遂につかんだ名声

戦後に甦った深海の声 ――1946年リプリー盤《海の絵》を聴く

《海の絵》作品37。
本録音は1946年5月28日、アビイ・ロード第1スタジオにて収録された、エルガー没後初の全曲録音である。歌い手はコントラルトのグラディス・リプリー、管弦楽はフィルハーモニア管弦楽団、指揮はジョージ・ウエルドン。SP78回転5面という制約の中で刻まれた歴史的記録である。

 

戦後英国のエルガー

 

1946年という年を忘れてはならない。
ロンドンは空襲の傷跡をまだ抱え、英国社会は再建の途上にあった。そうした時代に《海の絵》が録音されたことは象徴的である。これは単なる歌曲録音ではない。戦後英国がエルガーを再び国民的作曲家として取り戻す瞬間であった。

 

エルガー自身の指揮録音(1920年代)とは異なり、この演奏にはすでに「回想」の色がある。だがそれは衰弱ではなく、むしろ静かな決意を伴う。

 

グラディス・リプリーの声

 

リプリーのコントラルトは、今日のメゾソプラノ中心の解釈とは明確に異なる重心を持つ。低音域は深く、暗く、密度が高い。
第1曲〈Sea Slumber Song〉では、海は揺れる光ではなく、深く沈潜する闇として描かれる。レガートは滑らかで、語尾の処理に時代特有のディクションが残るが、それがかえって歴史的香気を醸し出す。

 

〈Where Corals Lie〉では、声がほとんど地底から立ち上がるようである。夢幻というよりも、静かな諦観を湛えた神秘である。
終曲〈The Swimmer〉では決して過度に煽らず、威勢よりも持続的な推進力でまとめ上げる。ここに戦後的節度を見ることもできる。

 

ウェルドンとフィルハーモニア

 

ウェルドンの指揮は誇張を避け、構造を明晰に保つ。テンポは概して中庸。極端なルバートや感情的膨張はない。
フィルハーモニア管の弦はまだ若いが、柔らかく、厚みがある。録音はモノラルでありながら、アビイ・ロードの残響を自然に捉えている。

 

第3曲〈Sabbath Morning at Sea〉では金管の響きがやや粗いが、それも含めて時代の息遣いが刻まれている。磨き上げられた後年のデッカ録音とは異なり、ここには「記録」としての切実さがある。

 

歴史的位置

 

《海の絵》全曲録音としては三度目であり、エルガー没後初の全曲盤という意味で特別な位置を占める。
これは作曲者の影がまだ濃く残る時代の演奏であり、同時に新しい英国音楽界の出発点でもある。

 

後年のバルビローリ盤やボールト盤がより洗練された完成度を示すのに対し、本盤は過渡期の真実を伝える。そこにこそ価値がある。

 

 

 

リプリー盤《海の絵》は、華麗さよりも重厚さ、劇性よりも内省を重んじた演奏である。
戦後の静かな海。深く、暗く、しかし確かに再生へ向かう波。

 

歴史的意義のみならず、いま聴いてもなお説得力を持つ。
これは記念碑ではなく、生きた記録である。

 

日本エルガー協会新刊「エルガーの最後の審判-語られなかった真の作曲家像」はこちらから

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