《チェロ協奏曲(Concerto in E minor for violincello and pianoforte, op. 85)》
1919年、「ブリンクウェルズ」で完成された《チェロ協奏曲》は、とても美しい曲だが、悲劇の匂いが感じられて、それが離れることがない。この曲が作曲された翌年エルガーの愛妻アリスが世を去ってしまう。つまりアリスが最後に聴いたエルガーの新作が、この曲であったのだ。第1楽章は、その哀しみを暗示しているかのように切ない。
初演の反応は芳しいものではなかったが、エルガー自身がこの曲の録音をする際に2度ともに起用した女流チェリストのビアトリス・ハリソンの演奏によって、この曲は広く親しまれるようになった。エルガーの意図するところの「ウッド・マジック」の精神が確実に伝授されていたのだろう。その演奏スタイルは後のジャクリーヌ・デュ・プレの神々しいまでの演奏の出現を予感させる。
1965年20歳のデュ・プレは、ジョン・バルビローリとロンドン交響楽団の伴奏で、この曲の録音を行い、今なお決定盤としての地位は不動である。「グラモフォン」誌が選定した20世紀の名録音という企画で、1位に輝いたショルティの《指輪》に続いて第2位に選ばれたのは決して過大評価ではない。デュ・プレによる録音は、他にもバレンボイムと組んだ録音と映像、サージェント、メータ(生涯最後の録音になった)との録音があるが、このバルビローリと組んだ録音が最も素晴らしい。
映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」でも効果的にこの曲が使用されていた。そして彼女も、この映画に描かれているように、悲劇的な運命を辿ることになる。多発性脳脊髄硬化症(MS)という難病を患い、結果演奏家としての短い生命を絶たれてしまう。そして、1987年、42歳という若さで寂しく亡くなってしまうのである。
このエルガーの《チェロ協奏曲》は、アリスの突然の死とデュ・プレの悲劇という2人の女性の運命を連想することなしに聴くことはできない。
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エドワード・エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 作品85
エルガーの《チェロ協奏曲》は、彼の晩年を代表する作品であり、また20世紀におけるチェロ協奏曲の金字塔的存在である。第一次世界大戦の終結直後、1919年に完成されたこの作品には、戦争によって失われた若き世代への追悼、そしてエルガー自身の芸術家としての終章に対する自覚が色濃く投影されている。
初演は1919年10月27日、ロンドンのクイーンズ・ホールにて、エルガー自身の指揮、フェリックス・サルモンドの独奏で行われた。しかしながら、初演は限られたリハーサル時間やオーケストラの不備により成功とは言えず、初期には冷淡な評価を受けた。しかし1960年代以降、ジャクリーヌ・デュ・プレによる決定的な録音を契機に国際的評価が高まり、現在ではチェロ奏者にとって避けては通れぬ重要なレパートリーとなっている。
この協奏曲は、エルガーが華やかなヴィクトリア朝の時代から、荒廃した戦後の現実に直面した際の芸術的応答である。甘美な抒情と深い陰影の交錯する音楽は、時代を超えて普遍的な感動を与え続けている。エルガーの内面にある「別れ」「喪失」「孤独」といった感情が、チェロという器を通して痛切に響いてくる点において、この作品は真に唯一無二の傑作である。
本作は全4楽章から成り立っており、各楽章が明確に独立しつつも、全体を通して有機的な統一感を保っている。
第1楽章 Adagio – Moderato
冒頭、チェロが独白するように奏でる短いアダージョが全曲の情緒を決定づける。その後、弦楽器による強奏を経てモデラート主部へと入るが、激情を爆発させるような場面は少なく、むしろ沈思と内省に満ちた音楽が展開する。エルガー晩年の孤独と苦悩が如実に表れた部分である。
第2楽章 Lento – Allegro molto
第二楽章は、冒頭の詩的な静けさから一転、短く鋭いモティーフによって活気を得るスケルツォ風の楽章である。技巧的なパッセージが多く、演奏者には高いテクニックと音楽性が要求される。軽快さの背後にある翳りが、全体の叙情性を一層深めている。
第3楽章 Adagio
全曲中、最も感傷的な楽章であり、エルガーの「歌」の本質が凝縮された部分である。旋律線はチェロによって非常に豊かに歌い上げられ、その哀愁と諦念は、聴く者に深い静けさと余韻を残す。この楽章はまさに「心の声」と呼ぶにふさわしい。
第4楽章 Allegro – Moderato – Allegro, ma non troppo
終楽章は一見するとエネルギッシュに進行するが、随所に回想的な要素が織り込まれ、特に終結部直前に第1楽章のアダージョが再現されることで、全体が円環を描くような構成となっている。最後はチェロの下降音型とともに静かに終止し、全曲に象徴的な幕を下ろす。