ジョン・バルビローリ ― エルガーを情で奏でた詩人指揮者
**ジョン・バルビローリ(Sir John Barbirolli)**は、エルガー演奏史において、**ボールトと並ぶ「双璧」**ともいえる存在である。ただし、ボールトがエルガーの「公的」な継承者であったとすれば、バルビローリは、より「私的」な、情念に根ざしたエルガー演奏の代弁者と呼ぶべきであろう。
■ エルガーへの情熱と親しみ
バルビローリは1899年、エルガーが《エニグマ変奏曲》を書き上げた年に生まれた。世代としてはエルガーの次世代にあたり、直接の指導を受けたわけではないが、深い共感をもってエルガーの音楽に接した演奏家の代表格である。エルガーの指揮でオーケストラのメンバーとして演奏した経験もある。
バルビローリはしばしばこう語っている:
「私の音楽的アイデンティティの根底にはエルガーがいる」
この言葉の通り、バルビローリにとってエルガーは「英国音楽の象徴」であると同時に、彼自身の人格の核と響き合う存在だったのである。
■ 演奏の特徴:感情の奔流と詩情
バルビローリのエルガー演奏は、情感の豊かさと詩的な呼吸感に満ちている。ボールトが構造を重んじ、整然とした設計美の中にエルガーの品格を描き出したのに対し、バルビローリはより人間的で、涙腺に訴えるような音楽を作り上げる。
その代表が、1957年にハレ管弦楽団と録音した《交響曲第1番》。この演奏は、第1楽章冒頭から溢れるような愛情と敬意に満ちており、クライマックスの盛り上がりでは、抑えきれない感情の奔流が押し寄せてくる。まるで「愛する者の肖像を慈しむような」エルガーである。
■ 《チェロ協奏曲》とデュ・プレとの金字塔
特にバルビローリのエルガー演奏において決定的な録音となったのが、1965年のジャクリーヌ・デュ・プレとの《チェロ協奏曲》(ロンドン交響楽団との録音)。
この演奏は、20世紀後半の名演中の名演として今なお語り継がれている。バルビローリは若きデュ・プレに惜しみない信頼と愛情を注ぎ、老練の指揮者と天才少女の魂の対話を成就させた。
悲哀と諦念、情熱と純粋――エルガーの内面を映し出したこの録音は、エルガー自身の最晩年の心情を、バルビローリ自身の生涯の総決算のような姿勢で導いたものといっても過言ではないだろう。
■ レパートリーの広がりと重要録音
バルビローリのエルガーレパートリーには、以下のような録音・演奏が含まれる:
交響曲第1番・第2番(ハレ管)
チェロ協奏曲(デュ・プレ、ロンドン響/またはナヴァラとのバージョンも)
エニグマ変奏曲(壮大なロイヤル・アルバート・ホール録音あり)
ゲロンティアスの夢(ライヴスタジオともに録音あり)
威風堂々第1番(しばしばアンコールで取り上げた)
さらには声楽作品や、歌曲にも関心を寄せていた(スタジオ録音は残されていないが、記録あり)
特に、交響曲第2番の演奏では、エルガーの繊細な陰影を最大限に引き出しており、終楽章の黄昏のような美しさは、彼にしか出せないと高く評価されている。
■ エルガー演奏におけるバルビローリの役割
バルビローリはエルガーの作品を19世紀的ロマン派の延長としてではなく、「20世紀的詩人」として解釈した点で特筆に値する。つまり、歴史の重みと個人の感情を融合させた演奏を可能にした人物であった。
また、彼が率いたハレ管弦楽団が、マンチェスターという北部の土地にエルガー演奏の伝統を根付かせた功績も無視できない。ロンドン中心の音楽文化に対抗し、英国全土にエルガーの火を灯した人物の一人でもある。
■ 涙のエルガー、心のエルガー
エルガーの音楽には「公」と「私」、「栄光」と「孤独」が同居している。
バルビローリはそのうちの「私」と「孤独」に寄り添い、人間の弱さと美しさを音楽にして見せた希有な指揮者であった。
エルガー演奏において、ボールトが「記録」なら、バルビローリは「記憶」。
ボールトが「肖像画家」なら、バルビローリは「詩人」。
エルガーという作曲家の本質を心で語った、もう一人の巨匠――それがジョン・バルビローリなのである。