《交響曲第3番(Symphony No.3, op. 88)》

もしフェンビーが補完を承諾していたら・・・

1933年、エドワード・エルガーが、同じく死期を目前にしたフレデリック・ディーリアスを訪ねた折、未完の《交響曲第3番》の草稿を、ディーリアスの弟子エリック・フェンビーに託す可能性が話題に上った――もしフェンビーがそれを承諾していたら・・・。

 

いくつかの可能性が考えられるだろう。

 

①「ディーリアス的エルガー」が誕生していた可能性
フェンビーは、失明したディーリアスの口述を筆記し、管弦楽化まで担った人物。
彼の手法は「忠実な記録者」であると同時に、「様式を体内化した共作者」でもあった。
もし彼が第3番を完成させていたなら、

 

 和声の進行がより流動的に
 管弦楽法がやや柔らかく、透明に
 主題処理が直線的なエルガー流よりも、やや夢幻的に
――という、エルガーとディーリアスの接点を思わせる交響曲になった可能性がある。
特に終楽章は、英雄的終結ではなく、霧の中へ溶けるような終止になったかもしれない。

 

② 極度に慎重な「骨格だけの補筆」になった可能性
一方でフェンビーは、エルガーという国民的巨匠に対して強い畏敬を抱いていた。
そのため、
 旋律は一切補作しない
 管弦楽化も最小限
 スケッチ以上の創作は避ける
という態度を取った可能性も高い。

 

その場合、第3番は

 

「未完性を残したまま提示された、断章的交響曲」

 

として世に出たかもしれない。
現在のアンソニー・ペイン版よりも、はるかに慎ましい姿になったであろう。

 

③ 完成が戦前に実現し、評価が変わった可能性
もし1930年代半ばに完成・初演されていたなら、
 「最後のエルガー」として神話化
 あるいは「時代遅れ」として冷淡に受け止められる
いずれか極端な評価になった可能性がある。
当時はモダニズム全盛。
フェンビー版がロマン派的響きを強調していれば、

 

「過去の亡霊」

 

として退けられた可能性も否定できまい。
逆に、抑制と晩年様式を強調していれば、

 

《チェロ協奏曲》に続く“最後の沈黙の交響曲”
として早くから再評価された可能性もある。

 

④ 最大の変化 ――「第3番の神秘性」が失われた可能性
現実には、長い空白を経てアンソニー・ペインによって完成されたが、
その時間の隔たりが、
 伝説性
 想像の余白
 “書かれなかった交響曲”という神秘
を生み出した。
もしフェンビーが即時完成させていたなら、
第3番は

 

歴史的ロマンではなく、単なる「晩年の一作」
になっていたかもしれない。
結論として考えられる三つの姿
もしフェンビーが承諾していたなら、第3番は:
 ディーリアス的色彩を帯びたエルガー
 極度に抑制された未完交響曲
 神話性を失った“普通の遺作”
のいずれかに近づいた可能性が高い。
しかし皮肉なことに、
フェンビーが断ったからこそ、

 

第3番は「可能性の交響曲」として残った。
とも言える。
それは完成されなかったがゆえに、
エルガー晩年の沈黙そのものを象徴する作品となったのである。

日本エルガー協会新刊「エルガーの最後の審判-語られなかった真の作曲家像」はこちらから

トップへ戻る