未完の響きを完成させた魂――アンソニー・ペイン、エルガーへの献身
Anthony Payne(1936年8月2日 – 2021年4月30日)
イングランド・ロンドン生まれ。20世紀イギリス音楽の伝統と調和しながら、現代的感覚を持ち込んだ独自の作風で知られ、特に エドワード・エルガーの交響曲第3番の補筆完成によって国際的な評価を決定的にした、比類なき作曲家・音楽学者である。
音楽家としての軌跡と作風
ペインは、ヴォーン・ウィリアムズ、ディーリアス、フランク・ブリッジ、エルガーといったイギリス音楽の叙情美に心を寄せながらも、それを戦後のモダニズム的感性と融合させることに生涯をかけた。
彼のオリジナル作品は決して多作ではないが、構成と色彩に対する執着、そして時間感覚への鋭い探求が随所に見られる。
それ以上に彼の名を不動にしたのが、作曲家として、そして霊媒者のような役割として「未完成エルガー」に魂を吹き込んだ」補筆業である。
エルガー補完作品リスト(アンソニー・ペインによる)
交響曲第3番 ハ短調(1934–1997)
エルガーが晩年に残した膨大なスケッチを基に、60年後にペインが構成・補筆。1998年BBC交響楽団により世界初演。エルガーの語法への深い共感と創造的霊感の見事な結晶として、現在では「エルガー最後の交響曲」として受容されている。
特に第4楽章の終結は、「エルガー→W.H.リード→ペイン」の系譜が結実した音楽的儀式とされる。
So Many True Princesses Who Have Gone(1932–2002)
未完の声楽小品をペインが補筆し、完成された歌曲作品として蘇らせた。
Queen Alexandra’s Memorial Ode(1932–2002)
合唱とオーケストラのための厳粛なオード。ペインによって総合的に構築され、女王アレクサンドラへの追悼の辞として形を与えられた。
行進曲「威風堂々」第6番(1934–2006)
エルガーが断片として遺したスケッチから、ペインがエルガーの語法に則り見事に完成。儀礼性と華やかさのなかに、ペインならではの沈思的な気配も宿る。
組曲《インドの王冠》全曲補完(1912–2007)
エルガーが一部しか完成させなかった大規模組曲を、初めて全体として演奏可能な形にした貴重な作業。
『最後の審判』――幻のプロジェクト
2010年、英国王立音楽大学で**『最後の審判』のスケッチが大量に発見されると、ペインはそのオラトリオの復元に取り組むことを決意する。しかし、作業は想像以上に難航し、ペイン自身が2021年に逝去したため、この計画は現在も未完のまま残されている。
もし実現していれば、《ゲロンティアス》《使徒たち》《王国》に続くエルガーのオラトリオ四部作**として歴史的な意義を持っただろう。
評価と遺産
補筆という行為は、しばしば模倣や妥協として軽視されがちである。しかし、ペインの仕事は単なる補筆ではなく、「同じ呼吸の中でともに作曲した」と言えるほどの融合性をもっている。
他の補筆例(※いずれも立派な試みである):
ロバート・ウォーカーによるピアノ協奏曲
パーシー・ヤングによる歌劇《スペインの貴婦人》補筆
これらも意義深いが、交響曲第3番の芸術的完成度と普及度、そして音楽的誠実さの点で、アンソニー・ペインの仕事は別格であり、エルガー補筆の最高峰に位置づけられる。
エルガーの死によって途絶えたはずの創造の道を、静かに、しかし強い意志で継いだペイン。彼の仕事は「偉大な他者の精神への共感により成り立つ、最も誠実な芸術行為」と呼ぶにふさわしい。
エルガーに最も深く共鳴した作曲家アンソニー・ペイン。彼の補筆は、単なる再現ではなく、もう一つのエルガーそのものなのだ。
アンソニー・ペインのエルガー@Amazon