エルガーのオラトリオ
1.英国オラトリオの伝統
英国では1760年代頃から各地でオラトリオ演奏の伝統が育まれてきた。とりわけ、バーミンガム、リーズ、ウースター、ヘリフォード、グロースターなどで開催された音楽祭は名高く、この伝統は現在まで継承されている。
この流れの中から、ヘンデルの《メサイア》、メンデルスゾーンの《パウロ》《エリア》、ドヴォルジャークの《レクイエム》《スターバト・マーテル》といった名作が英国で広く受容され、演奏文化を形成した。
その伝統はエルガー以後も受け継がれ、ヴォーンウィリアムズ、ディーリアス、ホルスト、ウォルトン、ブリテン、ティペットらが優れたオラトリオ作品を残している。
なかでもバーミンガム音楽祭はエルガーと特に深い関わりを持つ。彼は同音楽祭のために、1900年に《ゲロンティアスの夢》、1903年に《使徒たち》、1906年に《神の国》を作曲した。これらの作品は、今日でもThree Choirs Festival(スリー・クワイヤ・フェスティヴァル)における重要なレパートリーとして定着している。
このように、英国のオラトリオ伝統は18世紀以来の合唱文化を基盤としつつ、エルガーを頂点の一つとして20世紀へと豊かに展開していったのである。
2.エルガー宗教音楽の集大成
エルガーの宗教音楽は、その個人的信仰体験と英国合唱伝統の交差点に成立した。エルガーの家系は父の代からローマ・カトリックであり、父は楽器店を営む傍ら、ウスター近郊の聖ジョージ教会でオルガニストを務めていた。やがてエルガー自身も同教会でオルガンを弾き、典礼のための宗教曲を作曲するようになる。
1866年、9歳のエルガーはウースター大聖堂でヘンデルの《メサイア》を聴き、深い感銘を受けた。さらに1884年には、同聖堂でドヴォルジャーク自作《スターバト・マーテル》を指揮する公演において、エルガーはオーケストラの一員としてヴァイオリンを弾いていた。これらの直接的体験は、後年の大規模宗教作品創作に少なからぬ影響を与えたと考えられる。
名声が高まるにつれ、各地の音楽祭から委嘱が舞い込み、やがて《ゲロンティアスの夢》《使徒たち》《神の国》といった大作が誕生する。これらの背景には、少年時代に聞いた教師フランシス・リーヴの言葉があった。「キリストに仕えた使徒たちは、特別な家柄でも高い教育を受けた者でもなく、諸君と変わらぬ普通の人々だった」という教えである。この言葉は、使徒を人間的存在として描こうとするエルガーの構想の原点となった。
1898年、バーミンガム音楽祭からの委嘱を受けた際、エルガーは使徒を主題とする作品を構想したが、時間的制約により断念し、代わってジョン・ヘンリー・ニューマンの詩に基づく《ゲロンティアスの夢》を作曲する。しかし三年後、彼は長年温めていた構想を本格化させ、《使徒たち》《神の国》《最後の審判》から成る三部作計画を立てた。三日連続上演を想定したこの壮大な構想には、エルガーが敬愛したワーグナーの楽劇思想の影響が認められる。とりわけライトモティーフの多用は、その美学的継承を示している。
しかし、三部作の最終作《最後の審判》は完成を見ることなく終わった。それでも《使徒たち》《神の国》は、《ゲロンティアスの夢》と並び、エルガー宗教音楽の頂点を形成する。これらの作品は、少年期の信仰体験、英国合唱文化の伝統、そしてワーグナー的総合芸術理念の融合として位置づけられ、エルガー宗教音楽の集大成と評価されるのである。
3.エルガー宗教作品の頂点
《使徒たち》
エルガーの宗教作品の頂点とされる《使徒たち》は、しばしばバッハの受難曲と比較される。バッハが《マタイ受難曲》《ヨハネ受難曲》において描いた聖書の世界観を、エルガーは19世紀末から20世紀初頭の管弦楽語法によって再構築したのである。
象徴的なのはイエスの最期の場面である。バッハが「エリ、エリ、ラマ・サバクタニ」をイエス役の独唱に、「まことにこの人は神の子であった」を合唱に担わせたのに対し、エルガーは前者を主として弦楽器を中心とする管弦楽で表現する。言葉を排した器楽的処理は、内面的苦悩を抽象化し、神秘的な次元へと昇華させる効果を持つ。ここに見られる鮮烈なオーケストレーションこそ、エルガー独自の宗教的ドラマの創出方法である。
