エルガー演奏の原典とは何か?
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1914年から1924年にかけて行われた最初の録音プロジェクト、そして1926年以降、フレッド・ガイスバーグのプロデュースによって本格化したEMIによる一連の録音――この二つの自作自演集は、エドワード・エルガーが人生の最晩年に成し遂げた、比類なき芸術的事業である。とりわけ後者のEMIプロジェクトは、作曲家が病床に伏してからも継続され、ついにはベッドに横たわったままマイクロフォン越しにスタジオへ指示を送るという、常軌を逸した状況下で進められた。これらの録音は、単なる音源ではなく、作曲家の最期の創作行為を克明に伝える歴史的ドキュメントである。
1920年、最愛の妻アリスに先立たれて以降、エルガーの創作活動は完全に停止した――このような言説は広く流布している。しかし、それは必ずしも正確な認識とは言えない。これら自作自演録音は、CD換算で通算20枚以上にも及ぶ膨大な量に達している。この規模のプロジェクトを、しかも1920年代という録音技術が未成熟な時代に成し遂げるためには、並外れた精神力と創作的エネルギーが必要であったはずだ。エルガーの芸術は、作曲から演奏・録音へと形を変えただけであり、その情熱が枯渇したわけではない。むしろ、彼は録音という新しいメディアに、自らの芸術を託したのである。
もっとも、作曲家による自作自演録音が常に「理想的演奏」を示すとは限らない。歴史を見渡せば、「名作曲家=名演奏家」という等式が必ずしも成立しない例は枚挙にいとまがない。エルガーの録音においても、演奏技術や録音水準の面で、当時特有の制約を考慮せずに鑑賞することは難しいだろう。とりわけ、電気録音初期のSPレコードは片面の収録時間が3分足らずであり、長大な作品では収録時間を意識した結果、やや不自然なテンポ設定を余儀なくされている。一方で、その制約を受けにくい小品においては、驚くほど自在で伸びやかな演奏が聴かれるのも事実である。
それでもなお、これらの歴史的録音が、今日エルガー作品を演奏する多くの演奏家にとって、事実上の「バイブル」となっていることは疑いない。技術的・物理的ハンディキャップを差し引いたとしても、そこには作曲家自身が示したテンポ感、フレージング、音楽の呼吸が、否応なく刻印されている。エルガーの自作自演録音は、決して絶対的な「正解」ではない。しかし、それは演奏解釈における原点、すなわち〈原典〉として、今なお揺るぎない手がかりを与え続けているのである。
エイドリアン・ボールト
たとえば、エルガーと直接の親交を持っていたサー・エイドリアン・ボールトの演奏は、しばしば「作曲者の意図を最も忠実に再現したもの」と評されてきた。実際、ボールトが指揮したエルガー作品の多くは、テンポの面においても自作自演録音と極めて近い数値を示しており、その点からも彼が作曲者の感覚を深く体得していたことがうかがえる。
初演時には惨憺たる失敗に終わった《交響曲第2番》が、ボールトによる復活再演によって名誉回復を果たしたことはよく知られている。その際、エルガーはボールトにこう語ったと伝えられている。「素晴らしい音楽の連続だった。君に任せておけば、私の将来の評価も安泰だ」。この言葉は、単なる社交辞令ではなく、作曲者自身が自らの音楽の“翻訳者”としてボールトを全面的に信頼していたことを物語っている。
しかし、注目すべきは、ボールトの演奏が決して「解釈過剰」ではない点にある。彼の指揮は、スコアに書かれた以上のことをほとんど何も付け加えていない。ボールト自身も次のように語っている。「作品が素晴らしいので、特に私が何かをしなくとも、オーケストラに任せておけば大丈夫なのだ」。この言葉は、一見すると指揮者としての自己否定のようにも聞こえるが、実際には、作品そのものへの絶対的な信頼と、作曲家の設計を歪めないという強い美学を示している。
さらにボールトは、序曲《南国にて》についてエルガー本人から直接トレーニングを受けた数少ない指揮者の一人でもある。その成果は録音において明瞭に聴き取ることができ、同曲に関しては、今日に至るまで他の追随を許さぬ名演として評価され続けている。ここにもまた、作曲者がいかにボールトを高く評価していたかが如実に表れている。
このボールトのスタイル――すなわち、作曲家の書いたものを信頼し、過剰な主観を排しつつ、音楽の自然な流れを最大限に引き出す姿勢――は、彼の弟子であるヴァーノン・ハンドリーへと確かに受け継がれている。そしてそれは、エルガー演奏における一つの「正統」として、今日まで連綿と生き続けているのである。
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ゲオルグ・ショルティ
