感を強調していた。
[1–52] 冒頭疾走
ソロとオーケストラが切迫したリズムで開始。内的葛藤の表出。
[53–113] 展開的掛け合い
ソロとオーケストラが交互に動機を投げ合い、緊張を蓄積。
[114–165] 副次主題的緩和
チェロが歌謡的旋律を提示、オーケストラが和声的に支える。
[166–232] 急速回帰
冒頭のリズムが復活、緊迫の頂点へ。
[233–終結(c. 248)] コーダ
推進力を保持しつつ唐突に収束。
第3楽章(Adagio)
この楽章は演奏の白眉。コーエンは響きを極度に節約し、音の“残響”が語るような間合いを重視。
LSO弦楽器群が、ほぼ呼吸するような伴奏で支え、パッパーノの手綱捌きにより「時の流れが止まったような場」を形成。
物語上は「記憶と追憶の中の静かな祈り」に対応し、コーエンの内声的表現が聴き手に強い共感を呼ぶ。
[1–28] 主題提示
独奏が静かに旋律を歌い始める。沈黙を刻む呼吸。
[29–61] 弦楽合奏との融合
弦楽器が呼吸のように支え、ソロと融け合う。祈りの場面。
[62–92] 中間部(高揚)
ソロが強く歌い上げ、激情が一瞬の光を差す。
[93–終結(c. 106)] 回帰と沈潜
冒頭主題が回帰し、音楽は静謐の中に消える。
第4楽章(Allegro – Moderato – Allegro, ma non troppo)
急速部は力強さを示すが、随所に挿入される回想が全体を「過去との対話」に引き戻す。
コーエンは技巧を誇示するよりも、旋律の語り口を大切にし、オーケストラとの呼応に重点を置いた。
コーダでは冒頭主題が回帰し、結末は決して勝利ではなく「静かな受容」。パッパーノはクライマックスを強調せず、沈潜する終止を「真実の落着」として導いた。
[1–67] 開始急速部
活発なリズムと独奏の推進力。闘争的エネルギー。
[68–146] 対話的展開
ソロとオーケストラが交錯し、動機を展開。
[147–213] 緩徐的挿入部(Moderato)
前楽章Adagioの回想。過去の声が差し込む。
[214–270] 再加速(Allegro)
主題が復活、緊張と推進を強める。
[271–293] コーダ(回想の終結)
第1楽章冒頭動機が再現、全体が大きな円環構造を形作る。
[294–終結(c. 305)] 最後の静止
輝かしい終止ではなく、沈黙と受容へと帰着。
3.演奏技法の詳細分析
音色の幅:コーエンは1735年製モンタニャーナの深い胴鳴りを最大限活かし、ppでは糸のように細い声、ffでは胸腔に響くような厚みを出す。
フレージング:長大なフレーズを一息で歌い切る場面が多く、旋律の「語り手」としての一貫性が際立つ。
アンサンブル:パッパーノの指揮はソリストを過剰に前景化せず、対話的に支える。特に第3楽章の和声的呼吸は、指揮と独奏の完全な合致の成果である。
ダイナミクス:オーケストラはffを抑制気味に扱い、独奏チェロが沈黙や静謐を主役にできる余地を確保。これはパッパーノの「聴き合う」スタイルの表れである。
この演奏は、エルガーのチェロ協奏曲を「孤独と対話」「記憶と祈り」の物語として描き直す試みであった。
コーエンは技巧以上に「語り」を重視し、パッパーノとロンドン響はその語りを共鳴させる舞台装置を提供した。結果として、作品の本質的な“沈黙の力”が際立つ演奏となった。
この演奏での場面構造は、「孤独な独白 → 応答 → 内的葛藤 → 回想 → 沈黙への受容」 という物語弧を持っている。
コーエン=パッパーノの演奏は、とりわけ 第3楽章と第4楽章の回想部を強調することで、全体を「記憶と祈りの音楽劇」として提示していた。