Elgar's Enigma~Hidden Portrait
**《エニグマ》をめぐる二つのBBC
――「隠された肖像」とバーンスタインの問い**
Elgar’s Enigma – Hidden Portrait
(2004年 BBC制作)および1982年 BBC制作 レナード・バーンスタイン招聘番組との比較
2004年にBBCで放映された《エルガー:エニグマ変奏曲》をめぐるドキュメンタリーElgar’s Enigma – Hidden Portrait は、作曲家の母国BBCならではの調査力と想像力を兼ね備えた、きわめて完成度の高い映像作品である。
ホストを務めるのは指揮者サー・アンドルー・デイヴィス。
単なるナビゲーターではなく、演奏家・研究者双方の視点を横断しながら、《エニグマ》という作品が孕む多層的な意味へと踏み込んでいく。
■ 第13変奏をめぐる「複数の真実」
特筆すべきは、いまだモデルが確定していない第13変奏(***)の扱いである。
本作では、従来の通説であるメアリー・リゴン説に加え、元婚約者ヘレン・ウィーバー説を併記する形で紹介している。
どちらか一方に結論を急ぐのではなく、「未解決であること」そのものを作品の本質として提示する姿勢は、近年のエルガー研究の到達点を反映していると言えるだろう。
■ 視覚的細部に宿るエルガー像
第7変奏〈Troyte〉では、モデルであるトロイト・グリフィスが設計したオール・セイント教会がさりげなく映し出される。
説明は一切なされないが、知っている者には一瞬で意味が伝わる、BBCらしい抑制された演出である。
また、実際のエルガーの姿を収めた貴重なフィルムの数々が随所に挿入されることで、「肖像」としての《エニグマ》という主題が視覚的にも裏打ちされていく。
さらに本作では、一見友人たちの肖像に見える変奏群は、実はすべて作曲者エルガー自身の自己投影である
という新説(あるいは再解釈)も提示される。
これは挑発的でありながら、作品全体を貫く内省性を考えれば、決して突飛な仮説ではない。
■ 映像エルガーの系譜と多重化
ドキュメンタリー部分では、クリストファー・アドリントンがエルガー役として新たに撮り下ろされている。
その演出は、明らかにケン・ラッセルによる映画《エルガー》(1962/2002)を強く意識したものだ。
実際に、
ピーター・ブレッド(1962年版)、
ジョージ・マッグレイス(同)、
ジェームズ・ジョンストン(2002年版)
といった歴代エルガー俳優の映像が引用され、結果的に4人のエルガー像が交錯する構造が生まれている。
これは史実の再現というより、エルガー像そのものの多義性を可視化する試みと見るべきだろう。
■ 1982年バーンスタイン版との決定的差異
BBCはすでに1982年、レナード・バーンスタインをBBC交響楽団に招き、《エニグマ変奏曲》を題材とした極めて意欲的なドキュメンタリーを制作している。
この番組では、リハーサルと本番演奏が同時進行で描かれ、バーンスタイン自身が《エニグマ》全体に隠された主題とは何かという問いを前面に押し出していた。
一方、2004年版は、全体主題よりも各変奏のキャラクター分析に重心が置かれている。
同じBBC制作でありながら、20年以上の時を経て、番組の問題意識が明確に変化している点は非常に興味深い。
■ 演奏としての完成度
全曲演奏においても、デイヴィスの明快で自然体の指揮が冴えわたる。
とりわけ第9変奏〈ニムロッド〉のクライマックスは、バルビローリ盤と並び称されるべき感動的名演である。
ウースター大聖堂という会場設定も、作曲者の理想を体現したものだろう。
ただし終曲〈EDU〉でオルガンが使用されていない点は惜しまれる。
物理的制約によるものとはいえ、音響的な完成度という意味では一抹の物足りなさを残す。
■ 身体化された《エニグマ》
印象的なのは、指揮者デイヴィスが第11変奏〈G.R.S.〉のリハーサルで「ジョージ・ロバートソン・シンクレア」とモデルのフルネームを口にした瞬間、オーケストラの団員たちが一斉にそのページを開く場面である。
この作品が、彼らにとって単なるレパートリーではなく、身体に染み込んだ文化的記憶であることを雄弁に物語る一幕だ。
■ 小さくない誤り、しかし…
ただ一点、看過できないミスも存在する。
《エニグマ変奏曲》が作曲された家を、あたかも「クレイグ・リー」であるかのように誤解させる映像になっている点である。
正しくは「フォーリ」である。
とはいえ、この誤りを差し引いてもなお、本作がエルガーを愛する者にとっての必携アイテムであることは揺るがない。
1982年のバーンスタインが《エニグマ》に「問い」を投げかけたとすれば、2004年の Hidden Portrait は《エニグマ》を「生きた文化」として描き切った作品である。
これほどの深度と完成度をもつ音楽ドキュメンタリーを、日本で同等に期待するのは正直難しい。
それでもなお、本作はエルガー理解の射程を一段押し広げる稀有な成果として、高く評価されるべきだろう。
――《エニグマ》は、いまだ解かれていない。
しかし、その「解けなさ」こそが、この作品を永遠に生かし続けているのである。