さらに、ロンドン・フィルを率いて一連のエルガー作品を録音したサー・ゲオルグ・ショルティもまた、作曲者の自作自演盤に極力忠実であるべきだと主張した演奏家の一人である。ショルティのエルガー解釈も、ボールト同様、恣意的な解釈を極力排した、いわば「正面突破」のストレートなアプローチを特徴としている。
ただし、ここには一つの興味深い逆説が存在する。指揮技術のエキスパートであり、構築力・推進力・リハーサル能力のいずれにおいても20世紀を代表する存在であったショルティが、指揮者としては決して洗練されていたとは言い難いエルガー自身の演奏のアウトラインを、あえてなぞるという選択をした点である。そこには、単なる「原典尊重」を超えた、作曲家という存在への一種の畏敬、あるいは自己抑制の美学が感じられる。
ショルティは、本来であれば自らの圧倒的な統率力と構築力によって、エルガーの音楽をより劇的に、より国際的な交響曲へと仕立て上げることも十分に可能であったはずである。しかし彼はそうしなかった。むしろ、作曲者自身の演奏に内在する呼吸やテンポ感、フレージングの癖までも含めて再現しようと試みているように聴こえる。
その姿勢は、結果としてボールトとは異なる地点から、同じ問い――「エルガー演奏における原典とは何か」――に迫るものとなった。すなわち、原典とは演奏の完成度や洗練度ではなく、作曲者が音楽に託した時間の流れそのものなのではないか、という問いである。
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ロジャー・ノリントン
近年の演奏家の中で、いわゆる「原典主義」をエルガー演奏にまで徹底的に適用しようと試みた存在として、サー・ロジャー・ノリントンの名を挙げることができる。ノリントンは、ノン・ヴィブラート奏法をその中核に据え、「ヴィブラート奏法が広く常用されるようになったのは第二次世界大戦以降であり、それ以前に作曲された作品は本来ノン・ヴィブラートで演奏されるべきである」と主張してきた。彼の論理に従えば、当然ながらエルガーの作品もまたノン・ヴィブラート奏法の対象となる。
もっとも、ノリントンのノン・ヴィブラート奏法と、エルガー自身による自作自演録音との直接的な因果関係については、慎重であるべきだろう。確かに、これらの歴史的録音において、今日の感覚からすれば抑制的、あるいは非均質に聴こえる弦の音色が確認できる場面は少なくない。しかし、それが直ちに「ノン・ヴィブラート」を理念として確立した演奏様式であったと断定することはできない。技術的制約、録音条件、さらには奏者個々の奏法のばらつきといった要因も、慎重に考慮されるべきである。
それでもなお、ノリントンの提起した問題は軽視できない。彼の運動は、今日すでに多くの賛同者を獲得しており、今後さらに広がっていく可能性を秘めている。エルガー演奏の「当たり前」とされてきた音響イメージが、問い直しの俎上に載せられたという意味において、その功績は否定しがたい。
この問題を考える上で、興味深い発言を残しているのが、読売日本交響楽団に客演した際のジェフリー・テイトである。彼はこう語っている。「エルガーの時代に盛んに用いられていたポルタメント奏法を、ガーディナーあたりが本格的に復活させたら面白いだろうね」。
実際、エルガーの自作自演録音を注意深く聴けば、今日の演奏感覚からすれば「過剰」とすら感じられるほどのポルタメントが随所に用いられていることに気づかされる。これは1920年代において、ごく一般的な表現技法であったと考えられている。にもかかわらず、現代の原典主義的アプローチは、ノン・ヴィブラートには敏感でありながら、ポルタメントの復権には慎重、あるいは沈黙を保っているようにも見える。
では、ノン・ヴィブラートとポルタメント、この二つを同時に引き受ける覚悟がなければ、果たして「原典主義」を名乗ることはできるのだろうか。ある要素のみを選択的に採用し、別の要素を無視するのであれば、それはもはや原典主義ではなく、現代的美意識による取捨選択に過ぎないのではないか。
エルガー演奏における原典とは、単なる奏法の問題ではない。それは、作曲者が生きた時代の「音楽的身振り」そのものを、どこまで受け入れる覚悟があるのかという、演奏家の美学と倫理を問う問題なのである。
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ダグラス・ボストック
やはり、ボールトの弟子筋にあたるダグラス・ボストックもまた、作曲者自身による自作自演の演奏スタイルを強く支持する指揮者の一人である。2002年の来日時、学生オーケストラを指揮して《交響曲第1番》を演奏した際に行った筆者とのインタヴューで、彼はきわめて率直な言葉を残している。
