愛の音楽家エドワード・エルガー

ヴァイオリン協奏曲に秘められた謎Aqui esta encerranda el alma de

エルガーの音楽を聴く楽しみのひとつに、彼が巧妙に仕込んだ「謎」を読み解くという、知的遊戯がある。
それは単なる暗号解読ではなく、作曲家の内面に分け入るための、密やかな扉を探す行為にほかならない。

 

もっとも有名なのは、《エニグマ変奏曲》であろう。
そもそも「エニグマ」とは謎そのものであり、この作品は誕生の瞬間から、聴き手に思索と想像の迷宮を提供することを宿命づけられている。

 

だが、エルガーはこの種の「仕掛け」を、この一作だけに留めなかった。
実は《ヴァイオリン協奏曲》にも、同様に深い謎が刻み込まれている。

 

スコアの冒頭に記された、スペイン語の一文。
「Aquí está encerrada el alma de ・・・・・(ここに……の魂を込める)」。
この五つのドットが、百年以上にわたって解かれぬ問いとして、研究者と愛好家を魅了し続けてきた。

 

《エニグマ変奏曲》第13変奏に付された三つのアスタリスクも、同じ系譜に属する謎である。
他の変奏が実在人物のイニシャルで示されていることからすれば、ここにも何らかの名が秘されていると考えるのが自然であろう。
候補として挙げられるのは、ヘレン・ウィーヴァー(HJW)か、あるいはレディ・メアリー・リゴン(LML)。
しかし、いずれも決定打には欠け、謎は謎のまま漂い続けている。

 

ヴァイオリン協奏曲における五つのドットもまた、同様である。
こちらはイニシャルではなく、明確な文字列を想定できる点で、さらに想像の余地が広い。

 

成立の背景からもっとも有力視されているのが、
ウィンドフラワー――すなわちアリス・スチュワート・ワートリーの名、ALICE である。
この協奏曲は、彼女への精神的献辞とも言えるほど深い結びつきを持つ作品であり、五文字という条件も、見事に符合する。

 

一方で、ストコフスキーが支持したというジュリア・ワーシントンの JULIA 説、
さらにはエニグマ第13変奏と同様、ヘレン・ウィーヴァーの HELEN 説も存在する。
だが、作曲当時の感情的背景を考えれば、やはりウィンドフラワー説がもっとも自然であるように思われる。

 

しかし、ここにひとつ、解かねばならぬ微妙な問題が横たわる。
それは、エルガーが彼女を決して「アリス」とは呼ばなかった、という事実である。

 

言うまでもなく、彼の妻もまたアリスであった。
混同を避けるためという実際的理由もあったであろうが、それ以上に、エルガーにとって彼女は、単なる「第二のアリス」ではなく、特別な象徴的存在であった。
ゆえに彼は彼女を ウィンドフラワー と呼び、その名のもとに秘められた距離と憧憬を守り続けた。

 

興味深いことに、妻アリスは、彼女を「私と同じ名前の、もう一人のアリス」と、親しみと複雑な感情を込めて呼んでいたという。
もし五つのドットが「ALICE」であるならば、それはウィンドフラワーではなく、むしろ妻アリス・エルガーを指すのではないか、という逆説的解釈すら成り立ちうる。

 

こうして謎は、単なる恋愛的暗号を超え、
エルガーという人間の内奥――愛、記憶、敬意、そして秘められた葛藤――へと深く分け入ってゆく。

 

最後に、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの放った、いかにも彼らしい冗談も紹介しておこう。
「スペイン好きのエルガーが、自分の名前をスペイン風に書いたんだよ。つまり EL GAR さ(笑)」

 

この軽妙な一言は、学究的議論に張りつめた空気を和らげると同時に、
エルガー自身もまた、この種の謎を、どこか愉しげに仕掛けたのではないか、という想像を許してくれる。

 

エルガーの音楽は、響きとして美しいだけでなく、
そこに忍ばされた謎と暗示によって、聴き手を永遠の思索へと誘う。
それは、音楽という形式を借りた、知性と感情の迷宮なのである。

 

ヴァイオリン協奏曲に秘められた謎ヴァイオリン協奏曲に秘められた謎

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