Elgar's twin
偶然なのかエルガーが意図的にそういう風になるようにしたのかは不明だが、エルガーの作品や周辺人物などを考えると、似たもの同士というか2つで1つのセットに
なるもの、あるいは対極になるものがけっこうあることに気がつく。
そのセットとなった作品などはそのままカップリングしてリリースされることもある。
不思議なのは彼を取り巻く人物のセッティングだ。
例えば、1908年に没したイエーガー(ニムロド)はエルガーのよき相談相手でエルガーにとってなくてはならない存在だった。
その彼が亡くなると、その「ポスト」に収まったのがロンドン響などでヴァイオリンを弾いていたW・H・リード(ビリー)だ。
エルガーとイエーガーの関係、そしてエルガーとビリーの関係も非常によく似たつながりで伝記などを読んでいてもしばしば混同してしまうほど。
そういう人物関係が非常に多いのがエルガーだった。
しかし、対になることが多い作品郡だが、「ゲロンティアスの夢」だけは対になる存在が見当たらない。
もし「最後の審判」が完成してたら、それが「ゲロンティアスの夢」の対になる存在だったのかもしれない。
作品
交響曲第1番 vs 交響曲第2番
ヴァイオリン協奏曲 vs チェロ協奏曲
使徒たち vs 神の国
オルガンソナタ vs ヴァイオリンソナタ
弦楽四重奏 vs ピアノ五重奏
雪 vs 飛べさえずる鳥
ブラックナイト vs アーサー王
カラクタカクス vs オラフ王
海の絵 vs ミュージックメーカーズ
ファルスタッフ vs インドの王冠
朝の歌 vs 夜の歌
行進曲「威風堂々」 vs エニグマ変奏曲
序奏とアレグロ vs 弦楽セレナーデ
子どもの魔法の杖 vs 子ども部屋
コケイン vs 南国にて
交響曲第3番 vs ピアノ協奏曲
人物
アウグスト・イエーガー vs W・H・リード (新旧エルガーの相談役)
フランク・シュースター vs エドガー・シュパイヤー (エルガーのパトロン)
ローレンス・コリンウッド vs ロナルド・ランドン (晩年エルガーに代ってレコーディングを担当した2人の指揮者)
ヘレン・ウィーバー vs ウィンドフラワー (エルガーの最初の婚約者と「愛人?」と言われた女性)
ジュリー・ダラニー vs ベラ・ホックマン (エルガーと恋愛関係?になったと思われるヴァイオリニスト)
エドワード7世 vs ジョージ5世 (エルガーを庇護した国王と戴冠式の作曲を依頼した次期国王)
ローザ・バーリー vs ドーラ・ペニー (エルガーに恋していた?女性)
チャールズ・バック vs ジョージ・シンクレア (医者)
マリー・ホール vs ビアトリス・ハリソン (エルガーの協奏曲をエルガーの指揮で録音したヴァイオリン奏者とチェロ奏者)
エイドリアン・ボールト vs ジョン・バルビローリ (エルガー演奏に関して最高を争う二人の指揮者)
ヒューバート・パリー vs チャールズ・スタンフォード (エルガーにとっては先輩にあたる作曲家。二人のエルガーに対する態度は対照的だった)
ユーディ・メニューイン vs ジャクリーヌ・デュ・プレ (エルガーの二つの協奏曲の名演を成し遂げたソリスト)
家および場所
バーチウッドロッジ vs ブリンクウエルズ (ともに森の中にあるコテージ)
フォーリ vs クレイグリー (近い距離にあるモールヴァンの家)
プラスグィン vs セヴァーンハウス (大きな邸宅)
セント・ジョージRC教会 vs セント・ウルスタン教会 (幼少の頃作曲をしたりオルガニストを務めた教会とエルガー一家の墓所のある教会。ともにカトリック教会)
ザ・ファーズ vs マールバンク (エルガーが生まれた家と人生最後の家)
エルガーの創作と人間関係、さらには彼の人生を取り巻く環境において、「対」となる構造や「二項」の形式が多く見受けられることは注目に値する現象である。それが偶然なのか、あるいはエルガー自身が意識的に「対」をなす構造を好んだのかは明確ではない。しかし、作品の形式・内容、人物との関係、居住地や作曲地の選定に至るまで、「双子(ツイン)」のような配置が頻出するのは確かである。