「ボクに言わせると、ほとんどの演奏は遅すぎる。ボクの演奏は、リハーサルで計ってみたらだいたい47分30秒くらいだった。基本的には、エルガーの自作自演か、ボールトあたりのテンポと同じくらいさ」
さらに話題は、当時新しかったコリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団の録音へと及ぶ。
「先日のコリン・デイヴィスとロンドン交響楽団のCDを聴いたかい? あれはTerribleだよ。遅すぎる。コリンはボクの友人だけど、あの演奏はどうにもいただけないね」
ここまではまだ、テンポ論争の範囲に収まる発言とも言える。しかし、ボストックはさらに踏み込む。
「ブライデン・トムソンはボクの師匠でもあるけれど、彼の演奏があんなに遅い理由は簡単さ。彼がいつも酔っ払って指揮していたからだよ(爆笑)」
冗談めかした言葉ではあるが、そこには一種の真実が含まれている。すなわち、エルガー作品、とりわけ交響曲においては、後世の演奏伝統の中で“遅く、重く、壮麗に”演奏される方向へと、次第にテンポが引き延ばされてきたという事実である。
エルガー自身の自作自演、そこから直接薫陶を受けたボールト、さらにその系譜を引き継ぐヴァーノン・ハンドリーやダグラス・ボストック。この流れに共通しているのは、感傷的な誇張や後付けの荘厳さを排し、作曲者が想定した音楽の運動性と時間感覚を尊重しようとする姿勢である。
エルガー → ボールト → ハンドリー/ボストック
この系譜こそが、実はもっとも「正統的」と呼ぶにふさわしいエルガー解釈の流れなのかもしれない。少なくともそこには、スコア以前に存在する、作曲者の身体感覚としての音楽時間が、途切れることなく受け渡されているのである。
大友直人
さらに、意外なところにも作曲者の自作自演を重視する指揮者が存在する。それが日本人指揮者・大友直人である。2002年6月、彼が《交響曲第2番》を指揮した際の解釈は、エルガー演奏における「原典とは何か」という問題を、極めて具体的な形で提示するものだった。
問題となるのは第2楽章、73番の Più mosso に入った直後の数小節である。スコア上では、最初の3小節をフォルテからクレッシェンドし、4小節目で突然 ppp に落とすという、きわめて劇的かつ非連続的な指示が書き込まれている。しかし実際には、ほぼすべての録音や演奏において、3小節目の第3拍あるいは第4拍あたりでテヌートをかけ、自然なディミヌエンドを施す処理が慣例となっている。
大友直人もまた、この箇所をスコア通りには処理せず、慣例に従った演奏を行っていた。この点について本人にインタヴューしたところ、次の三つの理由が示された。
第一に、エルガー自身の自作自演が、そのように演奏していること。
第二に、いきなり全合奏でスビト・ピアニッシモをかけることは、実演上きわめて非現実的であること。
第三に、この箇所ではクラリネットに明確なディミヌエンドの指示があり、さらに後半に現れる同種のパッセージでもクラリネットやファゴットにディミヌエンドが指定されている以上、弦楽器もそれに歩調を合わせたほうが音楽的に自然である、という判断である。
一方で、サー・ジョン・バルビローリのように、ほぼスコア通りの処理を要求した指揮者も存在する。ここに、エルガー演奏における原典主義の難しさが凝縮されている。すなわち、原典とはスコアそのものなのか、それとも作曲者が実際に鳴らした音なのか、という問題である。
注目すべきは、大友直人が「慣例」を選んだのではなく、「作曲者の自作自演」を根拠として選択を行っている点である。しかも、この箇所に関しては作曲者自身の録音が二種類存在し、最初の録音ではスコア通り、二度目の録音では慣例通りに演奏されているという事実がある。つまり、作曲者自身がスコアから離脱しているのである。
この事実は、「作曲者の意図」という言葉が、単一で固定されたものではないことを雄弁に物語っている。エルガーにおいては、スコアは完成形ではなく、演奏という実践の中で修正され続ける可変的な存在であった。原典主義とは、単に楽譜を絶対視する態度ではなく、作曲者が最終的に選び取った「音楽的判断」をどこに見出すかという、解釈行為そのものなのである。
ジェイムズ・ロッホラン
もう一人、作曲者の原典に異様なまでの執念を燃やした、いわば「頑固な原典主義者」と呼ぶべき指揮者がいる。ジェイムズ・ロッホランである。
ロッホランは《交響曲第2番》を演奏する過程で、どうしても腑に落ちない箇所に直面したという。特定のクレッシェンド指定が、いくら注意深くリハーサルを重ねても、音楽的にうまく立ち上がらない。演奏上の技術的問題というより、指示そのものに何か根本的な齟齬があるのではないか――そう感じた彼は、エルガー・バースプレイスに赴き、自筆譜の精査に取りかかった。
