愛の音楽家エドワード・エルガー

グロリアス・ジョン、最後の祈り――バルビローリとハレ管によるエルガー《交響曲第1番》1970年ライブ

1970年7月24日、ジョン・バルビローリはキングス・リン音楽祭で、セント・ニコラス礼拝堂においてハレ管弦楽団を指揮し、エルガーの交響曲第1番を演奏した。これが彼の生涯最後の公演であり、4日後に心臓発作で世を去ることとなる。そのためこの記録は、単なる一演奏ではなく、バルビローリの芸術人生の終着点として特別な意味を持つ。

 

礼拝堂の豊かな残響は、ハレ管弦楽団の弦の温もりと金管の輝きを包み込み、フォルティッシモでも硬化しない柔らかな響きを与えている。まるで音響そのものが、老指揮者への温かな鎮魂のヴェールのように感じられる。演奏全体には生々しいライヴ特有の高揚があり、特に第1楽章のクライマックスにおける金管の爆発には「恐ろしいほどの激しさ」が宿っている。第4楽章の終結も同様に壮絶なエネルギーを放ち、死の直前に到達した精神的極点を思わせる。

 

モットー主題の扱いには深い郷愁が滲む。バルビローリはこの旋律を、ただの回想としてではなく、生涯の旅路を見つめ返す祈りのように歌わせる。とりわけアダージョの冒頭は、豊かで深い弦の響きの中に、人間的な温もりと静かな諦念が同居している。この「暖かさこそがバルビローリの音楽である」と言ってよい。

 

興味深いのは、この演奏が彼の1962年のフィルハーモニア管との演奏ではなく、1956年にハレ管と初めて録音した解釈に回帰している点である。テンポの関係や構成は驚くほど似ているが、1970年版はさらに推進力があり、音楽の内的呼吸がより自由だ。加えて、録音の音質も一層豊かで、礼拝堂の残響が生命感を増幅している。

 

バルビローリはまた、1927年から1962年にかけて《序奏とアレグロ》を6回も録音している。エルガー自身が初期の演奏を聴いて「こんなに大きな作品だとは知らなかった」と語った逸話が残るほど、その演奏は作品の真価を引き出すものであった。今回の1970年の録音にも、その「大きさ」の感覚が息づいており、力強くも温かな中弦の歌が印象的である。

 

確かに演奏精度という点では乱れもある。冒頭モットーの入りは完全に揃わず、スケルツォでは一時的に制御を失う瞬間もある。しかしそれらは欠点ではなく、生の音楽の息づかいを証言するものだ。彼の指揮の核心は完璧さではなく、音楽が生まれ、燃え尽きる瞬間の真実にある。この演奏には、それが確かに刻まれている。

 

EMIがこのBBC録音を快く思わなかったのは当然であった。EMIはスタジオ録音に多大な資金を投じ、バルビローリの最高傑作を手中にしていたからだ。しかし、このライブが持つ人間的な不完全さと精神の純度は、スタジオ録音には決して再現できない。BBC盤は、その意味で「完璧ではない完璧さ」を持つ記録である。

 

この1970年の《交響曲第1番》は、老いた指揮者が最後にエルガーの魂と完全に融合した瞬間を捉えている。礼拝堂の響きに包まれ、ハレ弦の熱狂が燃え上がり、バルビローリは音楽そのものとなって消えていった。これは単なる「遺作」ではない。
エルガーの精神を、イギリスの大地と共に生涯かけて歌い尽くした指揮者の最期の祈りであり、まさに「グロリアス・ジョン(栄光のジョン)」の名にふさわしい、崇高な終章である。

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