希望と栄光の国

ノーマン・デル・マー入魂の演奏

ノーマン・デル・マー指揮・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による1976年録音の《威風堂々》行進曲集(Pomp and Circumstance Marches, Op. 39)についてのレビューを記す:

 

ノーマン・デル・マー指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1976年録音)

 

エルガーの《威風堂々》をめぐる数多の録音の中にあって、このノーマン・デル・マーによる演奏は、他の追随を許さぬ“決定盤”として強く推薦したい。よくある「祝祭的」「典礼的」「儀礼的」なアプローチとは一線を画し、そこには凄まじいまでの生命力と音楽への確信が宿っている。

 

デル・マーの指揮は、情熱的かつ精緻。**祝祭性に頼らずして、行進曲に真のドラマを宿らせている。**特に第1番は、テンポ設定からして異彩を放っている。通常よりも速め、それもかなりの加速感を伴って展開するが、音楽の輪郭やアーティキュレーションは一切崩れない。それどころか、音の線が一層くっきりと立ち上がり、トリオ部分の壮麗な盛り上がりには心が打ち震える。

 

録音会場として使用されたのはギルドフォード大聖堂。つまり残響が極めて長く残る環境。これほど残響が残る環境なら普通はテンポを遅めに取るのが定石だ。なぜなら残響が残っている上に次の音が重なって音像がぼやけてしまうからである。しかし、この演奏ではこのテンポにして音形が崩れることのないのだ。

 

極め付きは終盤に向けたトリオのクライマックス。タンバリンの煌びやかな打音と、パイプオルガンの壮麗な響きが火花のように炸裂する。ここに至って、デル・マーがいかにこの曲に「軽さ」ではなく「重み」と「気高さ」を求めていたかが明確となる。

 

しばしば《威風堂々》は、演奏者側の軽視によってその真価を見失いがちな曲である。実際、多くの録音では、パイプオルガンの省略や打楽器の手抜きといった、作品のディテールをないがしろにした例が散見される。その中にあって、デル・マーは楽譜の細部に至るまで執念のような誠実さを持って向き合い、エルガーの魂を具現化してみせた。

 

第1番はもちろんのこと、第2番から第5番に至るまで、その全てが等しく力強く、豊かで、格調高い。全曲を通してエルガーの「誇り」「詩情」「ユーモア」そして「イングランドの精神」が立ち現れており、まさに作品の本質を掴み切った稀有な演奏である。

 

この録音こそ、《威風堂々》の真価を知らしめる金字塔的名演である。

 

エルガーのこの名作を、単なる儀式のBGMや卒業式のテーマといった凡庸な扱いに収めてしまうのは愚かである。デル・マーはそのことを知っていた。だからこそ、彼はこの曲を“燃えるようなエルガー”として世に提示したのだ。この録音を聴くと、音楽の中に息づく作曲家の精神と美学が、現代にもなお熱をもって響き渡ることを実感するだろう。

 

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ノーマン・デル・マーとエルガー

温かな共感と鋭利な知性をもって、エルガーに臨んだ真摯な職人

 

ノーマン・デル・マー(1919–1994)は、トーマス・ビーチャムの薫陶を受けた英国の名匠であり、ホルン奏者としてロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団で活動した後、指揮者・音楽学者として国際的に知られる存在となった。特にエルガー、ヴォーン・ウィリアムズ、ブリテンといったイギリス音楽に対して深い共感と専門性を示し、BBCプロムスでも何度も指揮台に立ち、1973年、1975年、1983年にはラスト・ナイトの指揮を務めたことでも記憶される。

 

エルガー作品に対して彼が注いだ愛情と情熱は、録音からも明確に感じ取れる。中でも特筆すべきは、《威風堂々》行進曲(Op.39)全曲録音(1976, DG)である。第1番から第5番まで、全曲を通じて息を呑むような生命力と推進力に満ちており、特に第1番におけるテンポ感と構築性、クライマックスでの壮麗なパイプオルガンの使用、タンバリンの装飾など、そのすべてが譜面に書かれた音を超えて、まるで「語り部」のように楽曲のドラマを紡ぎ出している。

 

デル・マーは決してエルガーを「軽く」扱わない。祝典音楽としての表層的な華やかさではなく、その背後にある作曲者の精神性や構築意志に肉迫し、作品を深い内面から語らせている。これは、単なる英国賛歌ではない。苦悩と祈り、矜持と誇りを含んだ“人間の行進”としての《威風堂々》である。

 

また、エニグマ変奏曲(1975, DG)や《ファルスタッフ》《南国にて》《チェロ協奏曲》(1989, EMI)などの録音においても、デル・マーの解釈はきわめて細やかで、作品の陰影を丁寧に掬い取る姿勢が貫かれている。特に小品集(1976, Chandos)は、叙情性とイギリス的詩情の宝庫であり、彼の温かい眼差しと熟練の筆致が全曲に渡って感じられる珠玉のアルバムである。

 

加えて、デル・マーは指揮者であると同時に優れた音楽学者でもあり、特にリヒャルト・シュトラウスに関する三部作の著者として世界的に高い評価を得ている。この学究的な視点と演奏経験が相互に影響し合い、彼の指揮には理性と情熱の稀有なバランスが宿っている。

 

知名度の面ではバルビローリやビーチャムに一歩譲るかもしれないが、デル・マーのエルガーには強烈な自己主張はなくとも、作品そのものの魂を鮮やかに映し出す「真の理解者」としての風格がある。彼の演奏は、どれも誠実で人間味にあふれ、エルガーという作曲家の多層的な人格を、そのまま聴き手に届けてくれる。

 

主なエルガー録音(ディスコグラフィ)

《エニグマ変奏曲》、《威風堂々》第1〜5番/ロイヤル・フィル(1975–76年, DG)
圧倒的な推進力と祝典美、特に第1番のテンポと終盤の盛り上がりは他の追随を許さない。
エニグマでの各変奏に生命が宿り、特にニムロッドの静けさと深さは心に残る名演。

 

《ファルスタッフ》より抜粋、他小品集/ボーンマス・シンフォニエッタ(1976年, Chandos)
『森の間奏曲』『夢の中の子供たち』など、あまり演奏されない佳品を見事に再発見。

 

《チェロ協奏曲》《南国にて》/ロンドン・フィル(1989年, EMI, チェロ:コーエン)
スケール感と精妙な対話に富むチェロ協奏曲の名演。

 

ノーマン・デル・マーの演奏は、派手な自己主張こそないが、その代わりに作品を尊重し、作曲家の声を真摯に汲み取る、深い愛情と洞察力に満ちている。エルガー演奏史において、彼は真の信奉者として、その名を刻むべき存在である。

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