マール・バンク

エルガーの「媒介者」としてのコリンウッド

ローレンス・アーサー・コリンウッド(Lawrance Arthur Collingwood, 1887–1982)は、イギリス音楽史の中でも極めて重要な存在であり、とりわけエドワード・エルガーとの関係において、特異な立ち位置を占める人物である。彼は単なる指揮者でも、録音プロデューサーでもない。エルガーと同時代を生き、直に接し、実際にその「声」を聞いた最後の世代の生き証人であった。

 

◾ 病床のエルガーとともに:「ミーナ」録音(1933年)

1933年、エルガーが末期の病床にあった際、短編管弦楽曲「ミーナ(Minna)」の録音が企画された。だが、指揮台に立つ健康状態ではなかったエルガーに代わり、EMIはローレンス・コリンウッドを指揮者に起用する。
この録音はただの代役ではない。録音スタジオとエルガーの病床とをマイクでつなぎ、エルガーはマイク越しに逐一指示を飛ばし、コリンウッドがそれを忠実に反映するという形で実施された。

 

このエピソードは、録音史上においてもほとんど類を見ない出来事であり、「エルガーが肉体を持っては指揮できぬ代わりに、コリンウッドを媒介として音楽を再現した」とも言える奇跡的なコラボレーションである。ある意味、この「ミーナ」の録音は、エルガー自身の最後の録音指揮作品ともみなされ得る。ミーナの他には《カラクタクス》から凱旋行進曲と森の間奏曲、さらには《夢の子どもたち》などの録音がある。

 

◾ EMIの音楽顧問としての役割(1938–1974)

コリンウッドは1938年からEMIに音楽顧問として加わり、英EMIにおけるエルガー録音の維持と保存、復刻に深く関与した人物でもある。1950年代〜60年代にかけて、彼の監修のもとに復刻されたエルガーの自作自演盤(SP時代の録音)は、彼の記憶と耳に基づく校正を含んでいる可能性が高く、「録音芸術の中のオーラル・ヒストリー」としての価値も持つ。

 

 

◾ ステレオ時代への橋渡し:エルガー小品集録音(1963年)

1963年にはエルガーの小品集をステレオ録音している。彼はこの時すでに70代後半に差しかかっていたが、**1900年代初頭にエルガーと接した記憶と、現代の録音技術を結びつける「伝承者」**としての重みを帯びていた。《子ども部屋》組曲、弦楽セレナーデ、《バイエルンの高地》組曲などがある。
この録音においても、彼の指揮はエルガー本人の意図や気質を熟知した上での表現となっており、今日聴いても独特の“エルガーらしさ”が滲み出ている。

 

◾ ロシア体験と音楽的語法の融合

1910年代にロシアで学び、チェレプニンやシテインベルクといった作曲家から直接指導を受けた経験もまた、コリンウッドの演奏や作曲の独自性に深みを与えている。エルガーの晩年の作風、とりわけ《交響曲第2番》や《ファルスタッフ》などの心理的・管弦楽的深層を読み解くにあたり、彼のロシア体験がどこかで有機的に作用している可能性も否定できない。

 

◾ 総評:エルガーの「媒介者」としてのコリンウッド

ローレンス・コリンウッドは、**「エルガー最後の証人」であり、同時に「エルガーの音楽を未来に繋げた実践者」**でもあった。彼が病床のエルガーとともに録音を行ったエピソードは、音楽史の中でも最も心を打つ瞬間のひとつであり、それを語るにあたって彼の名は決して忘れられてはならない。

 

エルガーの意志を最も身近に知り、それを自らの手で指揮し、記録した人物──それがコリンウッドである。

 

 

ローレンス・コリンウッドのエルガー@Amazo

愛の音楽家エドワード・エルガー電子書籍はこちらからどうぞ

トップへ戻る