そこでロッホランは、印刷譜とは異なる決定的な事実を発見する。問題のクレッシェンドは、出版されたスコアに記されている位置とは異なる箇所に、エルガー自身の手で書き込まれていたのである。この発見によって、彼が長年感じていた違和感は一気に解消されたという。
来日時にロッホラン本人にこの点を直接確認したところ、該当箇所は第2楽章終結部、89番の3小節後であることが明らかになった。自筆譜においてロッホランが確認したのは、トロンボーンのクレッシェンドの頂点が、印刷譜よりも2拍後ろに設定されているという事実である。この配置に従うことで、トロンボーンの音が従来以上に浮かび上がり、楽章の終結に向かう過程がより深く、陰影に富んだものになる――それがロッホランの実感だった。
実際、この解釈はロッホラン自身の録音で確認することができ、印刷譜に基づく従来の演奏とは明らかに異なる印象を残す。しかし、ここで問題は終わらない。決定的なのは、エルガー自身が残した二度の自作自演録音において、このパターンが採用されていないという事実である。
つまり、ロッホランは「作曲者の自筆譜」に忠実であろうとしたが、「作曲者自身が最終的に鳴らした音」からは逸脱しているのである。この逆説は、原典主義の根幹を揺るがす。自筆譜、初版譜、改訂譜、そして録音――そのいずれをもって「原典」と呼ぶべきなのか。エルガーの場合、作曲者自身がそれらを一致させる努力を必ずしもしていない。
ロッホランの実践は、原典主義の理想形であると同時に、その限界をも露呈している。原典を突き詰めれば突き詰めるほど、作曲者の意図は一つに定まらず、むしろ分裂していく。エルガー演奏において原典とは、拠り所であると同時に、解釈者を試す迷宮でもあるのだ。


さらに《交響曲第2番》の原典を考える上で、避けて通れない問題がもう一つ存在する。それは、第4楽章149番(楽章開始から約5〜6分付近)に現れるトランペット・ソロのハイHの扱いである。
楽譜上、この音は1小節分しか記されていない。しかし英国のオーケストラ界では、この音を2小節に引き延ばすのが事実上の慣例となっている。その根拠は1927年、作曲者自身が立ち会った録音セッションにある。この時、トランペット奏者アーネスト・ホールが自発的に音を2小節伸ばして演奏したところ、エルガー本人がこれを是としたのである。
この「作曲者公認」の前例は、その後きわめて強い影響力を持ち、現在流通しているほとんどの録音が2小節伸ばしを採用している。だが、その一方で、楽譜通り1小節で切っている指揮者も確実に存在する。具体的には、バルビローリ、メニューイン、バレンボイム、スラットキン、マントルの5人である。東京交響楽団を指揮した大友直人は2小節伸ばしを選択し、尾高忠明は「両方のパターンを試したことがある」と述べている。一方、広上淳一は1小節で明確に切っていた。
この問題は、ベートーヴェンの《交響曲第3番「エロイカ」》終盤における、いわゆる「主題の行方不明」問題を想起させる。作曲当時のトランペットでは演奏不可能な音域まで書き込まれたため、後世の演奏家は「楽譜通りに不完全な形で演奏するのか」「完成形を補って演奏するのか」という選択を迫られてきた。エルガーのこのハイHも、まさに同種の問いを現代に突きつけている。
この点で、特に興味深い存在がショルティである。彼はエルガーの自作自演を徹底的に研究したことで知られ、その結果、この箇所を2小節伸ばして演奏している。しかし、ここで一つの矛盾が浮かび上がる。原典主義者を自認するショルティが、楽譜の明示的な指示を無視する――これは原典主義の原則からすれば、「本来やってはいけないこと」に属するのではないだろうか。
さらに皮肉なのは、そのショルティが、シカゴ交響楽団とのベートーヴェン《エロイカ》の録音においては、終盤のトランペットをあえて楽譜通りに処理し、「主題の行方不明」をそのまま提示している点である。多くの演奏が補完的処理を施す中で、彼はここでは徹底してスコアに従っているのだ。
一方で、作曲者と直接の交流を持ち、「情」による判断を下しそうな印象のあるバルビローリやメニューインが、むしろエルガーでは楽譜通り1小節で切っている。この対照は示唆的である。作曲者の意図を尊重するとは何か。作曲者の言葉か、書かれた譜面か、それとも最終的に鳴らされた音なのか――その答えは、演奏家の立場によって驚くほど異なる。
結局のところ、《交響曲第2番》におけるこのトランペットの一音は、原典主義の本質的な矛盾を象徴している。作曲者の承認を得た「慣例」と、作曲者自身が書き残した「譜面」とが食い違う時、どちらを原典と呼ぶべきなのか。エルガー演奏において原典とは、決して一つに定まる不動の基準ではなく、常に解釈者の倫理と美意識を問い返す、危うい均衡点に存在しているのである。
