エルガーの最後の審判: 語られなかった真の作曲家像 (日本エルガー協会)
エルガー書籍3部作となる「エルガー最後の審判-語られなかった真の作曲家像」完成!
Amzonにて販売。
「エドワード・エルガー希望と栄光の国」「愛の音楽家エドワード・エルガー」に続いて「エルガー最後の審判ー語られなかった真の作曲家像」と銘打った3部作を意識している。
この3部作は、正にエルガーの交響曲1番、2番、3番。さらには「使徒たち」「神の国」「最後の審判」にダブらせたものでもある。
しかもエルガーの3作目はともに未完成に終わったこととリンクするように、今回の作品は、エルガーに関する現在と未来にスポットをあてている。
そのため、推理、推測などの「IF」を考察したものも多く、またかなり哲学的な内容のものともなった。
そんな推理推測は、証拠と証言と仮説を読者に提示して、読者自身が裁判員になって判決を委ねる・・・みたいな形を意識している。
「希望と栄光の国」「愛の音楽家」では、初心者でも理解しやすいものを意識したが、今回はさらに踏み込んだもので、そろそろ日本のエルガー受容も「初心者」の段階を抜け出すべきとの考えからビギナーには少々とっつきづらいものかもしれない。
ただ、私自身がエルガーに捧げた人生数十年分の想いを全て注ぎ込んだ魂ともいえる。
エルガーに捧げた人生の集大成をこの一冊に込めたので普通に書いたら軽く500ページを超えてしまったので、削りに削ったもののそれでも400ページ近いものとなった。
ご興味あればぜひお手に取っていただければ幸いである。
ご紹介
英国を代表する作曲家エドワード・エルガー。その名は《威風堂々》や《エニグマ変奏曲》によって広く知られている。
しかし、その栄光の背後には、孤独、信仰、愛、そして時代との葛藤に彩られた複雑な人生と、いまだ十分に語られていない精神世界が存在する。
本書は、作曲家エルガーの生涯と音楽、そしてそこに潜む謎と思想を、多角的な視点から探究した総合的研究書である。
第1部「エルガー、その生と軌跡」では、セヴァーン川のほとりの小さな楽器店の息子として生まれたエルガーが、やがて英国音楽の象徴的存在へと昇りつめていくまでの人生を、住まいと創作の変遷を軸にたどる。モールヴァンの丘に抱かれた静かな創作の日々、《エニグマ変奏曲》による突然の名声、《ゲロンティアスの夢》の挫折と復活、そして《威風堂々》に象徴される栄光の影。晩年には妻アリスの死と第一次世界大戦による時代の断絶が重なり、作曲家の世界は次第に沈黙へと向かっていく。栄光と孤独が交錯するその歩みを、時代背景とともに描き出す。
第2部「エルガーの音楽を生んだ風景」では、エルガーの創作を支えた場所と空間に焦点を当てる。生誕地、ウースター大聖堂、モールヴァン・ヒル、ブリンクウェルズ、セヴァーン・ハウス、そして最期の家マール・バンク――。これらの場所を通して、作曲家の精神世界がどのように形成されていったのかを探る。さらに、カトリック作曲家として英国社会の中で感じていた孤立、友情や人間関係、室内楽へと向かう晩年の創作など、エルガーの内面的世界にも踏み込んでいく。音楽史だけでは見えてこない「場所と作曲」の関係を浮かび上がらせる章である。
本書の核心となる第3部「通説を超えた本当のエルガー像」では、これまでのエルガー像を再検討し、隠された側面や思想的背景を掘り下げる。ミュージックセラピー活動や発明家としての一面、ラファエル前派やヴィクトリア朝オカルティズムとの関係、未完の宗教三部作《最後の審判》をめぐる問題など、従来ほとんど語られてこなかったテーマを取り上げる。また、《エニグマ変奏曲》やヴァイオリン協奏曲に秘められた暗号、室内楽作品に影を落とす伝説や象徴、宗教作品に見られる「12」という構造的理念など、作品内部に潜むメッセージを読み解いていく。
