エルガーの墓のあるセント・ウルスタン教会

エルガーの墓のあるセント・ウルスタン教会

 

 

グレート・モールヴァンの街からヘリフォード方面へ向かう途中、リトル・モールヴァンの外れに、1862年に建てられたセント・ウルスタン教会がひっそりと佇んでいる。あまりにも小さく、周囲の風景に溶け込んでいるため、注意していなければ気づかずに通り過ぎてしまうほどの存在だ。

 

 この教会の墓地に、アリス・エルガー(1920年没)、エドワード・エルガー(1934年没)、そして娘キャリス・エルガー・ブレイク(1970年没)の墓所がある。セヴァーン地方の穏やかな大地を正面に望む場所に、過剰な装飾を一切排した墓石が置かれている。その設計を手がけたのは、モールヴァンの建築家トロイト・グリフィス――《エニグマ変奏曲》第7変奏〈Troyte〉の当人であり、エルガー一家と家族ぐるみの親交を結んでいた人物である。

 

 ウィーン中央墓地に眠るベートーヴェンやブラームス、ヨハン・シュトラウス、あるいはザンクト・フローリアン修道院のブルックナーの墓を訪れた経験がある者であれば、ここで抱く感慨はまったく質を異にするものだろう。そこにあるのは「偉大な作曲家の記念碑」ではなく、あくまで一人の人間と、その家族のための静かな終着点である。

 

 この質素さ、そして人里離れた立地は、偶然の産物ではない。エルガーほどの功績を残した作曲家であれば、ウェストミンスター寺院に埋葬される資格は十分にあったはずだ。しかし彼は、それを選ばなかった。名誉の中心ではなく、愛するアリスの傍らで眠ることを望んだのである。その選択には、生涯を通じて「国家的象徴」とされながらも、最後まで庶民としての視点を失わなかったエルガーの姿勢が、はっきりと表れている。

 

 1998年7月に訪れた際、墓石にはデヴィッド・オースティン作出(1992年)のイングリッシュ・ローズ「サー・エドワード・エルガー」が手向けられていた。近年、日本からの旅行者がエルガーのバースプレイスを訪れる機会は増えているようだが、この墓所まで足を延ばす人はまだ多くない。しかし、エルガーを本当に理解しようとするなら、ぜひここにも立ち寄ってほしい。

 

 セント・ウルスタン教会には、英雄像としてではない、飾らない素顔のエルガーがいる。音楽の壮麗さとは裏腹に、静かで、人間的で、驚くほど身近な存在として——。ここでは飾らない素顔のエルガーが迎えてくれるような感じがする。

 

 

「キャロライン・アリス・エルガーの魂のためにお祈りを。
彼女は、ウースターの『ハゼルダイン・ハウス』のヘンリー・ジー・ロバーツ K.C.B.の一人娘で、エドワード・エルガーによって深く愛され敬われていた妻である。
1920年4月7日ハムステッドにて没。
安らかにここに眠る。

 

エドワード・エルガー。
1857年6月2日生
1934年2月23日没」
(エルガー家の墓碑銘文より)

 

「ようこそ当教会の庭へ。この静かで平和な場所をどうぞ楽しんでいって下さい。
『音楽はあなたを取り巻く空気の中にあり、好きなだけ取り出すことができるのです』
1904年エドワード・エルガーはこのように書いています。彼が愛してやまなかった、このモールヴァン・ヒルとセヴァーン川流域に広がる大地は、彼に霊感を与えました。
 この世界的に有名な作曲家は、ここから10マイルも離れていないブロードヒースで生まれました。彼の妻アリスは彼の偉大な作曲活動に対して盛んに激励しました。彼はこう言います。『私が成し遂げたことは妻のお陰によるものが大きい』
 彼女はエルガーより14年も早く亡くなってしまい、今ここに埋葬されています。それは、ある春の日のことでした。エドワードはこのように書いています。
『彼女がずっと以前に(自分の埋葬場所に)選んだここはあまりにも美しい。花は白く咲き誇り、どこまでも広がる大地。丘も教会も彼女が子供のころから時を隔てていても何もかもが変わらず同じ風景だ』
 今エドワードは彼女の傍らに横たわっています。訪れる皆さんが、ここに平和で静かな雰囲気が、時が経てども変わらなく残っていることを感じて下さることと思います」(ウルスタン教会掲示板より)