リチャード・ディッケンズ&ラファエル・ウォルフィッシュ
このような自作自演盤重視の傾向は、決して過去の議論にとどまるものではない。むしろ近年の録音において、より意識的に、そして理論的に再浮上していると言ってよいだろう。
その好例が、リチャード・ディッケンズ指揮、ラファエル・ウォルフィッシュ独奏、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団による《チェロ協奏曲》である。この録音は、エルガー自身の指揮、ビアトリス・ハリソン独奏による1928年の録音を明確に意識して制作されたものであり、単なる歴史的参照にとどまらず、解釈の出発点そのものを自作自演に置いている。
今日、我々が「標準的」として耳にしている《チェロ協奏曲》は、実は必ずしも作曲者の最終的意図を反映したものとは言い切れない。楽譜が出版された時点ですでに複数の改訂が行われており、その過程で演奏慣習や実用的配慮が優先された可能性があることを、研究家ジョナサン・デル・マーは指摘している。彼によれば、エルガーがハリソンとともに行った二度の録音に使用されたスコアこそが、作曲者の真意に最も近い形を伝えるものであり、これを原典版とみなすべきだという。
しかし、この主張は同時に「原典版」という概念そのものを揺さぶる。なぜなら、ここで想定されている原典とは、印刷された楽譜ではなく、実際に鳴らされた音、すなわち演奏行為そのものだからである。それは厳密な意味での原典版というよりも、むしろ「作曲者自演版」と呼ぶべき性格を帯びている。
この事実は、エルガー作品における原典主義が、単純に譜面へ回帰する運動では成立しないことを明確に示している。エルガーにとって、作品は完成された瞬間に固定されるものではなく、演奏という行為を通じて更新され、再定義される存在だったのではないだろうか。作曲家自身が録音という新たなメディアを積極的に用い、自らの作品を「演奏によって語り直した」ことを考えれば、そこにこそエルガー芸術の最晩年の核心があると見るべきである。
つまり、エルガー演奏における原典とは、紙の上に書かれた最終稿ではなく、作曲者自身が人生の終盤で選び取った音の姿――その危うく、しかし極めて人間的な結論なのかもしれない。
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ヴァーノン・ハンドリー&フィリップ・グラッファン
さらに注目すべき事例として、ヴァーノン・ハンドリー指揮、フィリップ・グラッファン独奏による《ヴァイオリン協奏曲》を挙げねばならない。フリッツ・クライスラーに献呈されたこの作品は、1910年の初演時点ですでにクライスラー自身による編曲や解釈が相当程度入り込んでいたと、グラッファンは主張している。
グラッファンの試みは、そのクライスラー的要素――すなわち後世「伝統」として固定化された演奏表現――を意図的に排し、エルガー自筆譜に立ち返ることで、よりプレーンな状態の《ヴァイオリン協奏曲》を再構築することにあった。彼の言によれば、いわゆる「クライスラー版」と、エルガー自身の自筆譜(しばしばリード版と呼ばれる)との間には、およそ40箇所にも及ぶ相違点が存在するという。
その違いの多くは、ポルタメントの使用頻度、細かなトリルや装飾音の付加位置といった、演奏実践に直結する部分に集中している。しかし興味深いことに、それらの差異は理論的には重大であるにもかかわらず、実際に耳で聴いた印象としては、決定的な断絶を感じさせるほどのものではない。一聴した限りでは、作品の輪郭や情感が劇的に変貌するわけではなく、むしろ同一作品の異なる光の当て方といった程度の違いに収まっている。
ここに、エルガー作品における原典主義の本質的な難しさが露わになる。すなわち、どれほど厳密に自筆譜へ回帰したとしても、そこから立ち現れる音楽が、必ずしも聴覚的に「異なる作品」として認識されるとは限らないという事実である。クライスラーによる装飾は、エルガーの音楽を歪めた異物だったのか、それともエルガー自身が許容し、内在的に抱え込んだ表現の一形態だったのか――この問いは容易に決着がつかない。
むしろこの事例が示しているのは、エルガーという作曲家が、演奏家の個性や介入を前提とした、極めて「開かれた」テクストを書いていた可能性である。自筆譜への回帰は、作品の純化を意味するのではなく、逆にどこまでが作曲者の声で、どこからが演奏家の声なのかを曖昧にするという逆説的な結果をもたらしている。
この意味で、グラッファンの《ヴァイオリン協奏曲》は、原典主義の勝利宣言ではなく、その限界を静かに、しかし雄弁に語る演奏だと言えるだろう。
