ロレットヴィラ
ロレット・ヴィラは、1879年から1883年にかけてエルガーが暮らしていた住居である。当時の住所はチェストナット・ウォーク35番地であったが、現在は番地整理により12番地となっている。この住所変更は些細な事実に見えるが、エルガーの人生におけるこの時期そのものが、定住を拒む「過渡期」であったことを象徴している。
この家は、エルガーが後に妻となるアリスと結婚する以前、姉ルーシー(愛称ポリー)が嫁いだグラフトン一家のもとに一時的に身を寄せていた場所である。つまりロレット・ヴィラは、エルガー自身の家庭でも、両親の家でもなく、姉の家庭という「借り物の空間」であった。
ここで重要なのは、この居住が自立した作曲家の生活ではなく、まだ社会的にも経済的にも不安定な青年エルガーの姿を如実に物語っている点である。音楽家としての野心はすでに明確であったが、それを支える制度や地位は存在しない。ロレット・ヴィラは、そうした宙づりの状態を静かに受け止める場所であった。
同時に、この家はグラフトン一家との親密な関係を日常的に体感する空間でもあった。後年「連合の歌」から《帝国行進曲》、さらには《グラフトン・マーチ》へと連なる素材的執着を考えると、この時期の家族的環境が、単なる生活上の便宜にとどまらない意味を持っていたことは明らかである。
ロレット・ヴィラは、記念碑的な作品が生まれた場所でもなければ、後年のような象徴的意味を帯びた住居でもない。しかしこの「目立たなさ」こそが重要である。
ここには、作曲家エルガーではなく、まだ「作曲家になろうとしている人間」エルガーがいた。
ロレット・ヴィラとは、エルガーの人生における定住以前、結婚以前、そして自己確立以前の、きわめて脆弱で人間的な時間を封じ込めた場所なのである。




