遂につかんだ名声

ストコフスキーのエニグマ

エルガーの代表作《エニグマ変奏曲》を他者に勧める際、しばしば判断に迷うのは、相手のエルガー理解の度合いに大きく左右されるからである。クラシックに親しんだ人であっても、エルガーに関しては未体験、あるいは断片的な印象しか持っていないことが少なくない。そのため、入門者にはボールトやバルビローリといった定番の名匠による録音をまず手渡すのが穏当であり、これらの演奏は録音の古さを超越した普遍的価値を保っている。

 

しかしながら、エルガーの音楽にある程度耳を馴らし、その様式や感性に共鳴し始めたリスナーに対しては、もう一歩踏み込んだ解釈にも触れてもらいたい。そのときこそ紹介に値するのが、レオポルト・ストコフスキーによる《エニグマ変奏曲》である。

 

この演奏が「ファーストチョイス」として推奨しにくいのは明白である。なぜなら、ストコフスキーは例によってこの楽曲にも編曲を施しており、エルガーの原典的なスコアからは明らかに逸脱しているからである。だが、それをもって否定するのは早計である。ストコフスキーは常に音楽そのものの核心に迫ろうとし、その手段としての編曲を駆使した。そしてこの《エニグマ変奏曲》でも、彼は作品の「絵画的性格」を誰よりも鮮やかに音に結晶させている。

 

エルガー自身がこの変奏曲を「音による肖像画」と呼んだように、各変奏は友人たちの個性や関係性を描写している。その性質ゆえに、個々の変奏には演劇的、視覚的な性格が多分に含まれている。ストコフスキーはこの特徴に直観的に迫り、音色とディナーミク、オーケストレーションの巧妙な操作によって、まるで絵画が動き出すかのような幻惑的効果を生み出している。

 

特筆すべきは変奏IX〈Nimrod〉である。バルビローリやボールトのそれが英国的抒情の極みとするならば、ストコフスキーの〈ニムロド〉はもはや天上的と形容して差し支えない。静謐の中に立ち上がる音の層は透明かつ深遠であり、その進行は時間を超越している。あまり大きな声では言えないが、筆者個人としてはこの〈ニムロド〉が最も感動的であると密かに感じている。正統とは異なるかもしれないが、真の意味で作品の本質に触れている名演である。

 

バーンスタイン同様、ストコフスキーも《エニグマ変奏曲》を録音したのは一度きりである。したがって、ディスク選びに迷うことはない。だが、その一度きりが、他の何物にも代え難い異彩と魅力に満ちているという事実は重い。

 

この演奏は、たしかに万人向けではない。しかし、エルガーの世界にある程度親しんだ耳にとっては、まさに「空前絶後」の名演である。音の魔術師ストコフスキーによって新たな光を与えられた《エニグマ変奏曲》は、まるで別の角度から照らし出された肖像画のように、既知の作品に未知の美を発見させてくれるのである。

 

 

■ ストコフスキー編曲の具体的変更点

1. オーケストレーションの再構築

ストコフスキーは原典スコアの楽器指定をしばしば書き換えている。特に以下のような傾向が顕著である:

 

弦楽器の多層化:弦セクションをより厚く、広がりのある響きに改変。原曲のシンプルなテクスチャに重ね書きして、リヒャルト・シュトラウス風の分厚いサウンドを作る傾向がある。

 

木管の強調:特定の木管(特にクラリネットやフルート)を倍加あるいは対旋律的に浮き上がらせる処理がなされており、全体の立体感が強調されている。

 

ホルンとブラスのリバランス:金管群、とりわけホルンの動きが非常に強調されている場面が多い。結果として、壮麗で宗教的とも言える効果が得られている。

 

2. テンポとアゴーギクの再設計

ストコフスキーは、原典のテンポ指示を大幅に拡張・縮小する傾向がある。

 

特に〈ニムロド〉では、冒頭の呼吸が極端に遅く、広がりのあるテンポが採られており、まるで時間が止まったかのような感覚を覚える。

 

