エルガー夫妻のハネムーンの地
愛が初めて「世界」と距離を取った場所
1888年、エドワード・エルガーとキャロライン・アリス・ロバーツは婚約する。その記念として作曲されたのが、《愛の挨拶(Salut d’Amour 作品12)》であった。今日では甘美で親しみやすい小品として広く知られているが、その成立の背景には、決して穏やかとは言えない現実が横たわっている。
アリスの親族は、この結婚に強く反対した。理由は明白である。社会的身分の差――名門の陸軍少将を父に持つアリスと、地方都市ウースターで楽器商を営む家に生まれたエルガー。そしてもう一つ、当時のイギリス社会において決定的であった宗教の問題。国教会(プロテスタント)を基盤とする社会の中で、エルガー一家は少数派であるローマ・カトリックに属していた。この宗教的立場は、彼の生涯を通じて、見えにくいが確実な不利として作用し続けることになる。
それでも二人は退かなかった。1889年5月8日、ロンドン・ケンジントンにあるブロンプトン礼拝堂で結婚式を挙げる。エルガー32歳、アリス40歳。年齢差もまた、当時としては異例であった。
結婚後、二人がハネムーンの地として選んだのが、ワイト島南岸の町ヴェントノールである。ロンドンから物理的にも心理的にも距離を置いたこの地は、祝福と同時に反発を受けた二人にとって、社会の視線から一時的に解放される場所であったと言えるだろう。
ヴェントノールで二人が宿泊したベルムンダ・ハウスには、現在エルガー・プレートが設置されている。だが、この記念碑的事実以上に重要なのは、この場所がエルガーの人生において持つ象徴性である。ここは、作曲家エルガーが「公的存在」になる以前、そして「国民的作曲家」になる遥か以前に、ひとりの人間として、伴侶と静かに未来を思い描いた空間なのである。
《愛の挨拶》が後年、世界中で演奏され、商品化され、時に通俗的に消費されていくことを思えば、この作品が生まれた瞬間の私密性は、ほとんど逆説的ですらある。社会からの圧力と緊張の只中で、エルガーが書いたのは、大仰な愛の宣言ではなく、控えめで、慎ましく、しかし確信に満ちた音楽であった。
ヴェントノールとは、エルガー夫妻にとって単なる新婚旅行先ではない。
それは――
外界から距離を取り、「二人だけの世界」が初めて現実のものとなった場所であり、
後にエルガーの音楽に繰り返し現れる「私的感情と公的世界の緊張関係」の、最初の原型が形をとった地点なのである。
この小さな避難所の記憶がなければ、後年の《ゲロンティアスの夢》における孤独な魂の旅路も、《チェロ協奏曲》に漂う深い私語性も、同じ姿を取らなかったかもしれない。ヴェントノールは、エルガーの音楽史における「最初の内的空間」であった。




