《交響曲第3番(Symphony No.3, op. 88)》

神奈川フィルのEP3

2014年10月25日の神奈川フィルのEP3。

 

終了直後のブラボーはあったものの、音が完全に消えてからだったので辛うじてセーフというところか。でもあのブラボーは絶対心からのブラボーではないのがわかるから後味が悪いのが正直なところ。

 

演奏は、神奈フィルは健闘したのではないでろうか。
やりなれない曲目ゆえ、少々おっかなビックリの部分はあったが、演奏回数を踏めば改善されるはず。果たして再演の可能性はあるのか?

 

金管はもっと浮き上がらせたほうがよかったところであろう。特に第4楽章ファンファーレの最初の一音トランペットの音が聞こえなかった(席のせいか?)ので重要なテーマが完成しなかった。あそこは思いっきり行って欲しかったところ。

 

第一楽章の第一主題から第二主題へ移行する際の弦楽器群ももう少し聞こえて欲しかったところ。例の最後の審判あたり。
逆にヴェラ・ホックマンのテーマは非常に美しい。どのオケもここはほんとに綺麗に演奏するなと思う。エルガーらしい部分なので、気持ちをこめて演奏すべき部分である。

 

あと、多くのオケでは、ほとんど第2、第4楽章で現れるアーサー王のテンポが遅すぎる感がある。原曲はもっとキビキビと速い。おそらく指揮者を含めて、唯一リリースされているアーサー王の録音を聴いたことがないのかもしれない。一度でも耳にすればイメージが掴めるはず。そこの部分が抜けている演奏が多い。

 

第4楽章は大部分ペインの創作であるが、実演で聞くと構成が非常によくわかる。第4楽章ほぼ全般にわたって「荷馬車」のリズムが鳴っている。正確には「荷馬車」をイメージしたリズムとか曲想。
特に「荷馬車」は4回ほど4楽章の間に現れる。特に、アーサー王が現れる前には必ず荷馬車が現れる。
荷馬車はペインのW・H・リードへのオマージュなので何度も現れるのである。
これは本当にエルガーの作品を隅々まで知っている人間でないと書けない構成であるし、エルガーの曲を隅々まで知っている人なら、そんな構成が見えてくるはず。

 

湯浅卓夫の指揮では、この点が非常に浮き出された印象があった。
全体的には合格点を上げてもよいのではないかはと思う。

 

 

ただ、どうしても絶対に許せないことがある。
演奏のことでもブラボー屋のことでもない。
曲目解説である。
こともあろうに「アーサー王」の作者をバイロンと書いてある!!!!!!。
よりによって高名な音楽学学者のおエライ先生が、ローレンス・ビニヨンの名を知らないわけないのに。
たぶん、推測するに。
英文の原文で「Binyon(ビニヨン)」を「Byron(バイロン)」と早とちりしたのではないかと思われる。
小さなことかもしれないが、絶対に見過ごすことのできない類のものである。
ビニヨンの「アーサー王」があって、その付随音楽をエルガーが書いて、その音楽がこの第3番に引用されているのである。
ビニヨンだってこの作品成立のキーマンの一人なのだ。
いくらなんでもこれではローレンス・ビニヨンがかわいそうだ。

 

 

神奈フィルには、日本エルガー協会名義で抗議したが、それに対する返答が実に表面的で事務的なもの。このオケはこういうところが三流だなと感じている。いちいち書かないが、このオケはこれ以外にもやらかしてくれている。キャストはあんなに頑張っているのにスタッフ部門が足を引っ張っている印象である。

神奈フィル事務局に送った抗議文

本日の演奏大変おつかれさまでした。
楽しませていただき感激しております。

 

一点、パンフレットの解説で致命的な間違いがあります。
こともあろうに「アーサー王」の作者をバイロンと書いてあるのです。
よりによって高名な音楽学学者のおエライ先生が、ローレンス・ビニヨンの名を知らないわけないのに。
たぶん、推測するに。
英文の原文で「Binyon(ビニヨン)」を「Byron(バイロン)」と早とちりしたのではないかと思います。
小さなことかもしれませんが、とんでもないです。
ビニヨンのアーサー王があって、その付随音楽をエルガーが書いて、それが引用されているのです。
ビニヨンだってこの作品成立のキーマンの一人です。
いくらなんでもこれではローレンス・ビニヨンがかわいそうです。

神奈フィルからの回答

水越様 貴重なご意見ありがとうございました。エルガーは国内できちんと理解されているとはいえない状況であることは確かです。今後演奏する際は、国内外の各作曲家の協会と意見交換をしながら、その作曲家の意図する正式な音楽観、そしてその背景をきちんと皆様にご理解いただくこともオーケストラの重要な役割です。今後はそれぞれの協会と密に情報交換をしながら、なおかつ広報活動の一助になれば幸いです。
今後エルガーを演奏する際は、ご連絡させていただきますので引き続きよろしくお願い申し上げます。

その後・・・・

 

その後、神奈フィルでは度々エルガー作品を取り上げる演奏会があったが、「今後エルガーを演奏する際は、ご連絡させていただきますので引き続きよろしくお願い申し上げます」という返事を頂いたにも関わらずただの一度もオファーがない。結局形だけの社交辞令だったということだろう。

 

