愛の音楽家エドワード・エルガー

アルペシュ・チャウハン指揮ボーンマス交響楽団によるエルガー《南国にて(アラッシオ)》

アルペシュ・チャウハンという若い指揮者をご存じだろうか?最近増えてきたアジア系の若手指揮者かと思うかもしれないが、実は違う。チャウハンはバーミンガム生まれでバーミンガム・オペラ・カンパニーの音楽監督である。また、デュッセルドルフ交響楽団 の首席客演指揮者でもある。

 

2024年1月10日のアルペシュ・チャウハンによるエルガー「南国にて(アラッシオ)」の演奏は、彼の経歴が示す通り、後期ロマン派的な豊饒さと20世紀的な推進力を兼ね備えたものである。チャウハンはエルガーを単なる英国音楽の象徴として扱わず、国際的文脈に置き直す。結果として、この「南国にて」は陽光と陰翳が共存する、色彩豊かで彫りの深い音楽像を呈している。
序奏においては、弦の深い陰影と金管の力感を巧みにバランスさせ、旅の始まりに漂う重みと期待感を明確に提示する。テンポ運びは流動的で、場面の移り変わりが自然でありながらも、各モチーフの性格を明確に描き分けるための緩急が精密に計算されている。特に主要主題の提示では、南欧の光を思わせる明るさの中に、エルガー特有のノスタルジアを織り込んでおり、彼の音楽観の多面的な側面が顕著である。
中間部の牧歌的エピソードでは、木管のフレージングに細やかな呼吸を与え、単なる叙景描写にとどまらない人間的温もりを醸し出す。チャウハンの棒は、この部分で特に歌心を発揮し、響きが濃密でありながらも過剰にならず、空間に溶け込むような音色を実現している。
終盤にかけては、彼が現代音楽やドラマティックなオペラで培った構築力が発揮される。積み上げられた緊張がクライマックスで一気に解放される瞬間は、単なる音量の増加ではなく、響きの方向性と密度の変化によって達成されている。ボーンマス響もそれに呼応し、金管群は輝かしくも破綻なく、打楽器は躍動感を支え、弦は最後まで張り詰めた歌を保つ。
総じて、この演奏はチャウハンの国際的視野と英国音楽への愛着が交差する地点に立つ解釈である。イタリアの陽光を描く作品を、英国的抒情と現代的構築性をもって提示することで、エルガー像に新たな層を加えている。これは単なる「色彩的な小品」ではなく、構造的完成度の高い交響詩として響かせた点において、高く評価されるべきである。

 

では、アルペシュ・チャウハン指揮ボーンマス交響楽団によるエルガー《南国にて(アラッシオ)》を、物語構造に沿って分析する。
ここでは単なる音楽記述ではなく、エルガーが構想した情景の展開を「登場人物・舞台転換・心理の推移」として読み解く。

 

① 序奏 ―「崖の上からの眺望」
トランペットのファンファーレは、主人公(旅人)がリグーリア海岸の断崖に立ち、地中海の眩い光景を初めて目にする瞬間の宣言である。
チャウハンはここでテンポをやや推進的にとり、弦の上昇音型を波打つように響かせ、風景が視界に飛び込んでくる高揚感を鮮烈に描く。
ボーンマス響の金管は輝かしいが、硬質すぎず、眩しさの奥にある空気の温もりも含ませている。
② 主題提示 ―「陽光の街と人々」
ヴァイオリンの歌う第1主題は、アラッシオの町並みや人々の活気を描く「人物群像」の幕開けである。
チャウハンはルバートを巧みに使い、街角のざわめき、踊り出す子供たち、日傘を差す婦人たちといった細部を浮かび上がらせる。
木管の対話は、通りで交わされる会話や笑い声のように生き生きとした描写である。
③ 対主題 ―「古代ローマの回想」
突如として低弦とホルンが重厚な旋律を奏し、時間軸は過去へと飛ぶ。
これはローマ軍がこの海岸を進軍した歴史の影を表す場面である。
チャウハンはここを堂々たるテンポで構築し、金管の重層感を活かして「陽光の裏に潜む歴史の重み」を提示する。
場面転換は鮮烈だが唐突ではなく、あくまで物語の縦糸として自然に挿入されている。
④ 展開部 ―「現在と過去の交錯」
第1主題とローマ軍の動機が交互に現れ、互いに絡み合う。
これは旅人が街を歩きながら、現代の賑わいの中に古代の影を幻視する心理的モンタージュである。
チャウハンはテンポとダイナミクスの振幅を大きく取り、視覚的なフラッシュバックのような効果を生んでいる。
特に打楽器の鋭いアクセントが「現在に割り込む過去」の衝撃を際立たせる。
⑤ 静謐な中間部 ―「夕暮れの海岸」
クラリネットと弦の柔らかな対話は、旅人が海辺に腰を下ろし、沈む太陽を眺める場面である。
音楽はゆるやかに呼吸し、チャウハンは弱音の中に濃密なニュアンスを注ぎ込み、色彩を溶かし合わせる。
遠くで波が砕けるような弦の細かいアルペッジョが、静かな時間の流れを暗示する。
⑥ 再現部 ―「祭りの夜」
再び陽光のモティーフが戻り、街は夜の祭りに包まれる。
リズムは軽快さを増し、管楽器の装飾が提灯や花火のきらめきを思わせる。
チャウハンはこの部分で一気に推進力を増し、音楽を熱狂の渦に引き上げる。
⑦ コーダ ―「旅立ち」
最後にローマ軍の動機が再び顔を出し、過去と現在の交差が完結する。
旅人はこの地を去るが、心には歴史と風景が重なり合った鮮烈な印象が刻まれている。
チャウハンは終結を急がず、輝かしい金管と全合奏をもって「物語の余韻」を広く残す。

 

この演奏は、エルガーが描いた「風景詩+歴史叙事詩」という二重構造を、情景の切り替えを明確にしつつ、全体を一つの旅の物語としてまとめ上げた解釈である。
特に場面転換の鮮やかさと、静寂部分の色彩の深さは、チャウハンの後期ロマン派解釈の強みが如実に現れている。

 

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