 

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エルガーの墓のあるセント・ウルスタン教会

St Wulstan's Catholic Church公式ページより

エルガーの父ウィリアム・ヘンリーはカトリック教徒として育ったが、宗教に対する態度は常に両義的だった。 1841年にロンドンからウースターに来た彼は、音楽事業(ピアノの調律と販売)を始め、街の主要なカトリック教会、セント・ジョージ教会のオルガニストとしての仕事も見つけた。
1848年、ウィリアムはヘレフォードシャーの農家の娘アン・グリーニングと結婚。1857年に7人兄弟の4番目としてエドワードが生まれるまでに、アン自身も、カトリック教会への入信を指導されることを選んだ。そのため、エドワードと弟妹たちは幼児洗礼を受け、カトリック教徒として育てられた。(エドワードの一番下の妹は、ストラウドにあるドミニコ会修道院の修道院長になった)。
30代前半、エドワード・エルガーは8歳年上のヴァイオリンの教え子、キャロライン・アリス・ロバーツと結婚した。モールヴァン・ヒルズの南端にあるレッドマーリー村に隠棲していたインド陸軍少将の娘である彼女は、英国国教会で育ったが、エドワードとの結婚後(ロンドンのブロンプトン・オラトリーで)、義母と同様にカトリック教会の指導を受け、入信した。
エルガー家は数年ごとに家を変えた。1899年3月、彼らはモールヴァーン・ウェルズの聖ウルスタン教区内にある 「Craeg Lea」(家族のイニシャルと姓のアナグラム)に引っ越し、5年間そこに住んだ。アリスと娘のキャリスは、日曜日の朝、教会まで1マイルを歩いて通った。エドワードは自転車で通っていた。
エルガーがジョン・ヘンリー・ニューマンの深いカトリックの詩『ゲロンティアスの夢』を音楽化したのは、クレイグ・リー時代のことだった。 残念なことに、彼の傑作はその後すぐに国際的な評価と尊敬を得ることになったが、エルガーは初演を大失敗とみなし、そのために彼は信仰をやめてしまった。
アリスは熱心なカトリック信者であり続け、1920年に彼女が亡くなったとき、エドワードは聖ウルスタンの墓地に埋葬されることを彼女の希望した。その日の日記に、彼はこう書いている。
「彼女がずっと前に選んだ場所は、あまりにも甘美である。花は一面に白く咲き乱れ、遠くの丘や教会など、彼女が子供の頃から慣れ親しんできたものがすべてある、無限の平原は、まったく同じように見える」
エドワード自身も14年後に同じ墓に埋葬された。この墓石は、エルガーがエニグマ変奏曲第7曲目で想起したモールヴァーンの建築家で親友のアーサー・トロイト・グリフィスがデザインしたものである。

 

 

1934年の葬儀について、プレス・アソシエーションの記者は次のように語っている。

 

「彼がこよなく愛したモールヴァーン・ヒルズの朝靄が晴れ渡る前に、サー・エドワード・エルガーは月曜日に眠りについた。 14年前に亡くなった最愛のパートナー、エルガー夫人の傍らに。 偉大な音楽家は、一音も演奏されることなく眠りについた。 カトリック教会St Wulstan's Little Malvernで、GC Alston牧師によって簡単な礼拝が執り行われた。 参列者はごくわずかで、礼拝の時間と場所を知っていたのはごく少数の親しい友人だけだった。 喪服も正装もなかった。 黒と金のローブをまとった司祭には3人の従者がつき、紫色に覆われた棺には灯されたろうそくが柔らかな光を投げかけていた。 数分後、会衆は小さな教会堂に向かった。眼下には陽光に照らされたセヴァーン川の谷が広がり、背後にはマルヴァーン・ヒルズが聳え立っていた。 朝の澄んだ空気に線香の煙が立ち上った。 聖水が撒かれ、数分後、小さな弔問客の一団は墓を後にした。 エドワード卿は安置された。 弔問客が散り散りになると、空は暗くなり、雪片が漂い、無地のオークの棺に優しく降り注いだ。

 

 

 

 

 

St Wulstan's Catholic Church

モールヴァン・ヒル      あとがき

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