エルガーカントリーへの誘い

宮崎昭威著の「イギリスの旅」

1992年、太陽出版から刊行された宮崎昭威著『イギリスの旅』は、いま振り返れば、日本におけるエルガー受容史の中で、きわめて特異な位置を占める一冊であったと言える。少なくとも当時、日本語でエルガーの生家――ウースター近郊ブロードヒースのバースプレイス――への具体的な行き方を記した文献は、事実上この本しか存在しなかった。

 

 本書92ページに記された、簡潔ではあるが実用的なアクセス案内。それが、私にとってエルガーの「生家」という実在の場所を、抽象的な知識から具体的な目的地へと変えた瞬間であった。言い換えれば、エルガーが「楽譜の中の作曲家」から、「訪ねうる存在」へと変貌した瞬間である。

 

 現在のようにインターネット検索が可能な時代とは異なり、当時は情報そのものが希少であった。日本語文献は皆無に等しく、英語資料も容易には手に入らない。地図一つ、住所一つを突き止めるのにも相応の労力と覚悟が必要だった。そのような状況下で、この一冊が果たした役割は、単なる旅行案内を超えている。それは「行ってもよいのだ」「辿り着けるのだ」という心理的な後押しそのものだった。

 

 こうして情報をかき集め、準備を重ねた末、1994年にようやく念願の地を訪れることができた。アクセスの悪さは、本に書かれていた通り、いやそれ以上だったと言ってよい。おそらく現在でも本質的には大きく変わっていないだろう。しかし、その困難さを乗り越えて辿り着いた時の感激は、今なお鮮明に記憶に残っている。

 

 生家で応対してくれたのは、実に人懐こい若いスタッフだった。エルガー談義に花が咲き、気がつけば長時間話し込んでいた。彼の勧めるままにグッズをいくつも買い込み、そこで初めて「エルガー協会(Elgar Society)」なる組織の存在を教えられ、その場で入会を申し込んだ。その青年こそ、後に同協会のセクレタリーを務めることになるクリス・ベネットである。以来、二十年以上にわたる交流が続くことになるのだが、その起点もまた、この訪問にあった。

 

 もし宮崎昭威の『イギリスの旅』がなかったならば、この一連の展開は存在しなかった可能性が高い。エルガーの生家を訪ねることも、エルガー協会との関わりも、そして何より、日本語でエルガーゆかりの地を体系的に紹介するという発想そのものが、生まれなかったかもしれない。

 

 私の著書『エドワード・エルガー――希望と栄光の国』は、結果として「エルガー・ルート」を辿る日本語ガイドブックの性格を帯びることになったが、その原点は明確である。それは、92ページのわずかな記述から始まった、個人的で切実な読書体験に他ならない。

 

 一冊の書物が、人を動かし、土地へ導き、さらには次の書物を生む。その連鎖の最初の輪として、『イギリスの旅』は、私にとって忘れがたい意味を持ち続けているのである。

 

宮崎昭威著の「イギリスの旅」

宮崎昭威著の「イギリスの旅」

宮崎昭威著の「イギリスの旅」

日本エルガー協会新刊「エルガーの最後の審判-語られなかった真の作曲家像」はこちらから

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