さらに、サリヴァン、スタンフォード、ブラームス、ブルックナー、ベルリオーズといった先達との精神的系譜、ボールトやバルビローリといった指揮者による演奏史、さらには日本におけるエルガー受容の歴史と現在の状況まで視野を広げ、作曲家の音楽がどのように理解され、継承されてきたのかを検証する。
エルガーは単なる「英国の国民的作曲家」ではない。そこには、ロマン主義の最後の精神を背負いながら近代へと踏み込んだ、一人の孤独な芸術家の姿がある。本書は、その複雑で多層的なエルガー像を、歴史・思想・音楽分析・演奏史という多角的視点から浮かび上がらせる試みである。
栄光の作曲家として語られてきたエルガーの背後にある、もう一つの真実の姿へ。本書は読者を、その深い精神世界へと導く一冊である。
「まえがき」より
エルガーという作曲家は、不思議なかたちで「3部作」に縁づけられている。
まず、神に捧げられたオラトリオ3部作—— 《使徒たち》《神の国》、そして未完に終わった《最後の審判》。
ここには明確な神学的時間軸がある。召命、共同体、そして終末。
だが第3作は完成を見ることなく、構想のままに残された。
同様に、交響曲もまた3つの番号を持つ。 《交響曲第1番》《交響曲第2番》、そしてアンソニー・ペイン補筆完成版として知られる《交響曲第3番》。
この場合もまた、第3番は作曲者自身の手による完成には至らなかった。
3へ向かいながら、3で閉じない。 完結を志向しつつ、未完を宿命とする。
そこにエルガーという作曲家の本質があるのではないかと私は考えている。
振り返れば、私自身もまた3部作を書いてきた。 『エドワード・エルガー 希望と栄光の国』(2001) 『愛の音楽家エドワード・エルガー』(2008) そして本書『エルガーの最後の審判 語られなかった作曲家の真の姿』(2026)である。
意図したわけではない。だが結果として、エルガーの3部作と私の3部作は、奇妙に重なり合う構図を描くことになった。
過去2作では、主にエルガーの「過去」と「現在」に焦点を当てた。
彼の歩み、彼の時代、そしてその音楽がいまどのように響いているのか、そして彼のゆかりの地の現在を追った。
しかし本書は異なる。 ここでは「現在」と「未来」に目を向ける。
もし第3オラトリオが完成していたら。
もし交響曲第3番をエルガー自身が書き終えていたら。
もし彼があと10年生きていたら。
もし日本での受容が、さらに一段階進んだなら——。
本書には、推測、推理、そして多くの “If” が含まれる。史実から一歩踏み出す箇所もあるだろう。
さらに哲学的考察も含まれる。その点はあらかじめお断りしておきたい。
しかしそれは無責任な空想ではない。資料と作品分析、演奏史の積み重ねの上に立ち、なお見えてくる可能性の地平を探ろうとする試みである。
日本におけるエルガー受容は、この数十年で確実に深化した。交響曲や《ゲロンティアスの夢》が演奏され、研究も進み、単なる「威風堂々」の作曲家というイメージは過去のものとなりつつある。
だが、まだ一歩進める余地がある。 エルガーの未来を考えること。 未完をどう受け止めるかを考えること。 そして、彼の音楽がこれからどのように日本で鳴り響くべきかを問うこと。 本書は、その小さな一歩のために書かれた。 未完の第3作を抱えた作曲家と、3冊目を書こうとする筆者。 その奇妙な照応を胸に、ページを開いていただければ幸いである。
2026年2月23日(エルガー没後92周年)記
「もくじ」より
まえがき
第1部 エルガー、その生と軌跡
第1章 栄光と孤独の作曲家エドワード・エルガー
赤レンガの家から響きはじめた音楽
愛と試練のロンドン時代
モールヴァンの静寂から《エニグマ》へ
栄光と挫折――《エニグマ》から《ゲロンティアス》へ
《威風堂々》と栄光の影
栄誉の頂点と新たな創作
プラス・グィン時代――栄光と創造の頂点