さらに注目すべきはフィナーレである。静寂の中に燃えるような情熱を封じ込めた終結部には、後年の《交響曲第2番》終楽章にも通じる、作曲者自身の内的独白が聴き取れる。宗教的主題を扱いながらも、それは単なる聖書叙述ではなく、エルガーの精神史そのものを刻印した音楽となっている。
作品の着想地として重要なのが、ウスター近郊ロングドン・マーシュのクイーンヒル教会である。エルガーはこの地を好んで訪れ、ある日教会の庭で嵐に遭遇し、激しい雷光に啓示的な印象を受けたという。この体験が《使徒たち》のクライマックス形成に影響したと伝えられる。スコア冒頭に記された “In Longdon Marsh 1902–03” の言葉は、単なる地名の記録ではなく、霊感の源泉を刻印した標識と解することができよう。
《神の国》
《神の国》は、三部作構想の中では緩徐楽章的性格を持つ作品であり、全体にわたり穏やかな楽想が支配する。劇的対立よりも内省的瞑想が前面に出ており、エルガー芸術の本質が凝縮されている。しばしば「エルガーの真価は緩徐楽章にある」と言われるが、本作はその言葉を裏付ける存在である。
もっとも、劇的起伏に乏しい構成は、聴き手によっては平板に感じられる可能性もある。しかしその静的持続こそが、時間を超越した「神の国」の観念を音響化する戦略であるとすれば、これは意図的な美学的選択とみなすべきであろう。
当初予定されていた三部作最終作《最後の審判》は結局完成しなかった。その理由としては、作曲家としての名声の高まりによる多忙さが挙げられるが、同時にエルガー自身が《神の国》において宗教的表現の一つの到達点に達したという感覚を抱いた可能性も指摘できる。また彼は「標題のない管弦楽作品こそ最上の芸術である」と公言しており、交響曲という純器楽的形式へと創作の重心を移しつつあった時期でもあった。
実際、《神の国》完成以後、宗教作品の作曲頻度は減少し、規模も縮小する。これは単なる外的事情だけでなく、内面的信仰のあり方の変容とも無関係ではないだろう。そうした転換点に位置するという意味において、《神の国》はエルガー宗教作品の頂点であり、同時に終章でもあると評価することができる。
声楽を伴うエルガーの主な宗教曲
作曲年作品名備考
1880-98Salutaris Hostias 1-3
1887Pie Jesu1902にAve Verum Corpusとして改作
1887Ave Maria1907改作
1887Ave Maris Stella1907改作
1892The Black Knightカンタータ
1896The Light of Life別名Lux Christe
1896Scene from the Saga of King Olaf
1897The Banner of St. George
1897Te Deum & Benedictus
1898Caractacusカンタータ
1900The Dream of Gerontius
1903The Apostles
1906The Kingdom
-The Last Judgment未完
1911O Hearken Thou
1912Great is the Lordアンセム
1914Give Unto the Lordアンセム
「神の国」の初演は成功に終わり、翌日の「バーミンガム・メイル」紙で「サー・エドワード・エルガーは彼の作品を指揮しながら感極まり、演奏中に何度も涙が頬を伝わって流れた」と報じている。この涙には理由がある。ちょうどこの作品が完成する直前、彼は敬愛する父親ウィリアム・ヘンリー・エルガーを失っている。更には、その3年前の前作「使徒たち」を作曲した年には、母アンが亡くなった。これら2つのことを同時に思い出していたものと思われる。これら2つの大作を作曲した年に愛する人を失ったという偶発的な出来事が、彼の心に引っかかり、結局「最後の審判」を完成させることを躊躇したという推測は考え過ぎだろうか?
