モールヴァン・リンクの家「フォーリ」

エルガーが住んだ年代=1891~1899
<ここで作曲された主な作品>
弦楽奏《弦楽セレナード》(1893)
カンタータ《ブラック・ナイト》(1893)
オルガン曲《オルガン・ソナタ第1番》(1895)
オラトリオ《生命の光》(1896)
カンタータ《オラフ王》(1896)
管弦楽曲《英国行進曲》(1897)
バラッド《聖ジョージの旗》(1897)
管弦楽曲《エニグマ変奏曲》(1899)
モールヴァン・リンクに建つ家「フォーリ」は、エルガーの創作史において一種の臨界点をなす場所である。1891年から1899年までの8年間、この家はエルガーにとって単なる住居ではなく、挫折と再生、周縁と中心が静かに反転していく現場であった。
結婚後、作曲家としての成功を求めてロンドンに進出したエルガーは、わずか2年でその夢を断たれる。首都は彼を受け入れなかった。そこで彼が選んだのは、前進ではなく後退、拡張ではなく回帰であった。モールヴァンへの帰還、そして「フォーリ」への定住。それは敗北の身振りであると同時に、自らの本来の地平を見定めるための選択でもあった。
「フォーリ」という家名が、イタリアの画家メロッツォ・ダ・フォーリに由来する点は象徴的である。ルネサンスの遠近法画家の名を冠したこの家で、エルガーは皮肉にも社会的成功の遠近法を失い、再び地方の一音楽教師として生きることを余儀なくされる。彼自身がその仕事を「脱臼した肩で石臼を回すような苦痛だ」と語っていることは、当時の精神的閉塞を如実に物語る。
しかし、この閉塞こそが転機となる。フォーリを取り巻くモールヴァンの自然、そして親密な友人たちとの関係の中で、エルガーの創作は驚くほどの密度と速度を獲得していく。《弦楽セレナード》に始まり、《ブラック・ナイト》《オルガン・ソナタ第1番》《生命の光》《オラフ王》と続く一連の作品群は、試作や習作の域を超え、すでに後年のエルガー様式を明確に予告している。
とりわけ重要なのは、この家で《エニグマ変奏曲》が生まれたという事実である。エルガーの名を一挙に世界へ押し出したこの作品は、ロンドンではなく、地方の丘陵地帯で、友人たちとの私的な関係性を素材として書かれた。庭先に設けられた「ニムロド」と名付けられたテント小屋で、《英国行進曲》が書かれたという逸話もまた、エルガーの創作が公的祝祭と私的空間の奇妙な重なりの中で成立していたことを象徴している。
「フォーリ」は、成功へ至る階段の一段ではない。むしろそれは、社会的には後退しながら、芸術的には決定的に前進した場所である。ロンドンに背を向けたことで、エルガーは初めて自分自身の声を獲得した。その声は、雄弁でも革新的でもないが、土地と記憶と友情に深く根ざした、代替不能なものであった。
この家において、エルガーは「地方にいる作曲家」から、「地方でしか生まれ得ない作曲家」へと変貌したのである。



