透明と知性の肖像画――ハーディングの手による新たなエルガー像
ダニエル・ハーディング指揮、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団による2025年2月27日収録のエルガー《エニグマ変奏曲》は、従来の「英国音楽」の枠に安住しない、まさに**“エルガー像の再構築”**と呼ぶべき試みである。これは、単にフランスのオーケストラがエルガーを演奏した、という事実を超えた、美学と解釈の交差点に立ち現れた一つの表現である。
音色の透明感と音響構造の再設計
この演奏の第一の印象は、音響の透明感と構築性である。フランス放送フィルが持つ澄明な弦と、管楽器群の色彩の妙味が、エルガーの書法にある分厚いテクスチャをあたかも印象派の絵画のようにレイヤー化して聴かせる。とりわけ「Nimrod」におけるピアニッシモの精緻さは特筆に値し、むしろドビュッシーの静謐な緩徐楽章を聴いているかのような錯覚すら呼び起こす。
ハーディングの設計図:客観と内燃の共存
ハーディングのアプローチは、エルガー解釈の系譜においてはデトゥワとも、バルビローリやサー・アンドリュー・デイヴィスとも異なる、抽象度の高い視座を持っている。全体のテンポ設計は比較的中庸だが、各変奏ごとに「呼吸」を繊細に変化させることで、作品の性格を一層くっきりと描き分けている。
たとえば、Variation II “H.D.S.-P.”では弾むようなユーモアが徹底的にコントロールされ、ユーモラスというよりも“音のからくり細工”のような知性が表出する。一方で、“Troyte”や“G.R.S.”では鋼のようなリズムが打ち込まれ、そこにハーディングらしい現代的な躍動感が垣間見える。
イギリス性の脱構築と再定義
この演奏を聴き進めるにつれ、エルガーを象徴する「イングリッシュネス」の在り方自体が批評的に距離を取られていることに気づかされる。ハーディングとフランス放送フィルは、「エニグマ」を国民的叙情詩としてでなく、個々の肖像を配した交響的変奏曲として捉えており、そこには感傷よりも構造への偏愛と分析的距離がある。
これは、かつてのデュトワ盤(モントリオール響)にも見られた「フランス的なエルガー」の解釈を、より21世紀的な角度から再更新したものとも言える。デュトワは音の洗練によってエルガーを都会的に整えたが、ハーディングはその音響の洗練の中にエルガーの屈折と内的ドラマを埋め込んでいる。
境界を越える「変奏曲」
エルガー《エニグマ変奏曲》という作品は、作曲家の内面を映し出す鏡でもあり、指揮者・オーケストラの美学の試金石でもある。今回のハーディングとフランス放送フィルによる演奏は、英国外でのエルガー受容がもはや“外来種の演奏”ではなく、再解釈の地平に立ちつつあることを強く印象づける。