このオケは、これ以外にも、別件で問い合わせ案件があり、「後日事務局からご連絡させていただきます」との返事があったものの、結局連絡はなかった。それ以外にもまだある。一度ならず二度ならず三度ならず・・・である。一般企業ならクライアントからのクレームは最優先処理事項になるものである。その意識が欠如しているのだろう。

 

結局、ここのオケは裏方が一番誠意がなくダメだなと感じている。「ベンチがアホだからやってられない」と、かつて発言した野球選手がいたが、その選手の言葉を借りるなら、ベンチがアホだから、頑張っているプレイヤーが気の毒である。

 

神奈川フィルによるエルガー=ペイン「交響曲第3番」(2014年10月25日公演)評

——健闘する演奏、しかし残された課題と運営の不誠実

 

2014年10月25日、神奈川フィルハーモニー管弦楽団によってエルガー=ペイン「交響曲第3番」が演奏された。この困難な楽曲に果敢に挑んだ意義は大きいが、同時に演奏上の課題と、事務局側の運営姿勢に対する深い失望も残る公演であった。

 

演奏終了直後、会場から発せられた「ブラボー」の声は、音が完全に消えてからのタイミングであったため形式的には許容範囲に収まった。しかしその声はどこか上滑りで、心からの賛辞とは受け取り難かった。むしろ、演奏直後の空気に対する聴衆の戸惑いが滲み出ていたともいえる。

 

演奏内容そのものは、神奈川フィルとしては健闘の部類に入るだろう。馴染みの少ない楽曲ゆえの慎重さ——あるいは臆病さ——は各所に感じられたが、繰り返し演奏されることで改善される可能性は高い。果たしてこの作品が再び同団体のレパートリーとして取り上げられる日が来るかどうかが問われるところである。

 

なかでも気になったのは、金管のバランスである。特に第4楽章におけるファンファーレの冒頭、トランペットの一音がまったく聴こえなかった(筆者の座席位置の問題かもしれないが)。この部分は主題提示の核心であり、確実に印象を刻むべき箇所であるだけに、大きな損失と感じた。

 

また、第1楽章の第1主題から第2主題へと移行する場面、弦楽器群が担う「最後の審判」にも通じる音楽的推進力が弱く、やや印象が希薄であったのは惜しまれる。逆に、いわゆる「ヴェラ・ホックマンの主題」として知られる旋律は非常に美しく奏でられ、これは多くのオーケストラが共通して丁寧に演奏する箇所であることを改めて実感させられた。エルガー特有の甘美な旋律美を象徴するこの主題は、作品に魂を与えるものであり、演奏者が最も心を込めて表現すべき部分であろう。

 

一方で、テンポ設定にはやや疑問も残った。特に第2楽章および第4楽章に再現される「アーサー王」の主題において、全体的にテンポが遅く、原曲の持つキビキビとした勇壮さが失われていた。おそらく、ペインが引用したビニヨン原作の劇音楽『アーサー王』を実際に聴いたことがないのではないかと疑われるほどである。あの録音を一度でも耳にすれば、より的確なテンポ感をつかめるはずである。

 

興味深かったのは、第4楽章における構成の明確さである。実演で改めて聴くと、この楽章の大部分がペインによる創作であるにもかかわらず、極めて巧みにエルガーの語法を継承しており、構成感が明瞭に浮かび上がる。その中で「荷馬車」のリズムは特筆すべき要素であり、実に4回にわたって登場する。アーサー王が現れる直前には必ず「荷馬車」が現れるという構図が貫かれており、これはペインによるW・H・リードへのオマージュであることを読み解く鍵でもある。こうしたリズム動機の象徴性に気づけるかどうかは、エルガーの音楽を深く理解しているかどうかのリトマス紙となる。指揮者・湯浅卓夫は、この点において明確な意識をもっており、構成をよく捉えた演奏であったと評価できる。

 

ところが、この日の公演で決定的に許しがたかったのは、演奏内容とは別の次元にある。それはパンフレットにおける致命的な誤記である。なんと、『アーサー王』の原作者を「バイロン」と記していたのである。もちろん実際には、エルガーが音楽を付した劇の作者はローレンス・ビニヨンであり、この劇作品とそこに用いられた音楽が、交響曲第3番の構造や主題に直接影響を与えている。ビニヨンの存在は、この交響曲成立におけるキーマンの一人であり、決して軽視されるべきではない。音楽学の高名な専門家が、このような基本的な事実を誤記するとは考えにくく、恐らくは「Binyon(ビニヨン)」を「Byron(バイロン)」と見間違えたものと思われる。しかし、このような誤謬は「小さなこと」で済ませられる問題ではない。

 

筆者はこの点を日本エルガー協会の名義で神奈川フィルに正式に抗議した。これに対する事務局の返信は一見丁寧であるが、その内容は極めて表面的かつ事務的なもので、誠意が感じられなかった。さらに追い打ちをかけるように、「今後エルガーを演奏する際はご連絡いたします」との一文も、以後一度も実行されていない。他の問い合わせにおいても「後日連絡します」との返答のみで放置された事例が複数存在する。

 

このような対応は、誠実に舞台に立ち、精一杯演奏する演奏者たちに対しても失礼である。筆者の感覚では、同団体の問題は演奏家ではなく事務局という裏方の姿勢にこそある。野球選手の有名な言葉を借りるならば、「ベンチがアホだから、やってられない」である。プレイヤーの努力を、運営が支えるどころか足を引っ張るようでは、いかに演奏内容に価値があっても、団体としての信頼は揺らぐだろう。

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