小品 《Carissima(カリッシマ)》
概要
作曲年:1913年
初演:1914年1月15日、グラモフォン社の録音スタジオにて、エルガー自身の指揮でオーケストラ録音(初演=録音という極めて珍しいケース)
演奏時間:約3分
編成:小規模オーケストラ
出版:同年ノヴェロ社より刊行
タイトルについて
「Carissima」はイタリア語で「最愛の人」「いとしい人」を意味する女性形。
題 dedication は不明確であるが、エルガーが個人的な親愛や温かさを込めた語であることは確かであろう。
音楽的特徴
形式 短い三部形式(A–B–A’)に近い構成。
明確な旋律と和声によるシンプルな展開。
旋律 弦楽器が柔らかに歌い出す親密な旋律。
フレーズの呼吸感はエルガーらしく、どこか歌曲的。
和声と調性 明るさと陰影のバランスを持つ和声。
中間部でわずかな転調があり、情感に揺らぎを与える。
オーケストレーション
室内楽的な透明さを重視。
金管や打楽器の華やかさは控えめで、木管と弦による親密な響きが中心。
位置づけと意義
エルガーの大規模作品(交響曲第2番、チェロ協奏曲など)と比べると、規模はごく小さい。
しかし「短い時間でエルガーの美質を凝縮」したような作品であり、作曲者の音楽的アイデンティティ――温かい抒情性、自然な旋律の呼吸、微妙な陰影のある和声感――を示す。
「レコード録音のために作曲され、しかも録音が初演」という点でも、20世紀初頭の新しいメディア時代を先取りした存在。
聴きどころ
冒頭の柔らかな旋律は、後期エルガー特有の「優美だがどこか哀愁を帯びた響き」。
中間部のわずかな転調と陰影。
最後に静かに収束していく姿は、親しい人に語りかけるような内面的な親密さを感じさせる。
総括
《Carissima》は、わずか3分に凝縮された「小さなエルガーの肖像」である。
大規模交響曲やオラトリオとは別に、エルガーが「私的な音楽語法」で紡いだ心のスケッチのような作品。
その素朴な美しさは、後期ロマン派の大作曲家のもうひとつの顔を伝える。
《Carissima》のスコア構造分析
全体構造
調性:変ホ長調(E♭ major)
形式:小規模な三部形式(A – B – A’)
演奏時間:約3分(60~70小節程度)
A部(冒頭、主旋律提示)
小節 1–8:
弦楽器が柔らかに旋律を奏でる。
拍節感は明確だが、語りかけるようなカンタービレで展開。
和声は素直なI–V–Iの動きを基調とするが、エルガーらしい短調寄りのすれ違い和音が早くも顔を出す。
小節 9–16:
主旋律を展開し、木管に受け渡す。
弦が対旋律的に寄り添い、親密な室内楽的テクスチュアを形成。
ここに「最愛の人への語りかけ」のニュアンスが最もよく表れている。
B部(中間部、わずかな陰影と転調)
小節 17–32:
変ロ短調(B♭ minor)や変ホ短調(E♭ minor)に揺れる。
音楽にわずかな翳りが差し込み、ノスタルジアのような雰囲気。
短調転換とクロマティックな下降音形は、《Sospiri, Op.70》や《Salut d’Amour》の中間部とも共通。
弦が厚みを増し、木管の和声で「ため息」のようなニュアンスを描く。
A’部(再現と終結)
小節 33–48:
冒頭主題が戻るが、装飾や和声がより簡潔に。
親しい人に向けた言葉を繰り返すような「回想」的性格。
小節 49–終わり(約60小節前後):
弦の柔らかいアルペッジョと木管の優しい和声で静かに閉じる。
コーダはごく短く、語尾をそっと置くような結末。