「エルガー楽器店」跡 

「エルガー楽器店」跡 

 

「エルガー楽器店」跡

 

エルガー楽器店跡――消えた場所が支え続けるもの

 

ウースター大聖堂のすぐ近く、現在はスーパーマーケットが立つその一角に、かつて「エルガー楽器店」が存在していた。建物はすでに失われ、痕跡は何も残っていない。だがこの「存在しない場所」こそが、エルガーという作曲家を理解するうえで、きわめて重要な意味を帯びている。

 

この楽器店は、偉大な作曲家の家系を象徴する記念碑ではない。父ウィリアム・エルガーが営んでいた、ごく普通の地方都市の楽器店であった。だが少年エドワードにとって、この店は学校でも音楽院でもなく、世界そのものが楽譜として開かれていた場所だった。並べられた楽器、置かれた楽譜、行き交う音楽家たち——それらすべてが彼の教師だった。

 

エルガーが正規の音楽教育を受けていないことは、しばしば語られるが、その「欠如」はこの場所によって補われていた。楽器店は、制度的教育の代替として機能しただけでなく、音楽が生活と地続きであるという感覚を彼に与えた。音楽は高尚な理念ではなく、日常の延長線上で鳴るものだった。この感覚は、後のエルガー作品における「民衆性」と「気品」の奇妙な共存を説明する鍵となる。

 

家庭音楽会が頻繁に開かれ、姉ルーシーの誕生日に《花ことば》を作曲して贈る——こうしたエピソードは微笑ましい逸話にとどまらない。エルガーにとって作曲とは、特別な創作行為ではなく、人と人との関係を結び直すための行為だった。その原点が、この楽器店を中心とした生活空間にあったことは疑いない。

 

さらに重要なのは、この場所が友情と音楽の結節点でもあったという事実である。ヒューバート・レスターとの幼少期からの友情、セヴァーン川の船着き場から一緒に通った学校生活——それらは、音楽的才能と同じくらい、エルガーの人格形成に深く関わっている。彼の作品にしばしば感じられる「男性的親密さ」や、集団の中での連帯感は、こうした具体的な人間関係から立ち上がっている。

 

1905年、エルガーがウースター名誉市民の称号を授与された日のエピソードは、この場所の象徴性を決定的なものにする。行進の途中、かつての楽器店の二階から見下ろしていた父ウィリアムに向かって、エルガーが立ち止まり深く一礼した——この場面は、成功物語の美談としてではなく、出発点への回帰として読むべきだろう。彼が頭を下げたのは父個人だけではない。音楽を「生活の中で」教えてくれた、あの場所そのものへの敬意である。

 

そして現在、その場所はスーパーマーケットになっている。記念碑も説明板もない。この「不在」は、エルガー受容にとってむしろ本質的だ。エルガーの音楽は、保存された空間よりも、失われた日常の記憶によって支えられている。彼の旋律に漂う郷愁は、まさにこのような「もう存在しない場所」への感覚に由来している。

 

 

エルガー像――記念ではなく共存として

 

楽器店跡の斜め前に立つエルガー像は、その意味で極めて象徴的である。1981年、彼の誕生日に設置されたこの像は、柵もなく、都市の中心に無防備なほど開かれた形で置かれている。ウィーンのシュトラウス像のように、「鑑賞されるための距離」を前提とした存在ではない。

 

ここでのエルガーは、英雄ではなく市民である。触れようと思えば触れられ、通勤の途中でふと視界に入る。これは偶然ではない。エルガーという作曲家が、ウースターの人々にとって「誇り」であると同時に、「隣人」であり続けていることの表明なのだ。

 

楽器店が消え、像が残る。だがこの二つは対立しない。むしろ、消えた場所の記憶を、現在形で街に繋ぎとめる装置として、この像は機能している。記念碑的でありながら記念碑になりきらない——その曖昧さこそが、エルガーという作曲家の本質にふさわしい。

 

エルガー楽器店跡は、何も語らない。しかしその沈黙の中に、エルガー音楽の最も根源的な性格——生活、友情、場所への愛着——が凝縮されているのである。

 

 

「サー・エドワード・エルガーは英国音楽200年におよぶ空白期の後現れた最も偉大な作曲家であり、1857年6月2日にウースター近郊のブロードヒースにて生まれた。後に彼は、ウースターのハイ・ストリート10番地の父親が経営する楽器店に住む。
 彼は、オルガニスト、ヴァイオリニスト、教師、指揮者でもあり自らの独学による作曲家であった。1900年以降、彼は国際的な作曲家としての評価を獲得する。代表作《ゲロンティアスの夢》、《エニグマ変奏曲》、2つの交響曲、ヴァイオリンとチェロによるそれぞれの協奏曲、そして《希望と栄光の国》などによって。彼は英国の田園からインスピレーションを得て、それを作品に描いた。彼は言う。『音楽は私を取り巻く空気の中にある』
 1878年から1933年まで彼は、ウースター、ヘリフォードとグロースターで開催される3大合唱祭と関係を持ち続けた。この像は、エルガー54歳の時の姿で、3大合唱祭で指揮をする時によく着ていた名誉教授の礼服を着ている。
 1904年 ナイト爵、1905年 ウースター名誉市民、1911年 メリット勲章(O.M.)、1923年 勲爵位(K.C.V.O.)、1931年 准男爵(バロネット)、1933年 大十字章(G.C.V.O)、1924年から1934年まで王室音楽主任となる。
 1934年2月23日、ウースターにて没する」(エルガー像の銘板より)

「エルガー楽器店」跡

グーグルマップ

 

 

 

Shades

 

「エルガー楽器店」跡

 

エルガーの両親ヘンリー・ウイリアムとアン・グリーニングが初めて出会った場所(1841)。ウースターのミールチーペンストリート16番地のShades。当時は酒場だった。

 

グーグルマップ

 

愛の音楽家エドワード・エルガー電子書籍はこちらからどうぞ

「エルガー楽器店」跡

エドワード・エルガー 希望と栄光の国


「エルガー楽器店」跡


愛の音楽家 エドワード・エルガー





ぷりんと楽譜の定額プラン「アプリで楽譜見放題」




本サイトから転載する際は必ず出展元として本サイト名とリンクを明記してください。それ以外の無断転載禁止
トップへ戻る