「神の国」の歴史的録音2題
1.エルガー指揮による「神の国」序曲
エドワード・エルガーが自作を指揮してスタジオ録音した《神の国》序曲は、彼の残した録音遺産の中でもとりわけ完成度の高いものの一つに数えられる。数多くの自作を録音したエルガーだが、この演奏には晩年ならではの凝縮された精神性と、作品への深い内在的理解が刻印されている。
演奏は極めて壮大でありながら、旋律の歌心が失われることはない。凛とした気高さと、どこか内面的に温かいハートフルな響きが共存している。1933年録音という年代を考えれば、その音質の明瞭さも特筆すべきだろう。これは電気録音技術が成熟期に入りつつあった時代の成果でもある。
この録音が行われたのは、後にThe Beatlesで世界的に知られるようになるAbbey Road Studios(第一スタジオ)である。エルガーはすでに病状が悪化しており、翌1934年に世を去ることを思えば、この演奏は事実上の遺言的記録といってもよい。
エルガーは作曲家としてだけでなく、自作の記録にも並外れた情熱を注いだ人物だった。まだ電気録音が普及する以前、ラッパに直接音を吹き込むアコースティック録音の時代からプロジェクトを開始し、のちに電気録音技術で改めて主要作品を再録音している。自作の大半を二度にわたり録音した作曲家は、当時としてはほとんど例を見ない。
もちろん、「名作曲家=名演奏家」とは必ずしも言えない。エルガーの指揮には技術的に洗練しきれていない部分が指摘されることもある。しかしその一方で、作品の核心を掴む直観的把握と、独特のルバートやテンポ感は他者に代えがたい説得力を持つ。
その代表例が、若きYehudi Menuhinと共演したヴァイオリン協奏曲、そしてBeatrice Harrisonと組んだチェロ協奏曲である。これらは現在でも歴史的名盤として評価され続けている。
《神の国》序曲の録音もまた、単なる資料的価値を超え、現代の耳にも十分通用する芸術的完成度を備えている。晩年の病床に近い時期に、なおこれほど神々しい音楽的光を放つ演奏を残したことは、エルガーという作曲家の精神的強度を雄弁に物語っている。
2.イソベル・ベイリーのThe Sun Goeth Down
エルガー作曲のオラトリオ《神の国》より、第4部終結部に置かれたソプラノ独唱曲《The Sun Goeth Down》。全曲の精神的頂点とも言うべきこの楽曲は、沈静と超越が交錯する、きわめて象徴的なページである。
1947年に録音されたにイソベル・ベイリーよる演奏は、この曲の解釈史において特筆すべき存在である。録音年代を考慮すれば音質は決して現代的とは言えないが、それを補って余りある芸術的完成度がある。むしろ、当時の録音特有の陰影が、作品の霊的雰囲気をいっそう強調しているかのようだ。
ベイリーの歌唱は、単なる清澄さにとどまらない。声には光があり、その光は冷たい輝きではなく、内奥から発する生命的な光芒である。フレージングは自然でありながら緊張感を失わず、テキストの宗教的意味を誇張なく、しかし確信に満ちて提示する。その神々しい生命力は、ときにキャサリーン・フェリアーを想起させる深い精神性を帯びている。
この録音が今なお最高水準と評される理由は、単に歴史的価値ゆえではない。そこには、戦後間もない時代における英国声楽芸術の成熟と、エルガー解釈の伝統が息づいている。作品の宗教的静謐と人間的温もりが、演奏者の人格と不可分の形で結実しているのである。
この時代の優れた歌手たちの声が、録音という媒体によって現在まで伝えられていることは、まさに文化的奇跡と言ってよい。《The Sun Goeth Down》におけるベイリーの歌唱は、その奇跡の最良の証左の一つである。