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デイヴィッド・オウエン・ノリス
さらに特筆すべきは、そもそも楽譜が存在しないにもかかわらず、エルガーの自作自演録音そのものを原典として成立した作品群の存在である。その代表例が《シビック・ファンファーレ》と《5つのピアノ即興曲》である。これらはいずれも、録音のみが一次資料として残されており、言い換えれば**録音それ自体が世界初演であり、かつ唯一の「原典」**なのである。
EMIによるエルガー自作自演全集の中で、1929年にエルガーは5曲から成るピアノ即興曲を録音している。しかしこの演奏は、1970年代に至るまでほとんど顧みられることがなかった。ピアニストのデイヴィッド・オウエン・ノリスは、この録音を手がかりに、文字通り耳で音を拾い上げながら楽譜を再構成し、この作品を自身のリサイタルで繰り返し取り上げてきた。そしてついに、エルガーの自作自演以来、初となる公式録音を実現させている。
この《5つのピアノ即興曲》は、単なる余技やスケッチの集積ではない。第2曲には《Fringes of the Fleet》第2曲「Fate’s Discourtesy」の旋律断片が確認でき、さらに第3曲・第4曲は、未完に終わったピアノ協奏曲へと発展していく萌芽を含んでいる。また、エルガーがピアノのウォーミングアップの際によく弾いていたというロッシーニ風の旋律も顔を出し、作曲家の思考の流れをほぼ無媒介に覗き見ることができる。こうした理由から、この即興曲集は現在、研究者の間でも極めて資料的価値の高い作品として位置づけられている。
同様に《シビック・ファンファーレ》もまた、録音が原典となった稀有な例である。この作品は、1927年にヘレフォードで開催されたスリー・クワイヤーズ・フェスティヴァルの開幕のために作曲され、EMIの録音はその際の演奏を収めたものである。ところが録音後、この音源は一時行方不明となり、1970年代にLP《イメージ・オブ・エルガー》が発売されるまで、その存在すら忘れられていた。
一方で、このファンファーレ自体は1949年頃まで同音楽祭の開幕曲として使用されていたが、やがてその慣習も途絶えてしまう。しかし、LPの再発見を契機として作品が再評価され、スリー・クワイヤーズ・フェスティヴァルの開幕曲として復活を果たすことになる。ここでもまた、録音が作品の存在を救い、歴史を更新したのである。
これらの事例が示しているのは、エルガーにおいて「原典」とは必ずしも紙に書かれた楽譜を意味しない、という事実である。むしろ場合によっては、作曲者自身の演奏行為――その一回性を含めた記録――こそが、最も直接的な原典たりうる。エルガーの自作自演録音は、単なる解釈の参考資料ではなく、作品そのものを成立させる創作行為の延長線上に位置しているのである。
デイヴィッド・テンプル
デイヴィッド・テンプルは、エルガー自身の指揮による《神の国》前奏曲の録音を研究し、その自由なテンポと表現力を全体の演奏に反映させたと述べている。彼は、録音を通じて作品の真価が再評価されることを期待している。《神の国》の録音に際してこのように述べている。「エルガーは晩年、多くの作品を録音した。その中には、アビー・ロードに新しく建設されたEMIスタジオで録音したものもある。エルガーの指揮のもとで『神の国』に伝わったのはプレリュードのみであり、これがこの作品全体への私のアプローチの基盤となっている。音質は多少荒いものの、エルガーの指揮を聴くのはまさに啓示だ。色彩、エネルギー、そして哀愁に満ち溢れ、楽譜に記されているよりもはるかに多くのルバートが用いられている。言い換えれば、エルガーのプレリュードの解釈は極めて流動的で、まさにその瞬間を捉えているのだ。彼は真の勢いとドラマ性をもって、望む方向に曲を導き出す。私はそれが完全に解放的だと感じ、楽譜全体の解釈に大きな影響を与えた」
テンプルが強調するのは、エルガーのプレリュード解釈が「楽譜に記されているよりもはるかに多くのルバートを含んでいる」という事実である。
もし楽譜が完全な意図の固定化であるならば、作曲者自身がそこから逸脱する理由はない。しかし実際の録音では、テンポは伸縮し、フレーズは呼吸し、推進力は瞬間ごとに変化する。
この事実は二つの可能性を示唆する。
楽譜はあくまで近似値である
真の原典は演奏実践の中にある
テンプルは明らかに後者に傾いている。
エルガーの自作自演の録音は、絶対的権威であると同時に、歴史的偶然でもある。
テンプルが「解放的」と述べるのは、録音が楽譜解釈を拘束するのではなく、むしろ拡張するからであろう。
《神の国》でエルガー自身の録音が残るのはプレリュードのみである。
