ウースター大聖堂

ウースター大聖堂

ウースター大聖堂

 

ウースター大聖堂は、エルガーにとって単なる宗教建築でも、郷土的名所でもない。そこは音楽が空間として立ち上がる経験を、彼が最初に身体化した場所であった。西暦680年にまで遡る宗教的伝統を背負い、現在の建物も11世紀を起点として幾度もの改築を経てきたこの大聖堂は、時間の堆積そのものを内部に孕んでいる。その「時間が響く空間」こそが、後のエルガー作品に決定的な刻印を残す。

 

とりわけ重要なのが、ウースター、グロースター、ヘリフォードの三都市が持ち回りで開催する〈三大合唱祭〉である。このフェスティヴァルは18世紀初頭に始まり、英国合唱文化の中枢を成してきた。1866年、9歳のエルガーがこの祭を聴いたという事実は、単なる逸話ではない。大聖堂の巨大な残響の中で、オーケストラと合唱が一体となって鳴り響く体験は、音楽を「音響建築」として捉える感覚を、幼いエルガーの内部に植え付けたと考えるべきだろう。

 

後年、エルガー自身がこのフェスティヴァルのオーケストラに加わり、1884年にはドヴォルジャークの指揮の下で演奏している事実は象徴的である。交響曲と宗教作品が同一空間で鳴り響く経験、しかもそれを内側から体験したことが、彼のオラトリオ観――とりわけ《ゲロンティアスの夢》における劇的時間と霊的空間の融合――へと直結していく。

 

ウースター大聖堂は、エルガーの宗教音楽を「信仰の表明」としてではなく、生と死を貫く音響ドラマとして成立させる条件を提供した場所であった。ここでは、神学よりもまず「響き」が先行する。祈りは思想ではなく、空間の振動として経験される。その感覚こそが、《ゲロンティアスの夢》における、劇場的でありながら決してオペラにはならない独特の語り口を生んだのである。

 

1935年、エルガー没後に設置された《ゲロンティアスの夢》を主題とするステンド・グラスは、この関係性を視覚的に結晶化したものと言える。病床のゲロンティアス、友人たちの祈り、天使の導き、そして神の御前へと至る過程――それは音楽が描いた「霊的通過儀礼」を、空間の中に固定する行為であった。そこに添えられた
“Praise to the HOLIEST in the highest and in the depth be praise”
という言葉は、天上と深淵を同時に指し示す。これはまさに、エルガー音楽の垂直的構造そのものである。

 

重要なのは、このステンド・グラスが目立たない位置に置かれているという事実だ。正面から誇示されるのではなく、「知っている者だけが辿り着く」場所にひっそりと存在する。そのあり方自体が、エルガー受容の性格を象徴している。すなわち、声高な国民的記念ではなく、静かな巡礼としての受容である。

 

地下図書室に保管された自筆譜、ギフト・ショップに並ぶ慎ましい記念品――これらすべてを含めて、ウースター大聖堂はエルガーを「偉大な作曲家」としてではなく、この場所で音を聴き、音に導かれた一人の人間として記憶し続けている。

 

エルガーにとってウースター大聖堂とは、回帰すべき原点であると同時に、彼の音楽が最終的に帰属する空間でもあった。生誕地が人生の始まりを象徴するなら、この大聖堂は、彼の音楽的精神が最初に目を開いた場所であり、そして今もなお《ゲロンティアスの夢》が「正しく響く」数少ない空間の一つなのである。

 

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