リタルダンドやクレッシェンドのタイミングがエルガーの指定とは明らかに異なり、よりドラマティックな構造を志向している。

 

3. オルガン的音響感の導入

ストコフスキーは《バッハ編》でも顕著だったが、オーケストラ全体を巨大なパイプオルガンのように響かせることを常に念頭に置いていた。

 

音の「束(ブロック)」による構築感が強調されており、響きの立ち上がりや消え方も、エルガーの設計よりも遥かにゆっくりと、大規模に設計されている。

 

〈EDU〉終結部では、トゥッティの効果を強化するために、おそらく実際には記されていない**低音増強(コントラファゴットやバスドラムの追加)**が行われている可能性がある。

 

4. フレージングの再構築と「間」の導入

ストコフスキーは音楽における「間」(静寂や停止)を極めて重視しており、そのため以下のような変化が見られる:

 

各変奏の終止で意図的に沈黙を入れることで、場面転換の明確化と余韻の強調を図っている。

 

終楽章(EDU)では、フレーズ間のタメが大きく、結果としてより荘厳で劇的な語り口が展開されている。

 

■ なぜこの改変が成立するのか?

ストコフスキーの改変は、決して気まぐれではなく、彼の美学──「音そのものの力で語る」「音楽を視覚的にする」──に基づいている。彼にとってスコアは「素材」であり、「完成された絵画」ではなかった。特に《エニグマ変奏曲》のような肖像的性格を持つ作品においては、音楽によって“描く”ことが可能だと信じていた。結果として、原典に対する忠実性よりも、リスナーに与える感覚的・劇的インパクトが重視された演奏になっている。

ストコフスキーのエニグマ

ストコフスキーのもう一つのエニグマ

音楽評論家エドワード・ジョンソンはこう書いている......
ストコフスキーは長いキャリアの中で多くの存命中の作曲家を支持したが、エルガーもその一人だった。1911年、彼は交響曲第2番をアメリカで初演したが、地元シンシナティの批評家はストコフスキーを極端に敵視しており、「心地よいが、偉大ではなく、いかなる意味でも説得力がない」と酷評した。
ストコフスキーは1912年、全英プログラムで初めてエニグマ変奏曲を指揮した。シンシナティ・エンクワイアラー紙の音楽批評家は、スタンフォードの「アイルランド」交響曲を 「インスピレーションに欠ける 」と評し、コンサート全体を 「魅力に欠ける、ありふれたもの 」と評価した。
それでも、ストコフスキーはエニグマ変奏曲を高く評価しており、1929年にはエルガーに手紙を書き、彼の創作の行進曲「威風堂々」に感謝している。ストコフスキーは1972年、90歳のときにチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するためにプラハを訪れ、ようやくエニグマ変奏曲を録音することができた。不運なことに、彼は旅の途中で負傷し、最初のリハーサルを欠席した。
しかし、彼は続行を主張し、コンサートはデッカによって「ライヴ」録音された。この作品はCPOにとってまったく新しいものだったが、指揮台に虚弱なマエストロがいたにもかかわらず、高い評価を得た。
翌年、彼はロイヤル・アルバート・ホールで、エニグマ変奏曲を知り尽くしたオーケストラ、ニュー・フィルハーモニアとエニグマ変奏曲を繰り返した。BBCはこの演奏を放送しないことにしていたので、ストコフスキーのアシスタントは、純粋にアーカイブのために、この演奏をステレオ・カセットに密かに録音するよう手配した。エニグマ変奏曲のこの演奏は、私がこれまで聴いた中で間違いなく最高のものだ」と『デイリー・テレグラフ』紙のマーティン・クーパーは書き、彼の言葉を『ガーディアン』紙のエドワード・グリーンフィールドも「最も華麗に響く演奏」と評した。ストコフスキーのアシスタントの計らいで不朽の名演となり、24時間、世界中の聴衆がYouTubeで聴けるようになったのは、なんと幸運なことだろう!

 

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