ヘレン・ウィーバーの家
ウースターのハイ・ストリート84番地。
1883年ごろ、エルガーが婚約を交わしていた相手、ヘレン・ウィーバーの実家があった場所である。当時ここでは靴屋が営まれていたが、現在は宝石店となり、外観からはその痕跡をほとんど留めていない。
この婚約は、約18か月という比較的短い期間で破局を迎える。理由については諸説あるが、重要なのは「なぜ終わったか」よりも、この関係がエルガーの人生において、どの地点に位置していたかであろう。
注目すべきは、その距離である。
エルガー一家が楽器店を営んでいたハイ・ストリート10番地と、ヘレンの家は、まさに目と鼻の先にあった。日常的に視界に入り、歩けば数分で辿り着く距離――つまりこの婚約は、精神的な問題以前に、空間的にきわめて近接した関係だったのである。
にもかかわらず、この関係は破綻した。
この事実は、後年エルガーが選び取る生き方――都市的中心や社交の場から微妙に距離を置き、周縁へと身を引いていく姿勢――を予兆的に示しているようにも見える。
彼にとって「近さ」は、必ずしも安定や幸福を保証しなかった。
興味深いのは、この破局ののち、エルガーが最終的に選んだ伴侶アリスが、社会階層的にも、思想的にも、そして地理的にも、より遠い存在であったという点である。ヘレン・ウィーバーとの婚約は、エルガーが「身近な世界の中で完結する人生」を試み、そして断念した最初の経験だったとも言えるだろう。
現在、この場所を訪れても、そこに特別な記念碑はない。
だが、ハイ・ストリートという一本の通りの中に、エルガーの音楽的原風景(楽器店)と、実現しなかった未来(婚約者の家)が、これほど近接して存在していた事実は重い。
エルガーの人生において、場所は常に選択と断念の舞台だった――この一角は、その最も静かな証人の一つなのである。



