ボールトとバルビローリの関係
🎼 2人の指揮者とエルガーとの出会いと交流のきっかけ
ボールトがエルガー作品と初めて深く関わったのは、学生時代(1910年代後半)であるとされ、初めてエルガーと直接顔を合わせたのは、1904年ごろのフランク・シュースター宅にてという記録がある。その後、ボールトは1924年にBBC交響楽団の初代音楽監督に就任し、エルガー作品の振興に尽力。一方で、バルビローリは1921年にはエルガーの『チェロ協奏曲』を演奏し接点があった。
🤝 お互いの評価と言及
◆ ボールトによるバルビローリへの言及
温かくも礼讃する視線: ボールトはバルビローリについて、「心に響く演奏をする“感じのわかる人”として高く評価している」との記録がある。特に、**バルビローリの『ゲロンティアスの夢』における“儀式的な瞬間の掴み方”**が自身の理解とは異なるが、深い共感と敬意をもって受け止めていたという記述もある。
敬意とライバル心の並存: ボールトは録音や公演において自作のエルガー解釈を示す一方、バルビローリの「仮に私の録音より優れている」と言わしめる完成度を強く意識しており、同時代でありながらも互いを高め合う存在として位置づけていた。
◆ バルビローリによるボールトへの言及
ねぎらい交じりの評価: バルビローリは、自身の緻密な準備と演奏スタイルを“スポーツ競技”のようだと揶揄されることにも、むしろそれを誇りとして受け止めていた。ボールトは緻密さと繊細さの対極として自らの「直感的で瞬発的なアプローチ」を誇り、それが両者のスタイルの違いを際立たせる一幕ともなった。Wikiなどにも、「彼はしばしばボールトの準備主義をからかった」との記述が存在する。
🎯 要点まとめ
顔を合わせた契機
二人は共にエルガーの作品に深く関わった英国を代表する指揮者であり、録音・演奏の現場で少なくとも何度か同席していた可能性が高い。
お互いへの評価
ボールトはバルビローリの情熱と表現力を高く評価し、「私にはない深みを持つ」と言わしめる一方、自らの理知的な構造築きも譲らず、互いに信頼と敬意を持つ存在としていた。
両者の関係性
両者にとって、ライバルであり、それ以上に同志=英国音楽の伝承者としての連帯感を共有する存在であり、演奏スタイルの対比こそあれ、互いを高め合う関係にあった。
これらの点から、ボールトとバルビローリは「面識があった指揮者同志」であり、お互いに敬意と緊張感をもって言及し合う間柄だったといえる。どちらかが相手を認めたコメントを遺しているわけではないが、演奏史や録音の評価を通じて間接的に互いを意識していた関係性が浮かび上がるのである。