エルガーカントリーへの誘い

室内楽作曲の家ブリンクウェルズ

1917年エルガー60歳の時、アリスは68歳になっていた。この頃になるとアリスの体調が思わしくなかったので、養生のためにまた夏の間に滞在する別荘を探すことになった。
ウェスト・サセックス州のフィトルワース近くの山荘を見つけ1917年の5月から借りることになった。そしてこの家は「ブリンクウェルズ」と名付けられた。
ここも「バーチウッド・ロッジ」同様、四方森に囲まれた環境にあり、エルガーの創作活動には最高の条件を提供するものであった。アリスの静養という面においても有効であったが、反面、人里離れた場所のため彼女の容態が急に悪くなった時に医者に診せるためには不便を強いられるという結果にもなった。
戦争がエルガーの周りの何もかもを狂わせてしまった。彼の作品は「時代遅れ」の烙印を押され、世評の冷たい攻撃にさらされることもあった。またエルガーの作品を最初に評価してくれたドイツでも敵対国の作曲家ということで人気は凋落してしまっていた。心身共に疲れ果てたエルガーもまた体調を崩してしまい静養を求めていた。
しかし、この美しい環境で作曲された作品群は《ヴァイオリン・ソナタ(Sonata in E minor for violin and pianoforte, op. 84)》(1918)、《弦楽四重奏曲(String Quintet in E minor, op. 83)》(1918)、《ピアノ五重奏曲(Quintet in A minor for strings and pianoforte, 84)》(1919)、《チェロ協奏曲(Concerto in E minor for violincello and orchestra, op. 85)》(1919)という内省的な室内楽を中心としたものだ。これらの美しい作品群を、アリスは「ウッド・マジック=森の魔法」と呼んだ。エルガーの言葉「木々が私の曲を歌っている。或いは私が彼らの曲を歌うのか」という言葉は生き続けている。地味ではあるが、エルガーが作曲家として達した最後の境地と言えるだろう。どれもこれも郷愁と懐古に満ちた白鳥の歌を思わせる清らかさを持っている。特にアリスが気に入っていた作品ばかりである。2人とっては、この世で過ごした最後の楽しい夏であった。

 

エルガーは、以前スペイン人修道士が住んでいたとされる場所の近くにある、ニョキニョキと生えた木立の近くをよく散歩していた。
地元の伝説によれば、その木々は不敬な儀式を執り行って死んだ修道士たちの残骸だという。
この話は、エルガーのピアノ五重奏曲イ短調にも織り込まれているようで、エルガー自身が認めているように、この曲は「幽霊のようなもの」に満ちている。第1楽章では、静かに忍び寄る弦楽器とピアノの聖歌のようなラインが特徴的で、その後に軽快な、明らかにスペイン風の第2主題が続く。

 

室内楽作曲の家ブリンクウエルズ

 

この家は、まだグーグルストリートビューの撮影班が足を伸ばしていない様子なので、ストリートのビューはまだ閲覧できないようだ。

 

室内楽作曲の家ブリンクウエルズ

エルガーが手書きで描いたブリンクウェルズの地図

 

室内楽作曲の家ブリンクウエルズ室内楽作曲の家ブリンクウエルズ

 

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