ハムステッドの家「セヴァーン・ハウス」

ハムステッドの家「セヴァーン・ハウス」

「セヴァーン・ハウス」

 

エルガーがここで暮らした時期=1911~1921年

 

 <ここで作曲された主な作品>
  カンタータ《ミュージック・メイカーズ》(1912)
  交響的習作《ファルスタッフ》(1913)
  管弦楽曲《カリシマ》(1913)
  管弦楽曲《ソスピリ》(1914)
  カンタータ《英国精神》(1916)
  劇付随音楽《スターライト・エクスプレス》(1915)
  バレエ音楽《真紅の扇》(1917)

 

 

「セヴァーン・ハウス」は、ケンウッド音楽祭の開催地として知られるハムステッドに位置していた。ロンドン中心部から鉄道で20分ほど北に離れたこの住宅地は、19世紀にはバイロン、シェリー、キーツといった詩人たちや、画家ゲインズボロが居を構えた街として知られ、英国文化史において特異な厚みをもつ場所である。日本人にとっては、夏目漱石が一時期暮らした街としても記憶されているが、エルガーが当地に住んだ時代とは微妙な時間差があり、両者がこの街で交差した可能性は低い。

 

 ハムステッドの中心部からほどなく、小ぢんまりとした街並みを抜けると、周囲の気配が一変し、閑静な住宅街が現れる。その一角に、エルガーが故郷セヴァーン川への郷愁を託して名付けた「セヴァーン・ハウス」があった。現在のように記念館化されているわけではなく、観光案内所も存在しないため、所在地を探すには地元の不動産屋に尋ねるほかなかったが、その対応は驚くほど親切で、エルガーがこの街に残した静かな記憶を今に伝えているかのようでもあった。

 

 現在、この家は建て替えられており、往時の姿をとどめてはいない。しかしエルガーが居住していた当時、そこには専用の音楽室に加え、地下にはビリヤード室まで備えられていたという。この家でエルガーは第一次世界大戦の勃発を迎え、また一九一四年には、生涯で初めて自作の録音に臨んでいる。後年の沈黙を思えば、ここで生み出された作品群は、エルガーの創作における「最後の輝き」と呼ぶにふさわしい時期に属する。

 

 仕事場としての機能性という点では、「セヴァーン・ハウス」は理想的であった。しかし、ロンドンの喧騒に次第に倦み、また妻アリスの健康状態が思わしくなかったこともあり、エルガーは夏の間、サセックスの山荘をセカンド・ハウスとして利用するようになる。だが一九二〇年四月七日、そのアリスがこの家で息を引き取る。深い喪失感に沈んだエルガーは、地下のビリヤード室にこもり、顕微鏡を覗く日々を送ったという。かつて娯楽のために設えられた空間は、この頃には彼の趣味であった生物学実験のための「実験室」へと変貌していた。

 

 戦争と最愛の妻の死――その双方を刻印されたこの家に、エルガーはもはや留まり続けることができなかった。翌年、彼は転居を決意する。セヴァーン・ハウスには、単なる居宅以上の重さがある。創作の頂点と人生の暗転とが重なり合ったこの場所には、今なお、どこか拭いがたい陰影が漂っているように感じられる。
ハムステッドの家「セヴァーン・ハウス」
ハムステッドの家「セヴァーン・ハウス」
ハムステッドの家「セヴァーン・ハウス」
ハムステッドの家「セヴァーン・ハウス」

 

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「英国的私生活空間」とエルガーの孤独

エルガーの孤独は、しばしば「晩年の不遇」や「妻アリスの死」といった伝記的事実に回収されがちである。しかし、それだけでは説明しきれない質の孤独が、彼の生活空間そのものに深く刻み込まれている。それを理解する鍵の一つが、いわば**「英国的私生活空間」**という概念である。

 

 英国文化において「家」は単なる居住の場ではない。とりわけエドワード朝期の中産〜上流階級において、家屋は外界から切り離された精神の領域であり、内面を守るための殻のような存在であった。そこでは感情は公に表出されず、苦悩は共有されることなく、静かに内部へ沈殿していく。エルガーの住居遍歴――モールヴァーン、ロンドン、そしてセヴァーン・ハウス――は、この英国的空間感覚の縮図と見ることができる。

 

 セヴァーン・ハウスは、創作のために理想的に設計された空間であった。専用の音楽室、地下のビリヤード室、周囲から隔絶された静謐な環境。だがその完結性こそが、エルガーの孤独を決定的なものにしたとも言える。家は彼を守ったが、同時に世界から切り離した。第一次世界大戦という外的断絶が訪れたとき、この家は避難所ではなく、孤立を増幅する共鳴箱となった。

 

 アリスの死後、エルガーが地下室に籠もり、顕微鏡を覗く日々を送ったという逸話は象徴的である。顕微鏡とは、外界を拡大する装置であると同時に、視野を極端に狭める装置でもある。人間的関係や社会的役割から距離を置き、無言の対象と一対一で向き合う行為は、英国的私生活空間がもつ「内向性」の極端な表れであろう。そこには嘆きも叫びもない。ただ、沈黙の中で自己を摩耗させていく時間がある。

 

 この孤独は、決してロマン主義的な「芸術家の孤独」ではない。むしろエルガーの場合、それは社会的に成功した英国紳士であるがゆえに許され、同時に強いられた孤独であった。ナイト爵位を授かり、国民的作曲家と讃えられながら、その内面を吐露する場を持たなかったエルガーは、家という私的空間にすべてを引き受けさせるほかなかった。

 

 セヴァーン・ハウスを去った後、エルガーの創作意欲が急速に衰えていくことは偶然ではない。彼にとって「家」は単なる背景ではなく、音楽を生み出すための精神的装置そのものであった。その装置が、戦争と死によって破壊されたとき、彼はもはや新しい音楽を組み立てることができなかった。

 

 エルガーの孤独とは、個人的悲嘆と社会的沈黙、そして英国的私生活空間が交差する地点に生まれた、極めて近代的な孤独である。それは外に向かって叫ばれることなく、壁の厚い家の内部で静かに反響し続ける。私たちが彼の音楽に感じ取るあの言葉にならない「痛み」は、まさにその反響音なのかもしれない。

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