作品における「対」
交響曲第1番 vs 交響曲第2番
いずれもエルガーの円熟期に書かれた交響曲であり、第1番が希望と高揚、第2番が内省と哀悼を主題とする対照的な内容である。第2番は「死者への鎮魂」としても読み解かれる。
ヴァイオリン協奏曲 vs チェロ協奏曲
いずれも独奏楽器とオーケストラによる協奏的対話において極めて個人的な声を表現しており、前者は情熱、後者は沈思と別れを映す。
『使徒たち』 vs 『神の国』
エルガーが構想した新約オラトリオ三部作の前二作であり、構造的・主題的にも密接に結びつく「対」である。前者が伝道の始まり、後者が教会の成立を描く。
『ファルスタッフ』 vs 『インドの王冠』
両者ともに劇的序曲だが、前者がシェイクスピアに基づく人間的悲喜劇であるのに対し、後者は帝国主義的性格を帯びた公式祝典音楽であるという点で対照を成す。
『海の絵』 vs 『The Music Makers』
ともにメゾソプラノとオーケストラのための楽曲であり、詩的情緒とエルガー自身の芸術観を対比的に表す。
『カラクタカクス』 vs 『オラフ王』
いずれも物語的・語り部的性格を持ち、古代英国的伝承を素材にした作品である。
このように、作風や内容が対照的であったり、補完関係にある「セット」は、レコードやCDでカップリングされることも多い。
人物関係における「対」
イエーガー vs W・H・リード
どちらもエルガーにとって精神的支柱であり、創作における重要な相談役であった。イエーガーは初期から中期にかけて、リードは晩年のエルガーを支えた。
フランク・シュースター vs エドガー・シュパイヤー
ともにエルガーを支援した有力なパトロンであり、演奏機会や経済的援助を提供した。
ヘレン・ウィーバー vs ウィンドフラワー(アリス・スチュアート=ワートリー)
ウィーバーはエルガーの最初の婚約者であり、ウィンドフラワーは後年、霊感源となったとされる親密な女性である。いずれもエルガーの「心の作品」の裏側に関わっている。
チャールズ・バック vs ジョージ・シンクレア
エルガーの健康や家庭医として関わった人物であり、彼らの家族までもがエルガーの創作に登場する(『エニグマ変奏曲』のモデル)。
マリー・ホール vs ビアトリス・ハリソン
いずれもエルガーが書いた協奏曲の録音に関与し、楽器の魅力とエルガーの音楽の親和性を引き出した奏者である。
家・場所における「対」
バーチウッドロッジ vs ブリンクウエルズ
どちらも自然の中にある静かな環境で、創作の場として選ばれた。前者は若き日の創作の場所、後者は晩年の隠遁と創作の場である。
フォーリ vs クレイグリー
いずれもモールヴァン地方にある居宅であり、自然との近接が創作に影響を与えた。
プラスグィン vs セヴァーンハウス
どちらも裕福な支援者のもとで滞在した屋敷であり、演奏会や交流の場としての役割も果たした。
セント・ジョージRC教会 vs セント・ウルスタン教会
エルガーが少年時代にオルガニストを務めた教会と、彼が生涯の終焉を迎える家族の墓がある教会という、「始まりと終わり」の象徴的な関係にある。
ザ・ファーズ vs マールバンク
ザ・ファーズはエルガーが生まれた家であり、マールバンクは晩年を過ごした家である。この2つは彼の人生の円環的構造を象徴する。
このように、エルガーの人生と作品には明確な「二項対立」あるいは「双対構造」が繰り返し現れる。唯一、この構造から逸脱する作品が『ゲロンティアスの夢』であり、その孤立した位置は象徴的である。もし『最後の審判(The Last Judgement)』が完成していれば、これは確かに『ゲロンティアスの夢』の対になる存在として、その構造的孤独を補完した可能性がある。だが未完に終わったがゆえに、『ゲロンティアス』は単独で崇高な孤峰としてそびえているのである。