ウッド・マジック・・・最大の悲しみ

シニスターツリーズ

19世紀末から20世紀初頭にかけて英国は産業革命の正に中心地であった。英国中部のバーミンガムは産業革命の象徴的都市で街には多くの工場が建設され、一気に街の景色が激変するほど。
輝かしい科学文明が人々の暮らしの利便性を多いに高めた。
しかし、光のある所には必ず影がある。石炭を燃やす煙が健康被害を及ぼすことがわかるなど、この便利さの代償として何か失うものも小さくないのではないか?
そんな不安から、ヴィクトリア調の英国では科学万能主義の反動としてオカルティックな怪奇小説が多数生まれ、文学の世界では一大ジャンルとして多くの人々に読まれた。モロに科学文明の危うさを危惧したスティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」。そして、英国を襲う魔物物語であるストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」などなど。さらに怪奇事件の数々に挑む、ドイルの名探偵ホームズの物語など。ロンドン市民を震撼させた切り裂きジャックの暗躍もそういったブームを後押しすることになった。
ご多分に漏れず、謎かけが大好きな作曲家エルガーもこのような物語に心を躍らせて夢中になった。
特に高名な怪奇作家として知られるアルジャーノン・ブラックウッドとは親しい間柄でもあった。1915年にブラックウッドの「スターライトエキスプレス」にエルガーが曲を付する時から二人の交友は始まったようだ。
ブラックウッドは、エルガーに会うためにブリンクウェルズの山荘を訪れている。
そんなブラックウッドの訪問は、弦楽四重奏とピアノ五重奏の作曲中のエルガーに大いに刺激を与えた。
さらにエルガーはブリンクウェルズの近くの森に生い茂る不気味にねじくれた木々を見るためによく散策に出かけていた。
シニスターツリーズと呼ばれる、この奇怪な形の木々には不気味な伝説が存在する。
いつの時代かはわからないが、この地に住み着いた3人のスペインの修道僧が、ここで雷に打たれて死んだという。その雷に打たれて苦しみもがく姿のまま、3人の僧はシニスターツリーズになった・・。
ブラックウッドの訪問と、シニスターツリーズの存在が、あの弦楽四重奏やピアノ五重奏の冒頭の不気味な曲調へと表れたことをエルガー自身も否定することはなかった。友人へ宛てた手紙には、「不協和音的(クロマチック)な展開を期待してはいけない」とわざわざ言及している。
それほど二曲に見られる不気味な感じは、エルガーの他のどの作品にも見られない独特のなものとなったのである。

 

《ピアノ五重奏曲》および《弦楽四重奏曲》に見られる「シニスターツリーズ」伝説の影響

エルガーの晩年に作曲された室内楽作品、《弦楽四重奏曲 変ホ長調 作品83》および《ピアノ五重奏曲 イ短調 作品84》は、いずれも第一次世界大戦末期、1918年にサセックス州ブリンクウェルズの山荘で生み出された。この時期のエルガーは健康状態の悪化と戦争による精神的打撃の中で、かつての華やかな管弦楽語法とは異なる内省的で神秘的な作風へと移行していたが、それを語るうえでしばしば引き合いに出されるのが、「シニスターツリーズ(不吉な木々)」の伝説である。

 

この伝説は、ブリンクウェルズの近隣に広がる森林に生えていた、ねじれた奇怪な姿をした木々にまつわるもので、地元ではかつてそこに住んでいた3人のスペイン人修道僧が雷に打たれて命を落とし、その苦悶する姿のまま木となった――という怪奇譚が語り継がれていた。エルガーはしばしばこの森を散策し、その不気味な木々の姿に霊的なインスピレーションを受けたことを隠そうともしなかった。

 

さらに注目すべきは、エルガーが親交を結んでいた怪奇小説家アルジャーノン・ブラックウッドの存在である。1915年、エルガーはブラックウッドの童話劇『スターライト・エクスプレス』のために音楽を提供して以降、両者は文通を交わし、ブラックウッドはブリンクウェルズを訪れてエルガーと直接交流している。この訪問が、作曲家に新たな創作の霊感を与えた可能性は高く、とりわけ《ピアノ五重奏曲》第1楽章の導入部や、《弦楽四重奏曲》に現れる不協和で幻想的な響きの中に、ブラックウッド的な「見えざるものへの恐怖」「不可視の霊的世界」の影が差していると見る向きもある。

 

実際、エルガーは友人に宛てた書簡の中で、これらの曲の調性感や和声進行が「不協和音的(クロマチック)な展開を期待してはいけない」と述べており、そこには意図的な「違和感」の演出があったことが窺える。特に《ピアノ五重奏曲》第1楽章の不穏な序奏部は、調性が曖昧で、まるで霧の中から現れる亡霊のような幻惑的雰囲気をたたえている。

 

このようにして生まれた両曲には、それ以前のエルガー作品――たとえば《エニグマ変奏曲》や《威風堂々》など――には見られなかった、「不安」や「不可視の他者」への感受性が顕著に現れている。ヴィクトリア朝後期からエドワード朝にかけて隆盛を誇ったオカルティズムや怪奇文学の潮流の中で、エルガーもまた一人の英国人として、科学と合理主義の影に潜む神秘や恐怖への想像力を内面に育んでいたのであろう。

 

その意味で、《弦楽四重奏曲》と《ピアノ五重奏曲》は、単なる戦時下の避難先で書かれた「晩年の室内楽」ではなく、19世紀末英国文化における精神の二重性――光と闇、科学と霊性――を象徴的に体現した作品と見なすことができるのである。

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