テンプルはこれを作品全体への「基盤」とした。
もし録音が「最終意志」ならば、それは作曲家の変化や偶然をも包含する。原典概念はここで流動化する。
エルガー演奏の原典とは、楽譜と録音の間に張り詰めた緊張関係そのものである。
録音は啓示である。
しかしそれは規範ではなく、出発点である。
エルガーは楽譜を残した。
同時に、楽譜を超える自由も残した。
原典とは、完成形ではなく、
解釈を永遠に開き続ける力そのものなのかもしれない。
以上の事例が示しているのは、作曲者の原典とは何かを考察することが、演奏家にとって過去を忠実に再現するための作業ではなく、作曲者の思考と再び接続するための、能動的かつ創造的な営みであるという事実である。エルガーにおいて、原典とは固定された完成形ではない。それは、作曲し、演奏し、録音するという行為の連なりの中に、かろうじて立ち現れる「痕跡」にすぎない。
エルガーの自作自演における演奏様式――1920年代の演奏美学とSP録音技術がもたらした歪み
エドワード・エルガーの自作自演(指揮)による録音は、現代における標準的な演奏解釈と比較して、際立って特異な様式を示している。その特徴は、過度に速いテンポ、著しく柔軟なアゴーギク、そして頻繁に用いられるポルタメントに代表されるが、これらを単に「作曲家自身による理想的解釈」として理解することは、歴史的にも音楽学的にも妥当ではない。むしろ、1920年代ヨーロッパ、とりわけ英国における演奏慣習と、SPレコード録音という当時の技術的制約が複合的に影響した結果として捉えるべきである。これはエルガーの自作自演だけの話ではなくヒストリカル録音全般においてもおおよそ同じことが言えることでろう。
まず、弦楽器におけるポルタメントの多用について考察する。1920年前後のヨーロッパ、特に英国では、旋律線に情感と柔軟な歌心を与えるため、音と音を滑らかに結ぶポルタメント奏法が広く流行していた。これは19世紀後期ロマン主義の演奏美学の延長線上に位置するものであり、旋律に人間的な温度と感情の揺らぎを付与するための主要な手段であった。エルガーの自作自演においても、この表現技法は顕著であり、旋律はしばしば官能的とも言える濃密な抒情性を帯びる。この点において、彼の演奏は現代的な即物的解釈とは根本的に異なり、19世紀的演奏伝統の最晩年の姿を留めた貴重な記録であると言える。
次に、テンポ設定の異様な速さと、その背後にあるSP録音技術の制約について論じる必要がある。当時の78回転SPレコードは、1面あたり約3〜4分という厳格な収録時間制限を有していた。そのため、楽章や主要部分を一枚の盤面に収めるには、演奏テンポを意図的に速める以外に方法がなく、多くの場合、本来の音楽的自然さを犠牲にした不自然なテンポ運びが強いられた。この「3〜4分の壁」は、演奏解釈に対して決定的な影響を及ぼし、結果としてエルガーの録音には、しばしば性急で落ち着きを欠く印象が刻印されることとなった。
この点を実証する重要な事例として、一巻以内に容易に収まる短い小品群の存在が挙げられる。行進曲、性格的小品、抒情的小曲など、演奏時間が3分前後に収まる作品において、エルガーはテンポ制約をほとんど意識する必要がなく、その結果、驚くほど自由で伸びやか、かつ自然なテンポ運びを示している。これらの演奏では、旋律は十分に呼吸し、フレーズは大きく弧を描き、楽想の展開もきわめて有機的である。ここには、前述の長大な楽章に見られる不自然な切迫感は存在しない。この対照的な差異は、エルガーのテンポ設定が美学的信念のみならず、SP録音の物理的制約によって大きく規定されていたことを雄弁に物語っている。
さらに、録音後の編集過程において、収録時間を盤面内に収めるため、再生時の回転数を変更し、結果としてピッチを操作するという措置が取られた事例も確認されている。一度録音した演奏が制限時間をわずかに超過した場合、再録音を避けるため、回転数を上げて再生し、時間短縮を図るという方法が用いられたのである。これは音楽的観点から見れば妥協以外の何物でもなく、結果としてテンポと音高の両面に歪みを生じさせる要因となった。
これらの技術的制約に加え、エルガー自身の音楽的資質もまた、その演奏様式を決定づける重要な要素である。彼の指揮は、楽譜上の指示を超えた大胆なテンポ変化、即興的な緩急操作、劇的なダイナミクスを特徴とし、音楽を巨大な建築構造として構築しようとする強い志向を示している。細部の精密さよりも、全体構造の推進力と情念的高揚を優先するその姿勢は、彼を単なる職人的作曲家ではなく、強烈なロマン的衝動を内包した芸術家として浮かび上がらせる。