セヴァーン・ハウス――栄光の余燼と戦火の影
ブリンクウェルズ――森の魔法と永遠の別れ
残照のロンドン――孤独と時代の断絶
晩年の栄誉と録音という遺産
マール・バンク――最後の丘にて
第2部 エルガーの音楽を生んだ風景
エルガー・バースプレイス(生誕地博物館)
ウースター大聖堂
「エルガー楽器店」跡
ヘレン・ウィーバーの家
聖ジョージローマカトリック教会
英国社会における「カトリック作曲家」エルガーの孤立
「エルガー・ルート」
モールヴァン・ヒル
グレート・モールヴァンの街
ロレットヴィラ
エルガーとアリスの婚礼のブロンプトン・オラトリー
エルガーの「カトリック性」は本当に音楽に表れているのか
エルガー夫妻のハネムーンの地
キャリス誕生の家
モールヴァン・リンクの家「フォーリ」
モールヴァン・ウェルズの家「クレイグ・リー」
ゲロンティアスの家「バーチウッドロッジ」
「ニムロド」イエーガーの家
友情を書くということ――エルガーと男性的親密さ
エルガーお気に入りのフットボールチーム
「傑作の森」の家プラスグイン
室内楽作曲の家ブリンクウェルズ
室内楽へと縮減していくエルガーの世界
ブリンクウェルズという空間が生んだ様式
ハムステッドの家「セヴァーン・ハウス」
「英国的私生活空間」とエルガーの孤独
St. ジェームズプレイスの家
創作が終息していく空間の記録
アビーロードスタジオ
バッテンホールマナー
エルガー最期の家マールバンク
エルガーの墓のあるセント・ウルスタン教会
第3部 通説を超えた本当のエルガー像
第1章 知られざるエルガー
エルガーとミュージックセラピー──ポイック療育院における音楽活動の史的意義
作曲家エルガーのもう一つの顔、発明家エルガー
エルガーによるタイタニック葬送のエニグマ:1912年5月24日ロイヤル・アルバート・ホール
エルガーとエオリアンハープ ― 史実と背景
エルガーとミレイ
エルガーとラファエル前派のつながり
「喜びの精霊」から「孤独な創造物」へ:
エルガーとフランケンシュタインに見るロマン主義的精神の微弱な継承
沈黙するミューズたち――エルガーの音楽に刻まれた女性の影
エルガーにとってミューズとは何だったのか
第2章 先達からエルガーへの伝言
独学とはどういうことを意味するか
サリヴァンとエルガー
サリヴァンと「ゲロンティアスの夢」との関係性について
エルガーとスタンフォードの関係性 —— 尊敬と断絶、そして静かな弔い
レイモンド・レッパードによるスタンフォード《レクイエム》説を中心に
エルガーとベルリオーズ
エルガーとブルックナー「英国のブルックナー」という視座
「魂の影に宿る愛」 エルガーとブラームス、音楽と叶わぬ恋の物語
直接的影響か、精神的系譜か《海の絵》と《アルト・ラプソディ》
第3章 エルガーの秘めたるメッセージ
エニグマ変奏曲第13変奏のHJW
エルガーとビーチャム
バーンスタイン指揮エルガーのエニグマ変奏曲
ヴァイオリン協奏曲に秘められた謎 Aqui esta encerranda el alma de
我が魂の奥深く~ジュリア・ワーシントンのこと~
エルガーのヴァイオリン協奏曲のタイムテーブルに関する言説
時間そのものを彫刻する ―― ボールトとヘンデル、限界点としてのエルガー
最速演奏サージェント/ハイフェッツ盤VS最遅ボールト/ヘンデル盤―― 疲労と沈潜、威圧と黙想
「神降臨の瞬間 ノット/神尾/東響によるエルガー協奏曲の奇跡」
サー・ジョン・バルビローリがエルガーのヴァイオリン協奏曲を録音しなかった理由
《ピアノ五重奏曲》および《弦楽四重奏曲》に見られる「シニスターツリーズ」伝説の影響
ヴィクトリア調オカルティズムと音楽・文学の交差―19世紀末英国における科学文明の陰影と創造的想像力の表象―
ブリンクウェルズの幻影 —— エルガー晩年の室内楽とオカルティズム
