《ゲロンティアスの夢(The Dream of Gerontius, op. 38)》

ボールトのゲロンティアス

1968年4月14日のイースターの日曜日に初めて放送されたサー・エイドリアン・ボールト指揮によるエルガーの「ゲロンティアスの夢」の映像。
ボールトは「ゲロンティアスの夢」を1976年にEMIでスタジオ録音を行っているが、そちらも名演として知られている。
この映像では、ソリストにジャネット・ベイカーやピーター・ピアースにシャーリー・カークを配している。エルガーに関してチャンピオンが一同に揃ってしまった奇跡の演奏である。録音と映像を含めてが間違いなくナンバーワンとして推薦するべき存在だろう。ボールトとベイカーに手を組まれたら、どうやっても太刀打ちすることは不可能である。
本来はウースター大聖堂での収録が計画されていたようだが、結局この収録のために聖堂自体を閉鎖しなければならないという点で条件が合わずにカンタベリー大聖堂での演奏となった。
演奏後収録映像を見た指揮者ボールトは大変満足げだったが、ただ一点だけゲロンティアス役を歌ったピーター・ピアーズの仕上がりには多少不満を表していたとのこど。何でもピアーズは、約20年ぶりにこの作品を歌ったそうで、何か所が歌詞の間違いがあったようだった。
しかし、1971年にピアーズは今回と同じくカークとともにブリテンの指揮で「ゲロンティアスの夢」の録音をDeccaで行い、ご存じのように名演を成し遂げている。
ともあれ演奏はとにかく重量感と貫禄にあふれ正に王道を行く感じである。長めのパウゼと遅めのテンポは正に大聖堂という空間での残響を考慮してのもの。さらに第二部の悪魔の合唱での悪魔たちの笑い声「ハッハッ」という部分。ここは声楽的な美しい発声ではなくなるべく地声での「汚い声」が正にピッタリで、これを録音でやっていたのはバルビローリによるEMIのスタジオ録音のみであった。
ボールトの録音ではやっていなかったのであるが、映像ではそのスタイルを取っている。しかも、あのバルビローリ盤を上回る「下品さ」。
それに合わせてカメラは堂内にある悪魔の彫刻の顔をクローズアップして画面を歪めて本当に悪魔が笑っているような効果を見せている。
非常に多くの点で見ごたえ聴きごたえのある総合的で芸術的なソフトとなっている。

 

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Edward Elgar and Adrian Boult

エドワード・エルガー(1857-1934)とエイドリアン・ボールト(1889-1983)は1904年に初めて出会い、その後30年にわたり頻繁に会っていた。
本書は、ボールトのエルガー解釈がどのように発展していったか、また、ボールトがエルガー自身の演奏経験や個人的な人脈をどのように活用していったかを記録している。
特にカリスマ的な音楽パトロン、フランク・シュースターが果たした役割に焦点を当て、魅力的な伝記的背景を提供している。 エルガーとボールトは1924年に誤解から不仲になり、エルガーが2人の友情の回復を求めたのは1931年のことであった。
本書は、ボールトが注釈をつけた楽譜、エルガーの音楽の放送や商業録音など、さまざまな資料をもとに、エルガーの主要作品のボールトの解釈を考察している。 現代の批評家たちの見解は、さらなる証拠となる。 2つの交響曲、「ゲロンティアスの夢」、「王国」、「使徒」、そしてエニグマ変奏曲、ファルスタッフ、ヴァイオリン協奏曲とチェロ協奏曲を含む管弦楽作品など、ボールトと関わりの深いすべての作品が詳細に検討されている。
本文は、演奏年表やディスコグラフィなどの付録で補完されている。 これらは、この魅力的な作曲家と指揮者の関係や、長いキャリアを通じてエルガーの音楽を擁護してきたボールトに興味を持つ人にとって、貴重な情報を提供するものである。

 

ボールトのゲロンティアス

エイドリアン・ボールト指揮による1970年7月22日、BBCプロムスにおける《ゲロンティアスの夢》

サー・エイドリアン・ボールト指揮による1970年7月22日、BBCプロムスにおける《ゲロンティアスの夢》(ロイヤル・アルバート・ホール、ライブ録音)は、正規録音ではないながらも極めて重要な歴史的記録である。演奏はニュー・フィルハーモニア管弦楽団および合唱団、独唱にはジョン・ミッチンソン(テノール)、アルフレダ・ホッジソン(メゾソプラノ)、フォーブス・ロビンソン(バス)という顔ぶれが並ぶ。

 

ボールトと《ゲロンティアスの夢》といえば、誰しも晩年のEMI録音(1975年)を思い浮かべるだろうが、本演奏はそれより5年前のライヴであり、EMI盤よりも若干テンポに動きがあり、ボールトの感興がより直接的に現れている点が印象的である。冒頭から終結に至るまで、ボールトならではの重厚で荘厳な構築感はそのままに、ライブならではの即興性やスリルも随所に感じられる。

 

ジョン・ミッチンソンのゲロンティアスは、いわゆるヒロイックなテノールとは異なり、内省的で抒情性に富んだ解釈を聴かせる。とりわけ「Sanctus fortis」では技巧をひけらかすことなく、祈るような切実さが聴く者の胸を打つ。アルフレダ・ホッジソンは天使役として慈愛に満ちた演唱を聴かせ、後年のジャネット・ベイカーのようなスケールこそないものの、等身大の人間的な温かさが印象的だ。フォーブス・ロビンソンの司祭と天使の悪霊は、安定した発声と重心のある低音で、作品に精神的な重みを加えている。

 

合唱も注目に値する。ニュー・フィルハーモニア合唱団の歌唱は、いかにも70年代初頭の英国合唱らしく、透明感と力強さのバランスが絶妙で、「Praise to the Holiest」などは壮麗かつ荘厳、霊的な感興に溢れている。

 

音質は当然ながら「オフエア」録音ゆえに制限があるが、テープから丁寧にデジタル化されたため、演奏のディテールやダイナミクスは比較的良好に把握できる。雑音や音揺れも比較的少なく、非商業録音としては充分に鑑賞に耐える。

 

本録音の最大の意義は、ボールトという指揮者が《ゲロンティアスの夢》をいかにライヴで扱っていたか、という貴重な視点を与えてくれる点にある。EMIの正規盤があるとはいえ、ライヴならではの即興的な間、フレージング、そして演奏者たちの集中力と緊張感は、録音スタジオでは決して得られない真実の音楽を我々に提示してくれる。

 

総じて、この1970年のプロムスにおける《ゲロンティアスの夢》は、ボールト晩年の到達点を示すだけでなく、その精神性と構築力の原点を垣間見ることのできる稀有な演奏記録である。録音の性質上、万人に勧められるものではないが、エルガー愛好家、ボールト研究者にとってはまさに宝物といえる。

 

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