以上を総合すれば、エルガーの自作自演録音は、①1920年代英国を中心とする演奏美学としてのポルタメント多用、②SP録音技術の時間制約およびピッチ操作という物理的限界、③作曲家自身の即興性と情熱的構築性、という三要素が交錯した結果として成立したものであると言える。したがって、これらの録音は「作曲家自身の理想形」として無批判に受容されるべきではなく、むしろ時代的制約と芸術的衝動が生んだ、歴史的証言として精査されるべき存在である。
エルガーの自作自演と現代演奏の乖離
エルガーの自作自演と、現代における標準的な演奏との最大の相違点は、音楽に対する姿勢そのものの違いにある。現代演奏は、正確性、均質性、客観性を重視し、楽譜の再現性を第一義とする。その結果、音楽は洗練され、整然とし、細部まで磨き上げられる一方で、過度に無菌的で、情念の振幅を失った存在となりがちである。
エルガーの自作自演に見られる激しいテンポ変化、アゴーギクの自在な操作、突発的な加速や沈潜は、現代の価値観から見れば「恣意的」「主観的」「不安定」と評されるかもしれない。しかし、それらは単なる気まぐれではなく、音楽を生き物として扱う19世紀的演奏美学の必然的帰結であった。
現代演奏は「正しい音楽」を目指すが、エルガーの自作自演は「生きている音楽」を鳴らそうとしている。この根本的な姿勢の違いが、両者の決定的な隔たりを生んでいるのである。
現代演奏におけるエルガー解釈は、全体としてテンポの安定性と構築美を重視する傾向が強い。ボールト、バルビローリ、ハンドリー、プレヴィン、ラトル、あるいは近年のペトレンコやガードナーに至るまで、その基本姿勢は一貫している。すなわち、テンポの急激な変化を極力抑え、楽曲構造を明晰に提示することで、交響的整合性を担保するという方向性である。
これに対し、エルガーの自作自演では、テンポは常に流動的で可変的であり、推進力と呼吸が極端なまでに強調される。特にクライマックスへの加速や、抒情的部分での急激な沈潜は、現代演奏の基準からすれば、ほとんど演奏様式の異文化的差異とすら言えるほどである。
この違いは、《交響曲第1番》《交響曲第2番》《エニグマ変奏曲》《ゲロンティアスの夢》といった大規模作品において顕著である。現代演奏が壮麗な大建築を静かに組み上げていくのに対し、エルガー自身の演奏は、激情と衝動に突き動かされながら、音楽を前へ前へと押し流していく。
結果として、現代演奏は「堂々たる構築美」を獲得した一方で、エルガー音楽に内在する不安、焦燥、翳り、自己懐疑といった暗部を相対的に希薄化させてしまったと言える。
現代演奏のもう一つの特徴は、表情の節度にある。過度なルバートやポルタメントは「時代遅れ」「感傷的」と見なされ、旋律線は清潔で直線的に処理される。その結果、音楽は透明度を増すが、同時に情緒的な陰影を大きく失う。
エルガーの自作自演においては、旋律は決して直線的ではなく、常に揺れ、ためらい、ため息を伴っている。ポルタメントは旋律を官能的に結び、アゴーギクはフレーズに心理的重力を与える。そこには、人間の呼吸と感情の脈動がそのまま刻印されている。
現代演奏における「節度ある抒情」は、確かに洗練されているが、同時にエルガー特有の傷つきやすさ、内省性、精神的緊張を中和してしまう危険性を孕む。とりわけ《交響曲第2番》や《ゲロンティアスの夢》のような精神的深度を持つ作品において、この差異は致命的となる。
現代におけるエルガー解釈を歪めている最大の要因は、言うまでもなく**《威風堂々》によって固定化された国家的・儀礼的イメージ**である。このイメージは、エルガーを「壮麗・高貴・堂々たる英国精神の象徴」という一面的像に押し込め、彼の内面的葛藤や影の部分を周縁化してきた。
その結果、多くの現代演奏は、エルガー作品を過度に格調高く、荘重に、均整美をもって描こうとする傾向に陥っている。確かにその方向性は、音楽的完成度を保証するが、同時に、エルガー自身が抱えていた不安、孤独、自己否定、宗教的懊悩を捨象してしまう。
エルガーの自作自演における激しい表情変化や不安定なテンポ感は、まさにその内面の葛藤を赤裸々に映し出すものであり、そこにこそこの作曲家の真の肖像が刻まれている。
現代演奏は、エルガー音楽を美しく、整然と、完成度高く提示する術を獲得した。しかしその代償として、切実さ、痛み、揺らぎ、そして精神的緊張を大幅に喪失した。
エルガーの自作自演は、音楽的完成度という観点から見れば、粗削りで、不均衡で、時に破綻すら孕む。しかし、その中には、作曲家の呼吸、鼓動、躊躇、衝動が、ほとんど生々しい形で封印されている。
現代演奏は、エルガーを「大英帝国の象徴」へと神格化したが、エルガー自身はむしろ、矛盾と不安と自己嫌悪に引き裂かれた、極度に繊細な芸術家であった。その真の姿は、皮肉にも、技術的制約と時代的様式に縛られた自作自演録音の中にこそ、最も鮮烈に刻まれているのである。