E minor と A minor ――最後の暗号
「呪いの音楽」
演奏評における精神論~エルガー/チェロ協奏曲
一枚の写真
第4章 変奏されるエルガー
断片から甦るエルガー —— 《ピアノ三重奏曲のための3つの楽章》成立の背景
「連合の歌」――エルガー晩年様式の一断面
シェッドに眠っていたワルツ
シェッドの交響曲――若きエルガーの“日曜日の音楽”
エルガーはなぜ書き換えられ続けるのか「No one must tinker with it」の逆説
祈りとなった《ニムロド》4種の合唱編曲
第5章 草稿の中のエルガー
破れたスケッチブックが語る創作の舞台裏
若きエルガーの信仰と敬慕 《クレド》作品3に見るベートーヴェン受容の原風景
幻の《ピアノ協奏曲》――ウィンドフラワーと未完の協奏曲
もう一つのエルガーのピアノ協奏曲 ファリントン版《コンサート・アレグロ》が示す可能性
エルガー最後の未完劇 《スペインの貴婦人》の謎
第6章 交響曲という執念 エルガーにおける形式への夢と変奏
エルガー交響曲第1番にまつわるエピソード
エルガー交響曲第2番終楽章徹底解剖 155小節以降に現れる「真実の音楽」と音響空間
第7章 歴史が選ばなかった「もしも」のエルガー
クレンペラーとエルガーを結ぶ細い糸
フルトヴェングラー × エルガー:共鳴するロマン主義の霊性
エルガーとカラヤン「中古のブラームス」と呼んだ指揮者
エルガーとディーリアス──二つの孤高、交錯する精神
エルガーを指揮していた最後の大物」マーラーと《エニグマ変奏曲》
エルガーの仕掛けた謎に挑むシャーロック・ホームズの推理
もしエルガーが映画音楽を手がけていたら ―映画とクラシック音楽の交差点に立つ“もうひとつの可能性”
第8章 儀式としてのエルガー
《ゲロンティアスの夢》に仕込まれた「12」という暗号
ジョナサン・ノット指揮《ゲロンティアスの夢》における儀式性と音楽的構築 ―練習番号12を中心とした宗教的象徴と形式的対比の考察―緒論
ゲロンティアスと交響曲3番の儀式性について
「荷馬車」の主題と第4楽章の儀式―《交響曲第3番》終楽章の隠された構造
未完の響きを完成させた魂――アンソニー・ペイン、エルガーへの献身
エルガーと「12」——宗教的作品に見られる構造的・象徴的こだわり
「神の秩序としての12」《The Apostles》における構造と象徴性
「永遠の神聖秩序としての12」《The Kingdom(神の国)》における構造と象徴性
エルガーとショーファー
「神の国」のスコア
「最後の審判」の補完作業は行われていた
なぜ《最後の審判》は書かれなかったのか
「それは自分自身の贖罪のためだ」という答えの重み
エルガー《The Last Judgement》は補完可能か―2010年手稿発見とアンソニー・ペイン構想をめぐって
エルガー未完のオラトリオ《最後の審判》宗教三部作の果てに
《The Last Judgement》補筆構成試案
第9章 逆説のエルガー
【エルガーと「希望と栄光の国」】 時系列でたどる栄光と葛藤の軌跡 ―
第10章 魂の継承者たち――2人のB
①エイドリアン・ボールト――エルガー解釈の至高に立つ巨匠
ボールト後期美学とエルガー受容史――「正統」の終焉と記念碑化の始まり
ボールト幻のリリタ盤 エイドリアン・ボールトのエルガー1968年ロンドン・フィルとの幻の名盤
②ジョン・バルビローリ ― エルガーを情で奏でた詩人指揮者
グロリアス・ジョン、最後の祈り――バルビローリとハレ管によるエルガー《交響曲第1番》1970年ライブ
ボールトとバルビローリの関係
第11章 日本におけるエルガー受容の現状
エルガーは日本に根づいたのか、それともまだ“客人”なのか
日本におけるエルガー受容史はなぜ遅れたのか――「普遍性の神話」と「英国性の壁」――
エルガーブームはあったのか?
日本におけるエルガー指揮者の系譜とその功績
尾高忠明 ― 日本におけるエルガー演奏の中心的存在
大友直人 ― 声楽作品の地平を切り開いた指揮者
山田和樹 ― 次世代を担うエルガー解釈者
あとがき
著者紹介
「あとがき」より
ひとりの作曲家の生涯を追うことは、ひとつの旋律がどのように生まれ、変容し、やがて静まっていくかを辿ることに似ている。
その旋律の背後には、常に寄り添う和声があった。
エルガーにとって、それはアリスであり、キャリスであった。
本書の裏表紙に置いた一枚のイラストは、単なる資料画像ではない。
そこに写るのは、晩年のエドワード・エルガー、妻アリス、そして娘キャリスの三人。
場所は彼らにとって特別な意味を持つモールヴァン・ヒルズである。
モールヴァンの丘は、若き日の夢想も、 名声の絶頂も、そして晩年の沈黙も知っている。
その丘を三人で歩く後ろ姿——それは、作曲家の栄光の肖像ではなく、一家の静かな時間の記録である。
エルガーを語るとき、私たちはしばしば《エニグマ変奏曲》や《ゲロンティアスの夢》、二つの交響曲といった作品の光に目を奪われる。しかし、その創作の根底にあったのは、家族という小さな共同体であった。
アリスの支えなくして彼の歩みはなく、キャリスの存在なくして晩年の柔らかな陰影もまた生まれなかっただろう。
だからこそ最後に、どうしても三人を揃えたかった。
それも正面像ではなく、後ろ姿で。
丘の上へと続く道を並んで歩く三人の姿は、過去へ向かうのでも、未来を誇示するのでもない。
ただ同じ風を受け、同じ地平を見つめている。そこには名声も批評もなく、あるのは人生の時間だけである。
本書が描こうとしたのは、「偉大な作曲家」という像だけではない。
ひとりの人間が、家族とともに歩んだ軌跡である。
モールヴァンの丘を歩く三人の背中は、作品の背後にあった静かな日常を象徴している。
その姿をもって本書を閉じることができるなら、著者としてこれに勝る結びはない。
丘を渡る風は、今も変わらず吹いている。


書評 『エルガー最後の審判 ― 語られなかった真の作曲家像』
――水越健一『エルガーの最後の審判 ― 語られなかった真の作曲家像』
英国近代音楽を象徴する作曲家エドワード・エルガーは、日本では長く《威風堂々行進曲》や《エニグマ変奏曲》によって知られてきた。華やかな行進曲と英国的抒情の作曲家——そのイメージは広く共有されているが、同時にそれはエルガーの一面にすぎない。本書『エルガーの最後の審判 ― 語られなかった真の作曲家像』は、その固定化された像を越え、作曲家の精神世界の深層へと踏み込もうとする意欲的な研究書である。
著者の水越健一は、エルガーの生涯を単なる伝記的叙述としてではなく、「創作を生んだ空間」と「思想的背景」の二つの軸から読み直す。第1部では、セヴァーン川流域の地方都市に生まれた一人の音楽家が、やがて英国音楽の象徴へと押し上げられていく過程が描かれる。そこには成功の物語だけでなく、社会的孤立や信仰上の葛藤、そして第一次世界大戦以後の精神的断絶が重層的に浮かび上がる。
続く第2部は、エルガー研究としてはやや異色の「場所の音楽史」とも呼ぶべき章である。ウースター、モールヴァンの丘、ブリンクウェルズ、セヴァーン・ハウスといった作曲家の生活空間を辿りながら、創作と風景の関係が丁寧に描き出される。作曲家の精神がどのような場所の記憶から形づくられたのかを考える試みは、従来の作品中心の研究とは異なる視点を提供している。
しかし本書の白眉は、第3部「通説を超えた本当のエルガー像」であろう。ここで著者は、エルガーの音楽をめぐる数多くの問題に大胆に踏み込む。例えば、《ゲロンティアスの夢》に代表される宗教作品の象徴構造、《ヴァイオリン協奏曲》に秘められた個人的暗号、《ピアノ五重奏曲》や《弦楽四重奏曲》を取り巻く伝説的イメージ、さらにはヴィクトリア朝末期のオカルティズム文化との接点など、議論は多方面に及ぶ。
とりわけ興味深いのは、エルガーが構想していた宗教三部作の最終作《最後の審判》をめぐる考察である。未完に終わったこの作品をめぐって、著者は手稿資料や関連作品の構造を手掛かりに、その思想的背景と構想の可能性を探っていく。ここでは単なる音楽史の問題を超え、作曲家の宗教観や世界観そのものが問い直される。
さらに本書は、演奏史の側面にも目を向けている。エルガー作品を継承した指揮者たち——例えば エイドリアン・ボールトや ジョン・バルビローリ——の解釈史を通して、作曲家の音楽が20世紀の中でどのように受容されてきたのかを検証する視点も興味深い。
全体として本書は、単なる作曲家論にとどまらない。そこには、19世紀末から20世紀初頭にかけての英国文化、宗教、思想、芸術が複雑に交錯する精神史の風景が広がっている。エルガーを「英国的作曲家」としてのみ理解する通念に対し、その背後にあるロマン主義的精神の残響と近代への断絶を浮かび上がらせる点で、本書の試みはきわめて刺激的である。
エルガー研究書としてはもちろん、音楽思想や文化史に関心を持つ読者にとっても示唆に富む一冊と言えるだろう。栄光の作曲家の背後に潜む、もう一つのエルガー像を提示する意欲的な著作である。


